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秀吉「俺が、天下を取る!」  作者: スグル【戦国時代好きの40代】


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【16】関白宣下

【15】石川数正の寝返り から、遡ること約一年。小牧長久手の戦いの和睦の直後、秀吉は従三位 権大納言に任じられた。そこから関白就任までを描く。

【1584年11月下旬 大坂城にて 羽柴秀吉】


 和睦の条件として、織田信雄は俺に伊賀を差し出した。明らかな敗北宣言だ。もう誰も信雄を当主とは認めない。


 信雄自身もそうだろう。元々 自らが何かを()そうとする人間ではない。信孝のように、再び挙兵するなどという愚は犯さないはずだ。


 家康を殺すことはできなかったが、和睦の期限はたった一年だ。来年になれば、今度はこちらから三河を攻めることができる。


 あの戦が終わった直後、俺は従三位(じゅさんみ) 権大納言(ごんだいなごん)に任じられた。信長様も就いていた官職だ。朝廷も、俺を信長様と同等以上と認めたということだ。


 毛利輝元と上杉景勝は、俺に臣従したようなもんだし、今は紀伊の雑賀(さいか)衆を攻める準備をしている。


 来年のうちに、四国の長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)と、越中の佐々成政(さっさなりまさ)も降伏させられるだろう。それで、信長様の最大勢力を越えられる。


 天下と言えば畿内というのが常識だったが、ここまできたら俺は畿内に留まらず、日本全土を統一してみせる。



【1585年2月下旬 浜松城にて 徳川家康】


 領内の疲弊(ひへい)は著しいが、数年あれば、なんとか立て直せそうだ。


 だが、十二月には秀吉との和睦が期限を迎える。もしその直後に、秀吉のほうから攻めて来られたら、絶対に勝てない。三河・遠江は秀吉に、信濃は上杉景勝に攻め落とされる。領地が甲斐と駿河だけになったら、俺は秀吉に降伏するしかない。


 だから、秀吉との開戦を遅らせる方法を探しているが、どれもこれも、上手くいく気がしないんだ。人質を差し出しているが、あれで十分とも思えない。


 やはり、去年 勝てなかった時点で、勝負ありだったのかもな。



【3月上旬 大坂城にて 羽柴秀吉】


 内大臣 近衛信輔(このえのぶすけ)が左大臣に上った。そして空席になった内大臣には、俺が任じられた。これで俺の位階は正二位(しょうにい)になり、織田信雄の上に立った。


 つまり朝廷は名実ともに、俺を武士の最高位として認めたということだ。


 俺は血筋は良くないし、未だに、織田家を乗っ取ったと言うやつもいた。だが、朝廷のお墨付きが出たのは大きいよ。これで、堂々と〈羽柴政権〉の天下統一を進めることができる。



【3月下旬 浜松城にて 徳川家康】


 徐々に領内の生産力は回復の兆しを見せている。新しい軍制にも馴染んできた。だが、秀吉との差は大きくなる一方だ。


 秀吉は今月、紀伊の雑賀衆を攻めて降伏させ、四国の長宗我部元親を攻める準備にも入っている。


 さらに内大臣に任じられ、もうあいつを、織田家の簒奪者(さんだつしゃ)などと批判もできない。


 もはや、天変地異でも起こらない限り、俺も来年くらいには、秀吉に膝を屈するしかないのかな。



【6月中旬 大坂城にて 羽柴秀吉】


 朝廷は、俺をまた上位の官職に任じてくれるようだ。


 だったら、始めからその官職に就かせてくれれば手間が省けると思うんだが、大臣には序列があって、上位の者を飛び越えて昇進するわけにはいかないらしい。


 実力があれば、どんどん上に行ける武士とは、まったく違う慣習だな。


 そんで、俺が次に上る予定なのは右大臣とのことだ。思えば、信長様が最後に就いたのも右大臣だった。一年ほどで その職を辞したとはいえ、右大臣だった信長様は、その後 不慮の死を遂げた。


