第10話 山の中の青
穴を人が通れる大きさまで広げると、ローデンはすぐには中へ入らなかった。
灯りを差し込み、縁の岩を手で押す。次に足元の石片を穴へ落とすと、何度か岩に当たり、しばらくして音が止まった。
「下までは遠くないな」
レオナが穴へ足を掛けようとすると、肩を掴まれた。
「先に入るな」
ローデンだった。
「見えてるよ」
「前に穴がないのは見えてる。頭の上も見ろ」
灯りで穴の上を照らす。削ったばかりの岩が何か所か浮いていた。
レオナは足を戻した。
ユアンが後ろで笑う。
「珍しく止まったな」
「止められたから」
「同じだろ」
ローデンは返事もせず、浮いた岩をつるはしの柄で落とした。
ユアンは坑道の入口側へ戻り、縄を二本ともう一つ灯りを受け取ってきた。一方の端を太い支柱へ結び、二度引いて確かめる。もう一本は肩へ掛けた。
「これでいい?」
「十分だ」
「じゃあ俺が下りる」
「お前も待て」
「なんでだよ」
「灯り持ってろ」
結局、ローデンが最初に穴を抜けた。
少しして下から声がした。
「来ていいぞ。足元は滑る」
レオナが縄を掴み、足場を確かめながら下りた。そのあとをユアンと三人の鉱夫が続く。
***
穴の向こうは、坑道よりずっと静かだった。
水の落ちる音だけが、離れた場所からいくつも聞こえる。
足元には細い流れがあり、灯りを近づけると、黒い岩の間を冷たい水が走っていた。天井は高く、光を掲げても途中で暗闇に溶けている。
レオナは壁へ近づいた。
青黒い筋が、手の幅ほどのものから腕より太いものまで、岩の中を入り乱れて走っている。
「すごい」
指先を近づける。
触れる前から、さっき手にした石よりもはっきりとした感覚があった。
ローデンたちは別の場所を見ていた。
「こっちは太いな」
「下にも続いてる」
鉱夫の一人、ギドがしゃがみ込み、流れる水の向こうへ灯りを向けた。
「これ、掘れるか?」
「掘った石を置くところがない。先に足場を作らんとな」
ローデンはそう答えてから、少し先の壁へ歩いた。
レオナもついていこうとして、足元で止まった。
細い亀裂があった。
幅は靴一つ分ほどだが、中は真っ暗で底が見えない。小石を落とすと、何度も壁へぶつかりながら遠ざかっていった。
「そこ踏むなよ」
ユアンが後ろから言った。
「踏まない」
「さっき穴に入ろうとした奴の言葉とは思えないな」
レオナは亀裂をまたいだ。
少し進むと、空洞はさらに奥へ広がっていた。
岩肌は場所によって丸く削られ、天井から落ちた水が浅い窪みに溜まっている。そこでは細かな青黒い石屑が水底に沈み、灯りを向けなくても淡い青白さが揺れていた。
上も奥も暗いのに、足元の水だけがぼんやり明るい。
レオナはしゃがみ込んだ。
「石が光ってる」
「そりゃあるだろ。こんだけあるんだから」
ユアンが横を通り過ぎる。
レオナが水へ指を入れると、思った以上に冷たかった。
底へ手を伸ばし、細かな青黒い欠片を拾い上げようとしたとき、奥で音がした。
石を引っかくような音だった。
レオナはすぐに立ち上がった。
「何かいる」
身体が先に動いた。
掌を前へ向け、ユアンたちより半歩前へ出る。
暗闇の中で、また音がした。
一つではない。
右。
左。
少し高いところからも、岩を擦る音が返ってくる。
「奥にもいる? ここからだと見えない」
「さあな」
ローデンは落ち着いたまま灯りを上げた。
光の端で、灰色の塊が動いた。
一匹。
その後ろにもいる。
壁際に二匹。
さらに、岩の上から長い尾が垂れていた。
最初は岩の一部にしか見えなかったものが、次々と脚を伸ばしていく。
「岩蜥蜴だな」
ローデンが言った。
レオナは返事をしなかった。
正面の一匹は、その中でも大きかった。背は人の腰ほどまであり、頭から背中まで灰色の硬い鱗に覆われている。
その左右で、別の個体も動き始めた。
後ろには亀裂がある。
右は壁。左にはユアンと鉱夫たち。
一斉に来たら、まとめて押すしかない。
