【8】賤ヶ岳の戦い 後編
【1582年2月下旬 北之庄城にて 柴田勝家】
秀吉の軍は今、伊勢で一益と戦っている。
戦況は互角だ。一益が作ってくれたこの機を、絶対に活かすぞ。雪解けを待たず、我らも越前を発ち、速やかに近江を制圧する。
【2月下旬 伊勢国府城にて 羽柴秀吉】
紀伊の雑賀衆に、和泉の岸和田城を攻められている。
織田家が二つに割れている隙を突かれたな。織田家とやつらは、ずっと前から険悪だからな。
岸和田城は数千の兵に包囲され、かなり苦戦しているようだ。ただ、雑賀衆は傭兵みたいなもんだから、万一 やつらが城を占拠しても、統治はできない。伊勢の滝川一益と合流するはずもないから、いずれは撤退するはずだ。しかし、雑賀衆はさすがに無理だろうが、ああいう戦闘のプロ集団を、俺の配下にしておきたいもんだな。
さて…忙しいが、俺はここらで、兵を残して長浜に戻るぞ。
【3月上旬 清洲城にて 織田信雄】
俺は、秀吉にも勝家さんにも付かずに、争いを傍観していたかったのに、結局 秀吉側になってしまった。
この争いは秀吉が制するだろうが、これで安泰じゃないよ。勝家さんが負けたら…俺も三法師も不要になる。
俺は、本当に滝川一益と戦っていて良いのか?
よくよく考えてみれば、秀吉があんなに好き放題やれてるのは、俺と信孝がくだらん争いをしていたからだ。
今からでも、あいつと力を合わせることはできないだろうか…。
賤ヶ岳砦付近 略図
【3月上旬 長浜への進軍中 柴田勝家】
近江に入っても、すぐに遮ってくる者はいなかった。秀吉は、長浜城でこちらを迎え撃つ作戦だろう。
敵は、琵琶湖の東の余呉湖畔に砦をいくつも築き、既に防備は万全なようだ。中でも最も固いのが、賤ヶ岳の砦だ。
敵の兵数は、こちらの倍近いだろう。伊勢にも兵を割いている秀吉が、ここに これだけの兵を動員できるのは、信孝様が降伏し、美濃の将兵が秀吉に付いたからだな。
こちらは、内中尾山城を奪って拠点にする。だが兵数で劣っていても、これはあくまで攻めの戦だ。守りを固めるより、攻めに攻めて必ず長浜城を落とす。
「戦の勝敗は、兵数で決まる」
そう言われるようになって久しいが、それが本当かどうか…
秀吉、お前を相手に、確かめてやるよ。
【3月中旬 田上山砦にて 羽柴秀吉】
おいおい、勝家。あんた、敵にするとこんなに手強いオッサンだったのか。
滝川一益より さらに年上のくせに、衰えってもんがまったくねえ。凄まじい圧力だった。砦に撤退できたから助かったが、完全な野戦だったらボロ負けしていたよ。
勝家は勇猛なだけじゃなく、指揮も上手いし、兵の練度も高い。ノコノコと近江まで出て来てくれて、もう楽勝だと思っていたが、とんでもねえぞ。
しかも、あの佐久間盛政とかいう、化け物みたいなやつ…あんなのもいたのか。
あいつは、俺の配下にしたいところだが…。そもそも その前に、あの勝家に勝たなけりゃならん。
俺がこんなに押されまくっていては、あの作戦にも、ほとんど効果がない。
困ったね。
【3月中旬 内中尾山上にて 柴田勝家】
兵のぶつかり合いならば こちらが優勢なのだが、秀吉には、守りの固い長浜城と、賤ヶ岳を始めとする複数の砦がある。
砦に撤退する敵兵を深追いするのは、まだ危険だ。もっと敵を減らしつつ砦を奪い、その後 長浜城に逃げ込んだ秀吉を包囲する。
俺はこの戦に勝つだけではダメだ。絶対に秀吉の首を取る。
秀吉…お前も、信長様から初めてもらった城で死ねるのなら、本望だろう?
