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あの世界ができるまで ~死ぬたび未来に目覚める少女と、「いつもの異世界」ができるまでの数百年~  作者: 古江 門
第三章

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第13話 石で動く町

 山を下るにつれて、人の姿が増えた。背負い籠の男を荷車が追い越し、木材を満載した車ともすれ違う。ユアンはそのたびにレオナを道の端へ寄せた。


 やがて木々の間が開き、その先に建物の集まりが見えた。


 レオナは歩調を緩めた。


「……あれ、ハル?」


「そうだよ」


 ユアンは何でもないことのように答え、そのまま坂を下りていく。


 昔のハルにも家や小屋はあったが、今はずっと広い範囲に建物が散らばり、その間を何本もの道が走っていた。低い木造家屋に混じって、土台を石で固めた大きな倉庫や赤茶けた煉瓦の壁が見え、山側にはいくつもの煙が立ち上っている。それでも、道端で豆と干し魚を取り替えている者や、泥の残る脇道を駆けていく子どももいて、知らない町の景色の中に、レオナの知っているハルの騒がしさが残っていた。


 町へ入りかけたところで、重いものが地面を擦る音がした。


 道の脇では数人の男が、腰ほどの高さがある石材を動かしている。石の下には何本もの丸太が差し込まれているものの、縄を引いているのは二人だけで、その横に立った男が青黒い石を両手で抱えていた。


「せーの」


 男が石へ力を込めると、内部に青白い光が滲み、石材が丸太の上を大きく滑った。勢いがつきすぎたのか、縄を持っていた一人が慌てて横へ跳び、もう一人から「押しすぎだ!」と怒鳴られる。


「分かってる!」


「分かってたら俺を潰すな!」


 周囲から笑い声が上がった。


 石を抱えていた男は気まずそうに片手を上げると、使った魔石を木箱へ戻して別のものを取り出した。


 レオナはその様子を見ていた。


「入れるのが得意な奴が、まとめて満たすんだ」


 ユアンは作業場へ運ばれてきた木箱を示した。使い終わった石は、その隣の箱へ戻されている。


 レオナは石材を見送った。


 さらに進むと、石を削る作業場でも魔石が使われていた。少し離れた工房では、窯の前に立った女が赤みを帯びた石へ手を添え、戸口の奥で炎が勢いを増している。


「火にも使うんだ」


「入ってる力によるな。押すのもあれば、熱くするのもある」


「水を運ぶのにも?」


「桶を押すならな」


 ちょうどその横を、水桶を二つ担いだ男が歩いていった。


 レオナはその背中を見て、少し笑った。


「全部が魔石になったわけじゃないんだ」


「全部は任せられんよ。桶まで自分で歩いたら、俺が運ぶ荷が減るじゃないか」


「そうなったらユアン困る?」


「少しは」


 そんな話をしながら歩いている横で、魚を並べた女が客と麦の量をめぐって言い合い、その少し先では犬が肉の切れ端をくわえて逃げ、店の男が怒鳴りながら追いかけていた。


 道の両側には新しいものと古いものが入り混じり、木造の小さな店の隣に煉瓦の倉庫が建ち、その向こうでは昔と変わらず家畜が柵へ繋がれている。どこまでが二十五年前からあったものなのか、歩いているだけでは分からなくなっていた。


 人の流れを避けながら進んでいると、新しく建った倉庫と古い家の隙間から、低い石が見えた。


 レオナの視線がそこへ残った。


 風雨に晒された石は角が丸くなり、刻まれた文字の溝にも薄く汚れが入り込んでいる。それでも周囲の草は短く刈られ、根元には枯れかけた小さな花が置かれていた。


 表面には、自分の名前が残っている。


 歩みは止めなかった。


 ただ、倉庫の壁がその石を隠すまで、レオナはそちらを見ていた。


 少し先では、十人あまりの男たちが山へ入る準備をしていた。縄やつるはしを確かめながら、一人ずつ小さな木札を箱へ入れ、最後に年長の男が中を数えている。


「十四だな」


「北側は?」


「通れる」


「西も空いてる。何かあったらそっちだ」


 レオナの歩みがまた少し遅くなった。


「何してるの?」


「中へ入る人数を残してる」


「前はしてなかったよね」


「あの事故のあとからだ」


 ユアンは、坑道へ向かう一団を見た。


「ローデンが始めた」


 レオナが顔を上げた。


「ローデンが?」


「ああ。ずいぶん気にしてたからな。お前を死なせたって」


 レオナは眉を寄せた。


「ローデンのせいじゃないよ」


「俺たちが止めても、本人は聞かなかった。全員出すのは自分の仕事だった、もっと早く止めるべきだったってな」


 坑夫たちは箱を持った男を最後尾に加え、山へ向かって歩き始めた。


「それから、人数を残せ、逃げ道を先に見ろって、うるさいくらい言うようになった。山を降りてからも、若いのを捕まえては同じ話をしてたよ」


 レオナはその背中を見送ったあと、静かに聞いた。


「ローデンは?」


「五年前に死んだ」


 レオナの足が止まり、少し間を置いてから声が出た。


「……そう」


「歳だったし、病気もしてた。最後まで山のことは気にしてたらしいけどな」


 しばらくして、レオナはまた歩き出した。


「この人たち、ローデンを知ってる?」


「若いのは名前くらいじゃないか」


 レオナはそれ以上聞かなかった。


 道端で道具を直している坑夫の横を通り過ぎたとき、今度はレオナの視線がその脚へ落ちた。膝から下を厚い革が覆い、その上に細長い金属片が何枚か縫い付けられている。近くに座る別の男も肩へ硬そうな板を当て、腰には小さな魔石を収めるための幅広の帯を巻いていた。


