【17】天正地震
【1585年7月中旬 近衛邸にて 近衛信輔】
羽柴秀吉…あの下賤な者が関白とは……。
世も末だな。
父(近衛前久)も、あの成り上がり者を猶子にするとは、なんと愚かなことをしてくれたのだ。
【7月中旬 京都奉行所にて 前田玄以】
公家たちは、秀吉様が単なる奇策で関白に就いたと、本気で思っているのか?
自らが、近衛前久の猶子になり、関白たる資格を得る。
確かに、あんな手段は凡人では考え付かないし、考え付いたとしても、とても実行しようとは思わない。しかし秀吉様は、それを迷わず実行し、無理を通してしまった。
あの硬軟織り交ぜた手練手管を、ただの奇策だとしか考えていないなら、朝廷も公家も、秀吉様に利用されるだけになるな。
しかし……朝廷と折衝する、私たちのような役人の身にも、少しは なってほしいよ。
【8月下旬 浜松城にて 徳川家康】
今年の収穫も良くはないね。
荒れた田畑を元の状態にまで戻すには、最低でも数年はかかるだろう。逃亡する農民もかなりいた。一晩で人がいなくなった集落まである。
甲斐・信濃まで領地は広がったが、生産力はむしろ低下してしまっている。やはり去年の戦は、やっちゃいけなかったんだって、つくづく思うよ。領地を支える大本は、武力ではなく生産力なんだ。
四国の長宗我部元親も、越中の佐々成政も降伏したし、あの関白殿下は、和睦の期限が切れたらすぐにでも、三河に兵を出してくるだろう。
だが秀吉は、関白に就いたことで、逆に自分を縛ったとも考えられる。いくら和睦が切れても、天皇に次ぐ地位の関白が、無闇やたらに他の大名を攻めるわけにはいかないはずだ。
関白として、俺に上洛も命じてくるが、それに従ったら臣下の礼を取ったことになってしまう。
つまり、上洛はせずに、尚かつ戦の口実を与えないように立ち振る舞い、領内を立て直す時間を稼ぐのが、俺に残された唯一の道ってことだ。
細くて長くて脆い道だが、渡りきってみせる。
【9月上旬 大坂城にて 羽柴秀吉】
俺は、近衛前久の猶子になり、藤原秀吉として関白に就いた。
だが藤原姓は、関白の〈資格〉を得るためだけのものだ。これだけでは、俺は近衛家の一員でしかなく、天下人としての絶対的地位を築いたとは言えない。
だから俺は、俺が始祖となる氏姓を創設することにした。
【9月中旬 京都奉行所にて 前田玄以】
また、無理難題を思い付く…
【11月中旬 大坂城にて 羽柴秀吉】
石川数正が来たか。約束を守ったんだな。律儀な男だ。
だが、俺のために本気で働きはしないだろう。河内に領地を与えておけ。今は、あいつを家康と引き離せただけで十分だ。
家康は俺の、再三に渡る上洛の命令にも従わない。それだけでも、あいつを攻める理由にはなるよ。俺を甘く見るなよ。
来年早々に、徳川家康討伐のため、三河に出兵する。
【11月下旬 浜松城にて 徳川家康】
昨夜、大地震があった。幸い俺の領内では、大した被害は出なかった。
どうやら、一番甚大な被害を被ったのは、近江や美濃あたりらしい。
秀吉が三河への出兵の準備を始めたタイミングで、地震が直撃したみたいだ。建物が壊れ、人もたくさん亡くなった。
本当は、民衆だけは助けてやるべき事態なんだけど、今は俺にもそんな余裕はないんだ。それも、不毛な戦のせいだよ。
地震は、どうしたって起こるものなんだ。でも戦は、起こらないようにできる。こんな戦ばかりの世の中は、早く収めなければダメだ。
なあ秀吉、あんたはどう思うんだ?
【11月下旬 坂本城にて 羽柴秀吉】
とんでもない地震だったが、明智光秀が築いた坂本城にいたおかげで助かった。
あいつの築城の上手さに感謝しないとな。
出兵準備の検分で近江に来ていたが、被害は甚大で戦どころじゃないのが一目で分かる。家康に対しては、武力ではなく外交による懐柔に切替えるしかない。
まずは被害を受けた土地の復興が第一だ。
しかし、すべて上手くいっていたところだったのに、選りに選って、こんなタイミングで地震が起こるなんて……家康のやつ、命拾いしやがったな。
自然の猛威の前では、どんな武力も権力も無意味だ。せめて、さっさと国を統一して、こういうときには、人が助け合える世の中にするべきだよな。
だから家康……俺に、力を貸す気にはならないか?
【18】家康の臣従 に続く




