【6】岐阜城攻め
主な人物の領地(略図)
【1582年 11月中旬 清洲城にて 織田信雄】
秀吉から使者が来た。
「織田信孝と柴田勝家が、三法師様を安土に帰すのを拒んでおります。これは清洲城での会議の決定に反する行為であり、こちらの再三の説得にも応じません。よって、あの会議の決定を破棄し、織田信雄様を織田家の当主とすることで、相談役の過半数が合意致しました。
そこで羽柴秀吉が織田家の軍の先鋒として、織田信孝の美濃へ出兵することを、当主にお報せ致します」
ほら、やっぱりこうなるんだよ。あんな会議、何の意味もないって言ったじゃないか。…いや、思っただけで言ってはいないかな。まあ どっちでも良いか。
まったく、信孝や勝家さんは軽率過ぎるし、秀吉は強引過ぎる。言っておくが、俺は当主なんて面倒くさいことはやりたくないぞ。と、言ってみたが、誰も聞いてねえな。
だがもう、相談役の合意とやらで俺が当主になってて、織田軍、つまり俺の軍の先鋒として、もう秀吉が美濃に出兵してるんでしょ。滅茶苦茶じゃねえか。
結局ね、決め事がどうのこうのより、ロビー活動が上手いやつの勝ちなんだろうね。
今さら、俺は当主を引き受けた覚えはないとか言っても無駄なんだろう。嫌な予感しかしないが…勝手にしろ。
【11月中旬 北之庄城にて 柴田勝家】
相談役の過半数の合意で、信雄様が当主になっただと?
四人のうち過半数とは、秀吉と池田恒興と丹羽長秀か。そうか、あいつらはもう、秀吉に付いていたのだな…。
馬鹿とは、俺のためにあるような言葉だ。
【12月上旬 美濃大垣城にて 羽柴秀吉】
冬将軍とはよく言ったもんだよな。この時期に豪雪地帯の北陸から、勝家の軍が出ることはできない。 近江長浜の柴田勝豊の軍だけは抵抗するかと思っていたが、あっさりとこちらに降伏した。
柴田勝豊は、勝家の甥だが、関係はあまり良くなかったようだ。武田勝頼もそうだったが、落ち目になると、こんなにも急激に人が離れていくんだな。信孝も同じだ。美濃の稲葉一鉄、氏家直昌、森長可といった、有力な家臣が次々と寝返ってくる。戦に勇猛さなんて、要らなくなっていたんだと、改めて実感したよ。
俺にとっては、そのほうが断然やり易いがね。
【12月中旬 北之庄城にて 柴田勝家】
俺は、人を信じ過ぎるのだろうか。勝豊が何もせず秀吉に降伏するなどとは、考えてもいなかった。
長浜にも既に雪が積もり始めているのだから、美濃への進軍中に秀吉が、長浜城を長期間に渡って包囲など するはずがない。ならば、長浜城を無視して進んだはずだ。その後 密かに出兵し、秀吉軍の兵站を切る。俺ならそう考えた。
成功するかしないかは問題ではない。ただ降伏するよりはマシだということだ。
しかし勝豊ばかり責めるのも筋違いだ。そもそも秀吉が本拠地だった長浜を簡単に手放したの は、冬になると身動きしづらい、戦略上不利な場所だからだ。こういうときに重荷になる長浜を、考えもせず取った俺も悪いのだ。
それに、秀吉が信孝様の美濃を攻めれば、家中や民衆の反感を買い、せっかく得た立場を失う可能性がある。そんなリスクを冒せるわけがないと思っていた。
しかし、実際に人心が離れていっているのは、俺と信孝様のほうだ。これが人心掌握能力の差なのだな。
俺は、戦で将兵を鼓舞することしか知らない。こういう戦いでは、秀吉の足元にも及ばないと、まざまざと思い知らされた。俺ではなく秀吉に付いた、長秀の判断が正しかったのだろう。
今さら気づいても手遅れだがな。
【12月中旬 大垣城にて 羽柴秀吉】
俺の作戦では、冬のうちに美濃の岐阜城を落とし、雪が解けたら怒り狂って攻めてくる勝家を迎え撃つはずだった。敵のホームでは戦いたくないからな。勝家が長浜に入り、そこからさらに南下し、美濃までお越し頂きたかった。
だがその前に、長浜が無傷で帰ってきてしまった。まあ それならそれで、長浜で迎え撃てば良いだけで、俺が勝つことに変わりはない。
岐阜城の信孝も、そろそろ音を上げて降伏するだろう。
信長様の下で戦っていた頃は、戦術ばかり考えていたが、トップに立つには、戦略こそ重要だと分かってきたぞ。
【12月下旬 清洲城にて 織田信雄】
信孝のやつ、威勢だけは良かったのに、秀吉にあっさり負けちゃったよ。
雪で勝家さんの援軍が来られず、美濃の家臣らにも見放されて、何の抵抗もできず降伏したようだ。
俺は雪合戦なら得意だが、雪ってそういう使い方があるもの分かったぞ。
【12月下旬 清洲城にて 丹羽長秀】
秀吉は、信孝様から取り返した三法師様を、信雄様の清洲城に移した。岐阜城を攻めるために、信雄様を織田家の当主としたが、本来の当主は三法師様なのだ。ならば秀吉が安土城にお連れして、当主の座に戻せば良いはずだ。
やはり秀吉には、いつまでも織田家の臣でいる気はないのだ。勝家を破り、家中に刃向かう者がいなくなれば、あいつは野心を剥き出すだろう。
その時、信雄様も織田家の当主ではなくなる。
これが、秀吉の絵図で間違いない。
【7】賤ヶ岳の戦い 前編 に続く