【4月上旬 田上山砦にて 羽柴秀吉】
兵数も物量もこちらが上なんだ。無理をせずに戦っていれば、どこかで勝機を掴めるはずだ。
ここや賤ヶ岳と、その周辺の砦を固く守り、損害を抑えて戦え。
【4月上旬 清洲城にて 織田信雄】
はあ?信孝が、秀吉に逆らって、また兵を挙げた?
何もできずに、秀吉に降伏したばかりだったじゃねえか。勝家さんと戦っている秀吉の背後を突こうとでもしたのか?
だが、あいつの指揮と戦力じゃ、美濃から出ることもできないだろう。
これで秀吉は、信孝を処断することもできる。
やっぱり馬鹿とは、力を合わせるなんて無理だったか…。
【4月上旬 田上山砦にて 羽柴秀吉】
織田信孝は、本物の馬鹿だったようだ。
また兵を挙げるなんて、俺でも予想できなかったよ。やはり、あれを当主になんかしなくて良かったと、これで誰もが理解しただろう。
信孝は今、大垣城の近くで氏家直元と交戦中らしい。良い機会だ。俺が信孝を捕らえに行く。
このままでは、どうせ いつまでも決着が付かないが、俺がここを離れれば、戦況が動くかも知れないからな。
上手くいけば、あの作戦を発動できる。
それにしても…信長様がいないだけで、織田家がここまで劣化するとは思わなかったぞ。
【4月中旬 内中尾山上にて 柴田勝家】
信孝様が今さら、何をされたかったのかは よく分からんが、俺も一益も、救援に行くことはできない。
秀吉が自ら、兵の一部を連れて美濃に向かったが、それも何か狙いがあってのことかも知れない。迂闊には動くな。
【4月中旬 余呉湖付近 戦の前線にて 佐久間盛政】
柴田殿、これは攻めの戦なのだろう?
睨み合っているだけでは、兵数が多いほうがいつか勝つんだ。
敵が守りを固めれば、打ち破る。敵に策があれば、乗ってやる。
そうでもしなければ、勝てはしないんだよ。
【4月中旬 陣中にて 柴田勝家】
なに?佐久間盛政が独断で、賤ヶ岳とその周辺の砦を攻めているだと?
迂闊に攻めるなと命じたではないか。
………。
いや、そうではないな。俺は、これは攻めに攻める戦だと言った。
今こそ一気に攻めずに、いつ攻めると言うのだ。城の守りは最低限の数で良い。全軍、盛政に続け。手薄になった敵の砦を、一つ残らず落とすのだ。
【4月中旬 琵琶湖畔の陣中にて 丹羽長秀】
秀吉は、やはり周到な男だ。
勝家は果敢に攻めてくる。砦が奪われることもある。それに対し、私が一軍を率いて琵琶湖を渡り、兵を伏せておく。
そして秀吉の砦を奪った勝家が、さらに前に出てきた時、私がその背後を突く。秀吉は、ここまで想定していた。
今、私の目の前にあるのは、その想定通りの状況だ。やはり、秀吉を敵にしなくて良かったのだ。
勝家…。私は秀吉の作戦通りに動くが、できることなら、逃げろ。
【4月中旬 内中尾山上にて 前田利家】
柴田殿、悪く思わないでくれ。俺は、あんたには付いていけない。
戦場を離脱し、府中城に撤退する。
【4月中旬 美濃大垣城にて 羽柴秀吉】
勝家が全軍で前に出てきたようだ。
作戦は上手くいったぞ。今ごろ丹羽長秀が勝家の背後に回っている。利家は、勝家を救援せず、越前に撤退するはずだ。
信孝の処分は後回しで良い。全軍、急ぎ長浜に戻る。
全力で駆けろ。勝家の、首を取る。
【9】北之庄城の戦い に続く