「あれも前はなかった」


「脚のやつか?」


 レオナが頷く。


「ギドが始めた」


 その名前に、レオナの顔が少しだけ上がった。


「ギドが?」


「脚を悪くしてからな。次は折らなくて済むようにって、いろいろ作り始めた」


「今もいる?」


「いるよ。ただ、今は山の向こうだ」


「山の向こう?」


「こっちじゃ作れないものがあるらしい」


 ユアンは口元を緩めた。


「最初に作ったやつは重すぎて、着けた本人が転んだらしいけどな」


 レオナも笑った。


「ギドならやりそう」


「本人には言うなよ。今でも怒るから」


「忘れなかったらね」


「二十五年後に戻ってきて、それを言うのか」


 ユアンが呆れたように言い、レオナはもう一度笑った。


 人通りがさらに増えたところで、ようやく知っているものが見つかった。


 大きな倉庫と古い木造家屋の間に、片側が斜めに欠けた平たい岩が残っている。以前と同じように荷物が置かれ、その端には老人が腰掛けていた。周囲の道も建物も変わっているのに、その岩だけは昔からそこにあったような顔をしている。


 レオナは近づき、表面へ手を置いた。


「これ、まだある」


「動かす理由もないからな」


 ざらついた石の感触は記憶にあるものと大きく変わらなかった。その向こうを、大きな荷車が何台も行き交い、積まれた木箱の隙間から青黒い魔石が覗いている。


「ここで魚売ってたよね」


「今も売るぞ。今日は向こうだ」


 ユアンが指差した先から、焼いた魚の匂いが風に乗って流れてきた。


 レオナは少し笑い、平岩から手を離した。


「ユアンのお母さんは?」


「もう死んだよ」


 レオナは少しだけ黙った。


「そう」


「たまに言ってたよ。またひょっこり来るんじゃないかって」


 レオナは歩きながら、しばらく足元を見ていた。


「……来たね」


「遅かったけどな」


「うん」


 それ以上は何も言わなかった。


「ミラとニナは?」


「二人ともいるよ。ミラは家。ニナは仕事だ。そろそろ戻るかもしれない」


「ニナ、仕事してるんだ」


 ユアンが横目でレオナを見た。


「二十五年だからな」


 レオナは返事をせず、人の間を歩いた。


 二十五年という数字は聞いた。ユアンの髪や手を見れば、それだけ時間が過ぎたことも分かる。それでも、ニナについて考えたときには、あの家で走り回っていた子どもの姿しか浮かばなかった。


 ユアンの家があった一帯にも建物が増えていた。


 昔の家そのものではなく、一度は建て替えたのだろう。木の壁には新しい板と古く黒ずんだ板が混ざり、土台には大きめの石が組まれている。それでも入口の位置には見覚えがあり、ユアンが戸へ手を掛けたとき、ようやくここまで戻ってきたのだという感じがした。


「ただいま」


 奥から返事があり、足音が近づいてきた。


「早かった――」


 出てきた女は、そこで言葉を止めた。


 髪には白いものが混じり、頬には細い皺が刻まれている。それでもレオナには、ユアンより早く誰なのか分かった。


「ミラ」


 名前を呼ぶと、ミラはしばらく動かなかった。


 視線がレオナの顔から服へ落ち、また顔へ戻ってくる。


「……ほんとうに?」


「うん」


 ミラが一歩近づき、確かめるようにレオナの頬へ指先を触れた。


「レオナ?」


「そうだよ」


 指が離れる。


「何にも変わってない」


 レオナは返事をせず、ミラの髪を見ていた。自分の記憶にはなかった白いものが、差し込む光の中で何本も細く光っている。


 ミラは鼻から小さく息を吐き、まだ何か言いたそうな顔をしたものの、やがて戸を大きく開けた。


「とにかく入りなさい。そんなところに立ってても仕方ないでしょう」


「うん」


 その言い方と、少し顎を上げる癖は、レオナの知っているミラと変わらなかった。


 家の中には見覚えのあるものと知らないものが入り混じり、壁際には魔石を収めるためらしい小箱が並ぶ一方、棚の隅には昔から使っていた欠けた陶器が残っている。


 レオナが椅子へ腰を下ろしてしばらくすると、外で何か硬いものが戸へぶつかる音がした。


「帰ってきたかな」


 ミラが顔を上げる。


 続いて戸が開き、土埃のついた靴が家の中へ入ってきた。


「ただいま。明後日の荷、また一つ増えるって――」


 声が止まった。


 戸口には一人の女が立っていた。


 肩まで伸びた髪を後ろでまとめ、旅用の厚い服の上から革の胸当てを着けている。腰には短い刃物があり、その反対側には青黒い魔石をいくつも収めた革袋が吊られていた。靴や裾には乾いた泥がこびりつき、日に焼けた顔には、長い道を歩くことに慣れた人間の色があった。


 胸元には、革紐に通した小さな青黒い石も一つ下がっていた。


 レオナの視線がそこをかすめた。


 けれど、その女の方が先に動きを止めた。


「……レオナ?」


 声を聞いた瞬間、記憶の中にいた小さな少女の顔が、目の前の女へ重なった。


 レオナは目を見開いた。


「……ニナ?」


 女が、ゆっくり笑った。


「うん」


 その笑い方には、少しだけ覚えがあった。


 それなのに、泥のついた靴も、腰の刃物も、いくつもの魔石も、レオナの知らないものだった。


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