【27】幻想の兵
【1590年3月 聚楽第にて 豊臣秀吉】
天皇陛下から、正式に北条家討伐を命じられ、節刀を授かった。俺も本隊を率いて、小田原に出陣する。
先鋒は既に箱根を越えたが、十日もあれば追い付くだろう。
小田原城を攻め落とすには、おそらく一年はかかる。いくら俺でも、そんな軍費を易々と出せるはずはない。だから三成の懸念は正しい。
だが、俺が落とすのは、小田原城ではないんだ。攻めるのは、城ではない、まったく別のものだ。
【3月 箱根から小田原に進軍中 徳川家康】
複数の大名の将兵が、混成して大軍を組織すると、普通は兵の質や武将の指揮力に差が出てしまう。
すると、全体を一番低いレベルに合わせざるを得なくなり、動きが鈍重になるものだ。東海道・中仙道・海路と分かれているとはいえ、この東海道だけでも兵は十万に及ぶ。
だがこの戦では、そんな大軍にありがちな、鈍重さを感じない。
軍が機敏に動くことに不満はないのだが……この違和感はなんだ?
【3月 松井田城にて 真田昌幸】
さすがは大道寺政繁だ。松井田城を落とすのにかなり手間取ったよ。兵の損害も少なくない。
こっちが圧倒的なのは、兵数だけではない。弾薬数も十倍近いし、質でも大きく上回っている。たとえ籠城していても、あれほど粘られるとは思わなかったよ。
最後は降伏したが、まったく恥ずべきことではない。
前田利家が、秀吉の家臣に推挙するために、箱根の本陣に連れて行った。秀吉なら、まず間違いなく気に入る男だろうな。
ただ……俺に何か、言いたげな顔をしていたのは、気のせいかね。まあ、別にどうでもいいけどね。
【3月 陸奥 黒川城にて 伊達政宗】
秀吉が、さも当然のように、北条攻めに出兵しろと命じてきた。
これは、言うまでもなく恫喝だ。秀吉の下、北条攻めに加われば善し、拒めば、次は伊達家があの大軍に攻められる。
何年か前に、関白の権力を笠に着た秀吉が、名目のない戦を禁じてきた。だが俺は、それに従わず蘆名を討った。これは秀吉にしてみれば、伊達家を討伐する格好の口実になってしまう。
膝を屈するのは内心穏やかではないし、おそらく、蘆名から奪った会津も召し上げられるだろうが、それでも俺は、秀吉に従うしかないと思っている。二十万を超える軍と、まともに戦う術などありはしないのだ。
だが家臣たちの意見は、秀吉に服従するしないで、真っ二つに割れているし、北条家とは同盟を結んでもいる。易々と秀吉に従うと決定するわけにはいかない。実際、秀吉への臣従に反対する家臣たちが、俺を排除し、小次郎(政宗の弟)を当主に就かせようと画策している。
今、俺が秀吉の旗の下に参じたら、小次郎派が伊達家を乗っ取るのは目に見えている。
たがもし、秀吉と北条の戦がこのまま終わってしまえば、伊達家も間違いなく滅ぶ。
もたもたしている暇はない。家臣に担がれているだけの小次郎には気の毒だが…殺すしかない。
【3月 小田原の陣中にて 徳川家康】
おかしいと思ってよく調べてみたら、違和感の正体が分かった。
秀吉が、二十二万の兵を動員すると、繰り返し強調していたのには、別の狙いがあったんだ。これは見事に騙されたよ。
実は、兵は二十二万もいないんだ。せいぜい六割くらいかも知れない。秀吉は、伊達家を含む全国のやつらに、関白の威光とやらを見せつけ、自分にひれ伏させようとした。二十二万もの兵を楽に動員できるとなれば、誰も秀吉に刃向かう気など起こさない。
だが秀吉の財力だって、無尽蔵ではない。俺と戦い、九州を平定し、今度は小田原攻めだ。二十二万人分の兵糧なんて、楽に用意できるものではない。
要するに、実際より兵を多く見せかけていただけなんだ。
それが分かったのは、あいつのおかげだ。織田信雄、あいつが戦場にいないんだよ。率いてきた兵ごとだ。
駿河を通って箱根までは来ていたのは確実だ。そこからどんな手品を使ったのかは分からないが、どうやら信雄は、長島城の奥の間にいて、人目に触れないようにしているようだ。他にも何人か、参戦したはずのやつが、実は戦地にいない。
ここに いないやつらは、伊豆の城でも攻めているのかと思い込んでいたが、そうではなかっ た。秀吉は上手いことを考えたもんだよ。おそらく自分の本隊も、謳っている数より少ないんだろう。
猿芝居に、すっかり騙されてしまったが……今回だけは、お見事だと拍手をしておいてやるよ。
【3月 小田原の陣中にて 黒田官兵衛】
なるほど。まさに、敵を騙すには味方からだな。
織田信雄ほど影が薄ければ、いてもいなくても大して気にもならない。他の何人かも同じだ。秀吉様はそうやって兵の実数を減らしておきながら、二十二万と言い続けていたのだ。
この手口は昔からあるが、ここでやるとは恐れ入ったよ。
しかし…それならそうと、俺や石田三成には、手の内を明かしておくべきだと思うがな。
【3月 早雲寺の本陣にて 豊臣秀吉】
そろそろ気づいたやつもいるようだな。本当は兵は二十二万人もいないんだ。実数は十二万ちょっとだよ。
二十二万人だなんて、北条を攻めるには多すぎる。あの小田原城を、兵数を恃みに攻める気もねえしな。
だが、どいつもこいつも初めは、兵は二十二万だと思い込んでいた。今でもそう思っているやつも多いだろう。
そんな途方もない数の兵なんて、誰も見たこともねえんだ。だから、これがそうだって言われれば、そんなもんかと思うだけだ。群れの中にいては、群れの総数は分からねえしな。
当然 色々と細工もしたよ、例えば織田信雄は、箱根までは本当にいたが、密かに駿河湾に移動し、船で伊勢に引き返させた。あとは各部隊の兵を少しずつ減らしたりな。
何人もの大名の混成の軍だし、全体の数を把握できるのは俺の本営だけだから、他のやつらは気づかない。戦線を伊豆のほうにまで拡げてしまえば、誰かの姿が見えなくても、他の場所で戦っていると思い込む。
敵は、偽りの大軍に備えて籠城し、国中のやつらは、ただただ圧倒されて、俺にひれ伏すんだ。
俺が作り出した、幻想の兵に惑わされてな。
【28】大道寺政繁の献身 に続く




