【13】小牧長久手の戦い 中編
【1582年4月上旬 楽田城にて 羽柴秀吉】
池田恒興の策は失敗だったようだ。
岩崎城なんて小さな城は無視して、三河に侵入すれば良いだけなのに、何をやってんだろうね。奇襲は、速さが最優先に決まっている。城攻めに費やした数時間のロスがなければ、家康が追い着く前に、岡崎城の間近まで進めたはずだ。
池田恒興の策は良かったのに、現場での判断が悪かったな。長久手のあたりで池田恒興と森長可は討ち取られ、兵の損害も数千に上る。まったく酷い敗戦だよ。
恒興を追って行ったのは、武田軍を彷彿とさせる赤い具足の軽騎兵隊だったが、速さも強さも尋常ではなかったようだ。
家康のところに、あんな部隊もいたとは驚いた。今後も、警戒しなければな。
しかし、この敗戦が戦の全体に与える影響は、さほど大きくはない。ただ、家康がこれを十倍くらいに膨らませて〈羽柴秀吉の軍に徳川家康が大勝利〉とか、大袈裟に喧伝されるのが鬱陶しいんだよな。家康なら絶対にやるよ。それを簡単に信じちゃうやつも多いんだよ。
だが あの二人が揃って死んだおかげで、尾張を他の者への恩賞にできるようにもなった。信長様にも仕えていたやつらは、俺にとって必ずしも使い易いわけではないし、結果的には、これで良かったとも言える。
何事も、捉え方次第だよ。
【4月上旬 長久手にて 徳川家康】
良いぞ。早速 敵の有力な武将を二人も討ち取った。
〈徳川家康が、羽柴秀吉の策を見破り、長久手で大軍を蹴散らした。秀吉を討ち取るのも時間の問題だ〉って大量のビラをばら撒け。特に、四国には多めにな。
毛利輝元は もう秀吉に刃向かいそうもないが、四国の長宗我部元親なら、呼応して兵を挙げる可能性があるからな。
【4月上旬 小牧山城にて 酒井忠次】
ああそうですか。勝ったのですか。それは良かったですね。でも いつもいつも俺に、無理難題を押し付けるのはやめてくれねえかな。
【4月中旬 小牧山城にて 石川数正】
やはり、今の家康様は行け行けだが、それだけで、この大規模な戦に勝てるわけではない。
秀吉の首ではなく、早く美濃を奪うか、こちらに有利な条件での講和に持ち込むべきだ。秀吉 にそんなに簡単に勝てるはずがないと、家康様も分かっているはずなのだが、どうも今回は抑えが利いていないようだ。
いや、家康様はじっくり話せば分かるから良い。もっと不安なのは、あの軍団の暴走だ。
武将たちが ある程度の裁量権を持ち、柔軟に大胆に動けるのは良いのだが、ときどき家康様でも止められなくなるのだ。
敵将も討ったし、今回はそうなる可能性が極めて高いな。
【5月下旬 楽田城にて 羽柴秀吉】
四国の長宗我部元親が兵を挙げた。織田家とは、色々と因縁があるからな。俺とも無関係ではない。
家康が撒いたビラの効果もあったのかもな。関東では、北条が俺と親密な佐竹家を攻めているし、紀伊の雑賀衆もまた暴れ出した。まったく鬱陶しい。
俺は一度 大坂に戻り対応を練るしかないな。その間に敵を休ませないように、滝川一益を動かしておくか。
【6月上旬 伊勢某所にて 織田信雄】
一応は同盟しているから、家康に協力しているが、俺は積極的に戦う気はない。
これは実質的には、家康と秀吉の戦いなんだ。戦況も膠着気味だし、俺が兵を指揮しても しなくても大差ないしね。
ということで、気晴らしに彼女と夜の海デートしているんだ。こういうのが、当たり前にできる平和な世の中に早くなってほしいよ。
おや?海から兵が上陸しているよ。援軍が来るなんて聞いちゃいないが…。
ああ、あいつは滝川一益じゃないか。勝家さんと組んで、伊勢を攻めて来たことがある。ええと…だから秀吉の敵で、つまり今は俺の味方か?