けれど、ここでどこまで力を出していいのか分からない。岩壁も近く、天井がどこまで持つのかも分からなかった。
レオナは指先へ力を集めた。
「レオナ」
ユアンの声がした。
「何」
「そこ、邪魔」
「え?」
ユアンがレオナの横へ出た。手には灯りを持っている。
「ローデン、でかい方から?」
「ああ」
正面の岩蜥蜴が近づく。
「待って。何匹もいる」
「見えてる」
ユアンは灯りを持ち上げた。
岩蜥蜴が一歩踏み出す。
レオナが魔力を向けた、その瞬間だった。
ユアンの灯りが魔物の顔へ真っすぐ当たる。
岩蜥蜴が激しく頭を振った。
「今」
ローデンが踏み込み、顔を背けた岩蜥蜴の脇腹へつるはしを打ち込んだ。
巨体が跳ねる。
ユアンは光を外さない。
もう一撃。
岩蜥蜴が崩れた。
「次」
ユアンが灯りを横へ振る。
二匹目が光を嫌って身体をひねった。
今度はユアンが腰に差していた短いつるはしを抜く。
「それ持ってたの?」
「仕事場だぞ」
脇腹へ一撃。
浅い。
「もう一つ前」
ローデンが言う。
ユアンは半歩踏み込み、もう一度打ち込んだ。
魔物が倒れる。
レオナが横を見る。
「後ろ!」
叫んだときには、硬い音がした。
振り向くと、岩の上にいた一匹がすでに横倒しになり、その脇でギドがつるはしを引き抜いていた。
「こっちは終わった」
反対側でも、もう一つ音がする。
壁際にいた二匹のうち、一匹はすでに動かない。残った一匹も、別の鉱夫に灯りを向けられて顔を背けたところへ、つるはしを打ち込まれた。
もう一撃。
それで終わった。
水滴の音が戻ってきても、レオナの手はまだ前へ出たままだった。ユアンが灯りを下ろし、ローデンは一番大きな岩蜥蜴の背をつるはしで叩いた。
「上は硬い。脇は柔らかい」
「それは分かったけど」
レオナは倒れた魔物を見回した。
「……怖くないの?」
ユアンも一度、倒れた岩蜥蜴を見た。
「岩蜥蜴だぞ」
「五匹いたよ」
「まあ、でかかったな」
レオナは黙った。
さっきまで、何匹をどちらへ飛ばすか考えていた。
誰を先に逃がすかまで考えかけていた。
その間に、全部終わっていた。
ギドが倒れた岩蜥蜴の脚を持ち上げた。
「こいつ、でかいな」
「重そう」
「持つか?」
「いらない」
「そうか。皮は取れそうだな」
「帰りにしろ。今持つと邪魔だ」
ローデンが言った。
ギドは素直に脚を下ろした。
レオナはまだ魔物を見ていた。
「行くぞ」
ローデンが歩き始める。
ユアンも続く。
レオナはようやく手を下ろし、最後にもう一度だけ五匹の岩蜥蜴を見てから後を追った。
***
さらに奥へ進むにつれ、青黒い筋は太くなった。
途中でまた何かが岩を打つような音がした。
レオナは立ち止まり、掌を上げかけたところでローデンを見る。
ローデンも足を止め、少し耳を澄ませた。
「水だ」
灯りを向けると、離れた岩壁から細い流れが落ちていた。
レオナは手を下ろし、また歩き始めた。
やがて、一行は大きく開けた壁の前で止まった。
そこでは青黒い鉱脈が、岩の中へ埋まっているというより、壁そのものの一部になっていた。
ローデンが手を当てる。
「ここはすごいな」
鉱夫たちも近づいた。
「これだけまとまってるの、上じゃ見ないぞ」
「道を広げれば運べるか?」
ユアンが来た道を振り返る。
「人なら通せる。荷車を入れるなら、途中の壁を広げないとな」
「先に足場だ」
ローデンが言った。
「あの亀裂もそのままじゃ使えん」
ユアンは少し考えてから頷いた。
「板と支柱がいるな。運ぶのは何とかする」
「仕事増やすの好きだな」
「増やしてるの俺じゃないだろ」
ローデンが笑った。
レオナは壁へ手を置いた。
魔力をほんの少し向けると、吸い込まれるように入っていく。
「これ、よく入る」
「さっきのより?」
ローデンが尋ねる。
「うん」
ギドが鉱脈へ近づいた。
「当たりじゃないか?」
「まだ分からん」
ローデンは鉱脈の縁を目で追った。
「端だけ取ってみるか」
つるはしを構える。