 そう考えると、右大臣に就くのは、俺にとって縁起の良いものではないな。


 俺は右大臣には就かず、その上の左大臣の座を望む。



【6月中旬 近衛邸にて 近衛信輔】


 羽柴秀吉は、右大臣でも破格の昇進だというのに、さらに上位の、左大臣に就くことを望んでいる。


 そのためには、左大臣に就いたばかりの私が、職を辞さなければならない。だが五摂家(ごせっけ)筆頭の近衛家の者が左大臣にまでなったからには、関白にも就任するのが通例だ。だから私は、関白に就くまでは左大臣を辞する気はない。


 しかし、関白に就いたばかりの二条昭実(にじょうあきざね)も、あまりに早く関白職を譲るのを拒んでいる。ならば私も、せめて一年は待つしかないだろう。


 こういった問題が起きるのも、羽柴秀吉が素直に右大臣に就かず、左大臣の座を要求しているからだ。


 無論、羽柴秀吉の功績は認めざるを得ない。だが今は序列通り右大臣に就くか、内大臣のままでいてもらうしかないのだ。


 *関白は令外官(りょうげのかん)なので、大臣との兼任が可能

 *五摂家…近衛家・九条家・二条家・一条家・鷹司(たかつかさ)



【6月下旬 大坂城にて 羽柴秀吉】


 関白とは、天皇の補佐官だな。俺が関白になれれば、全国統一が さらにやり易くなる。


 近衛信輔が左大臣を辞する気がないなら、それで構わない。俺は左大臣になどならず、関白になる。


 ……という話を朝廷に打診したが、俺は関白には なれない決まりらしい。


 五摂家とかいう家の者以外、関白に就いた前例がないからなのだそうだ。前例がないからできないのでは、新しいことは、何もできないではないか。


 朝廷も公家も、頭が固くてダメだ。



【6月下旬 京都奉行所にて 前田玄以(げんい)


 こんなときに、京都町奉行になっているとは、私も運が悪い。秀吉様がいくら言い募っても、できないものはできないんだ。


 だが秀吉様が言い出したことは、絶対に諦めない。最近は特にそうだ。


 まったく…胃が痛いよ。



【6月下旬 近衛邸にて 近衛信輔】


 二条昭実は、関白職をいずれ息子に譲るつもりのようだ。近衛家の私が、左大臣でいる以上、次は私に譲るのが筋ではないか。


 そちらが筋を通さないのであれば、私が一年待つ意味もない。既に右大臣も辞している二条昭実には、関白の辞任も要求する。



【7月上旬 大坂城にて 羽柴秀吉】


 前田玄以は有能な役人だが、常識的過ぎて、押しが弱い。朝廷に、俺の関白就任を再交渉させたが、すごすごと引き下がってきた。


 だが、面白い情報も拾ってきた。


 現職の関白の二条昭実と、左大臣の近衛信輔が、関白の座を譲るの譲らないので、政争を始めたようだ。


 良いね。京の責任者でもある俺は、朝廷内の政争を見過ごすことはできないよ。俺が、争いを仲裁してやろう。



【7月上旬 京都奉行所にて 前田玄以】


 秀吉様は、私のような凡人とは、思考のレベルが違い過ぎる。


 二条家と近衛家、どちらが次の関白になっても禍根(かこん)が残る。だから、そのどちらでもなく秀吉様が自ら関白になり、争いをやめさせる。


 だが、秀吉様は五摂家の出ではない。それならば、前関白の近衛前久の猶子(ゆうし)になれば、形式上だけでも〈近衛家〉の者になる。


 はっきり言って、無茶苦茶な論理だ。


 だが形式さえ整ってしまえば、朝廷には拒むこともできない。朝廷を支えているのは紛れもなく、秀吉様の政事力と軍事力と経済力だからだ。秀吉様は、そこまで分かって、あえて無茶苦茶な論理を振りかざしている。


 これで、秀吉様が関白になるのは間違いない。



【7月中旬 大坂城にて 羽柴秀吉】


 狙い通り、関白に任じられた。ちょろいもんだよ。


 俺の天下統一に、朝廷の権威まで使えるようになった。


 公家の好きな、前例とやらも作ってやった。前例に倣い、次の関白にも、その次の関白にも、羽柴家の者が就くよ。



【17】天正地震 に続く

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