いや、そんなわけがないね。勝家さんが死んで、今は秀吉に尻尾を振っているんだろう。親父の家臣だった頃から、散々 人を殺してきたくせに、自分の命は惜しいのか。ああは なりたくないね。
でも敵兵はまだ、そんなに多くない。
せっかくのデートが台無しだが、メンドくさいことになる前に、あのオッサンを懲らしめに行ってやるか。
【6月上旬 小牧山城にて 徳川家康】
蟹江城が奪われた?ああそうか、今度は海軍か。
秀吉軍は兵数も多いし装備も良い。おまけに軍船もたくさん持っていたんだったな。
尾張と伊勢の境に、敵の拠点を作らせるわけにはいかない。だが、あの辺りに兵はほとんど配置されていない。非常に困ったね。
これは、思った以上に厳しい戦だったな。とにかく蟹江城に急行するぞ。
【6月中旬 大坂城にて 羽柴秀吉】
なんだと、また作戦が失敗した?滝川一益の上陸が見破られていたのか。
基本的に野戦の武将である家康が、まさか海軍の動きまで、こうも敏感に察知するとは信じられん。本当に恐ろしい男だ。
しかし、長宗我部や雑賀衆まで同時に相手にしているが、やつらは全然 怖くねえな。家康以外は、どさくさに紛れて攻めて来ているだけで、追い払うのは簡単だ。所詮 やつらは、自分の都合しか考えてはいないから、局地戦が同時に複数 起こっているだけで、個別に撃破すれば良いだけだ。
信長様が、どれだけ包囲網を張られても平気だったのは、こういうのを知っていたからなんだな。俺にも分かってきたぜ。
よし、また尾張に行って家康を攻める。製造中の新兵器も、この戦に間に合いそうだ。
もう小細工は必要ない。
【6月中旬 清洲城にて 徳川家康】
蟹江城を奪ったのは、滝川一益の部隊だった。
しかし、すぐに信雄の軍が城を包囲し返したおかげで、他の城は奪われずに済んだ。蟹江城も、すぐ奪還できるだろう。
しかし あの信雄が、沿岸の警備も怠っていなかったとは驚いたよ。そして迅速に軍を動かして、被害を最小限に食い止めた。軍事の才能など まるでない、道楽息子だと思い込んでいたが、実は違うのか?
つい忘れそうになるが、あいつの父親は織田信長なんだ。もしかして信長みたいに、うつけ者を演じているだけで、本当は天才なのか。あいつが天才なら、秀吉にも勝てるぞ。
バカか天才か……どっちなんだ?
【6月中旬 小牧山城にて 石川数正】
家康様はおかしなことで悩んでいるが、信雄はバカでも天才でもなく、凡人なのだ。それを自覚してもいるから、物事を偏りなく、普通に見ることができているのだろう。
この異常な世の中で普通でいられるのは、ある意味すごいことだが、信雄が戦に勝ちたいなどという欲を持てば、おそらく ただのバカになり下がる。だから変な期待をしてはダメなのだ。
まあ、それも含めて、家康様とまた じっくり話をしなければならないな。
【7月上旬 小牧山城にて 酒井忠次】
家康様と数正が、二人だけで話し込むことが多くなった。軍議では できない話をしているのだろうな。数正は初めから、この戦に消極的な態度だった。おそらく撤退を進言しているのだろう。
領内が限界に近いのも分かっている。だが今、天下に王手をかけている秀吉と、寡兵で互角以上に戦っている最中に撤退など、軍団としては受け入れ難いものがある。特に、本多忠勝と榊原康政は、徹底抗戦を主張するはずだ。我が儘ではなく、責任を感じているからだ。
家康様を国のトップに立たせるために、これは どうしても勝たねばならない戦なのだ。兵数の差など、初めから分かっていたのだから、言い訳にはならない。田畑を耕しもせず、飯は人一倍食う我々は、戦に勝つからこそ存在意義があるのだ。
今回の戦は、実に不甲斐ない。だが、絶対にまだ諦めはしない。
【14】小牧長久手の戦い 後編 に続く