最初の一打で、周囲の黒い岩が少し欠けた。
二打、三打と続ける。
鉱脈の縁に沿って細かな亀裂が入り、青黒い塊が手のひらほどの大きさで剥がれ落ちた。
「きれいに取れたな」
ユアンが拾い、灯りへかざした。内部に青い筋が見える。
「これなら運ぶのも楽だ」
ローデンは別の場所を軽く叩いた。
音を聞き、割れ目を確かめてから、もう一つだけ切り出す。
同じように青黒い塊が落ちた。
少し遅れて、壁の奥で何かが小さく鳴った。
ローデンの手が止まる。
耳を澄ませたが、それ以上は何も聞こえない。
「今日はこれでいい」
「もう?」
ギドが壁を見た。
「道も足場もない。掘るのは準備してからだ」
「分かったよ」
ギドもつるはしを肩へ戻し、来た道へ身体を向けた。
レオナは落ちた石を一つ手に取り、魔力をほんの少し向けた。
やはり力が入りやすい。
「持って帰る?」
「二つあれば十分だろ」
ユアンがもう一つを袋へ入れた。
「戻るか」
そのとき、レオナの肩へ細かなものが落ちた。
砂だった。
見上げる。
今いた鉱脈の上ではない。
少し離れた天井の暗闇から、もう一粒落ちてきた。
「ローデン」
呼ぶより少し早く、ローデンも顔を上げた。
静かになった空洞に、水滴の音だけが残った。
遠くで、低い音がした。
今掘った壁とは別の場所からだった。
岩の奥を何かが走ったような、長い音。
「戻るぞ」
ローデンが言った。
全員が動く。
ユアンが袋を肩へ掛ける。
「急ぐ?」
「走るな。足元見ろ」
ローデンが先へ出る。
その瞬間、足元が揺れた。
レオナの頭上で岩が割れた。
「下がって!」
声と同時に魔力を上へ向ける。
落ちてきた岩が一つ、横へ弾かれた。
だが、その奥からさらに大きな音が来た。
空洞の入口側で岩が崩れ、灯りが一つ消えた。
土煙の中で誰かが叫ぶ。
「ユアン!」
「いる!」
すぐ近くから返事が来た。
レオナは声の方へ向かい、倒れた男の腕を掴んだ。ユアンが反対側の肩を持つ。
「立てるか?」
「足は大丈夫」
「ならこっち」
二人で壁際まで運ぶ。
もう一度、石が落ちる音がした。
レオナは崩れた場所へ向かおうとした。
「待て!」
ローデンの声が飛ぶ。
「そこ抜くな。上が乗ってる」
レオナの手が止まった。
崩れた岩の隙間から、まだ細かな砂が落ち続けている。
ローデンは灯りを拾い、天井と瓦礫を順番に見た。
「支える。ユアン、縄あるか」
「ある」
「入口側に声届くか?」
ユアンは肩に掛けていた縄を下ろすと、崩れた岩へ近づいた。
「おーい! 聞こえるか!」
少し間があって、向こうから声が返った。
「聞こえる!」
「怪我人は!」
「一人、腕やった! 歩ける!」
ユアンは振り返る。
「向こうも生きてる」
「支柱を持ってこさせろ。細いやつじゃなくて太いのだ」
「分かった」
ユアンは再び岩へ声を張った。
ローデンは崩れた石を一つずつ確かめながら、残った鉱夫に指示を出す。
レオナも横へ入った。
「私は?」
「そこ押さえろ」
ローデンが、瓦礫の上でわずかにずれている岩を指した。
「動かすな。支えるだけだ」
「分かった」
レオナは両手を岩へ当て、必要な分だけ力を向けた。
すぐ横で、別の男が小石を取り除いていく。
ユアンは向こう側と声を掛け合いながら人数を確かめた。近くにいる者を数え、向こう側にも人数を返させる。
途中で手が止まった。
もう一度数える。
「……ギドは?」
誰も答えなかった。
ローデンが顔を上げた。
「さっきまでいたぞ」
「鉱脈のところで、俺の後ろにいた」
ユアンが暗い奥を振り返る。
崩落した場所とは反対側だった。
「ギド!」
声が空洞へ響く。
返事はない。
レオナも耳を澄ませた。
「ギド!」
もう一度。
遠くで、小さな音がした。
声ではなかった。
石が一つ落ちた音だった。
続いて、天井の奥から低い音が返ってきた。
ローデンが灯りを持ち上げる。
ユアンも暗闇を見た。
レオナは岩から手を離さず、その先を見つめた。




