【11】家康との決裂
【1583年9月 大垣城にて 池田恒興】
秀吉の狡猾なやり方には、賛否あると思う。
だが結局は、過程より結果がすべてなんだ。天下を取るのはもう、秀吉で決まりだよ。だから秀吉の下で、できるだけ良い地位を保つのが賢い生き方だ。
天下なんか取るようなやつは、実力があるのはもちろん、狡猾で陰湿なんだと思うよ。信長様が天下を取る寸前で死んだのは、狡猾でも陰湿でもなかったからだよ。……多分。
秀吉が俺に大坂をくれたときから、何か狙いがあるとは感じていた。本当は、秀吉も大坂を欲しかったが、必要以上に領地を拡げて警戒されないために、あえて一度 俺に寄越しておいたんだ。
それに、俺に領地をやっても、いつでも取り返せると思っていたんだろう。実際、美濃を信孝から奪ったらすぐ、岐阜と大垣を俺にくれて、代わりに大坂を自分のものにした。俺は天下を取りたいわけでもないから、畿内に拘ってはいない。広くて故郷に近い、美濃のほうが良いんだ。
秀吉は、畿内で最も立地が良い場所の一つ、大坂の本願寺跡地に、自分のバカでかい城を築き始めた。京は、守りにくいうえに面倒なところだが、大坂なら海も有るし、軍事や貿易にも向いている。
ここまで読んで、清洲城で遺領分配をしたのなら、あいつは やはり天下を取れる男だってことだ。
さらに、安土城はいつまでも再建せず、三法師様を坂本城に移しちまうし、自分で当主に祭り上げた信雄には、今後 畿内に入るななんて言っている。
秀吉、完全に調子に乗っていやがる……って、誰かに思わせたいんだろうな。
やっぱり、狡猾な男だよ。
【10月 浜松城にて 徳川家康】
俺が北条家と同盟したことを、秀吉に咎められた。
お前は織田家の当主じゃないんだから、つべこべ言う資格はないんだよ……っていうのは、もう 通じないんだろうね。名目上の当主は織田信雄だが、事実上は秀吉なんだ。
いちいち分けて考えるのは面倒くさいし、織田家は秀吉のものってことで良いよ。とにかく北条家と同盟した俺は、羽柴秀吉の敵になったわけだな。そのほうが すっきりするよ。
さらに信雄には、畿内への立ち入りを禁じたようだ。信孝を攻めて自害させたし、次は信雄ってことだろう。だから信雄を挑発し、戦を起こさせようとしているんだ。
ここで信雄が単独で秀吉と戦っても、確実に負ける。そう言う俺も、秀吉に勝てる見込みは薄い。
だが…もし俺と信雄が組んで戦えばどうだろうな。それなら、調子に乗っている秀吉の鼻を、へし折ってやるれるんじゃないか?
【10月 岡崎城にて 石川数正】
どう考えても今の状態では、秀吉の領内への遠征は三ヶ月が限度だ。
かと言って、兵を減らしては勝てない。ほぼ総兵力で行って、やっと僅かに勝機がある。秀吉との戦力差は、それくらい大きい。
三ヶ月間だけ全力で戦い、それで勝負が付かなければ速やかに撤退する。仮に戦に勝とうが、領地経営が破綻するのだけは許されない。天下がどうのと言う前に、領民の生活を安んじるのが領主の務めなのだ。
しかし家康様が言うように、もし織田信雄と同盟できて、戦場が尾張ならば、最大で六ヶ月は戦える。織田信雄とならば、利害も一致している。信長の息子の中で、出来の悪さには定評があるが、今回はあの男と組むのが一番良いのだろうな。
すぐに、織田信雄と同盟の交渉を始めよう。
【12月 山崎城にて 羽柴秀吉】
家康が巣に籠もっていては、狩るのが難しい。だから慎重な家康を、領地から出て来させる上手い方法がないか考えていた。
だがどうやら、俺が何かするまでもなく、巣から出て来てくれそうだ。裏で信雄との同盟交渉を進めているらしいからな。東の北条と同盟した家康が、西の信雄とも組む目的は、共同で俺と戦うこと以外にはあり得ない。
あの二人が手を組むと、それなりに厄介ではあるが、それでも戦って負けることはないだろう。むしろ、両方を同時に叩けるチャンスだと思ったほうが良い。
家康と内通したのを口実に、こちらから信雄を攻めることもできる。タイミングを見計らって、こちらから仕掛けてやろうか。
【1584年1月 大垣城にて 池田恒興】
秀吉、こっちから信雄を攻める気か。しかも、家康も同時に相手にする。やることが大胆だね。
それに、人を動かすのも上手いんだ。信雄に勝ったら、今度は尾張をくれるんだってよ。そんな餌をぶら下げられたら、必死で戦うしかねえよな。
まったく、狡賢いよ。
【1584年1月 清洲城にて 織田信雄】
戦はやりたくないが、大人しくしているだけでは、秀吉にいずれ潰される。そう思っていたところに、徳川家康から同盟を持ちかけられた。
家康も、秀吉に天下を取らせたくないのだから、自然な流れだね。単独では秀吉に勝てるわけがないしな。
条件は、尾張の城をいくつか家康の軍に貸すことと、兵糧の一部を供給してやることだ。協力はするが、それぞれの都合を優先して構わない。
つまり、あくまで急拵えの同盟であり、一蓮托生ではないってことだ。お互いに利用し合うだけ の緩い関係だ。同盟なんて、そのくらいのほうが良いよ。それについては、まったく問題はない。
しかし、俺の重臣の中に、こちらの機密をずっと秀吉に漏らしている者がいた。そういうのも戦の一部だったんだな。良い勉強になったよ。
内部に敵がいては戦えない。そいつを即座に打ち首にしろ。
【1584年3月 岡崎城にて 石川数正】
織田信雄との同盟は、予想通りすんなりと成立した。しかし交渉の途中で気づいたが、信雄の重臣の中に、挙動が明らかにおかしい者がいた。
よく調べさせてみたら、やはり秀吉に情報を流していたようだ。
織田信雄は、聞いていたほどのバカ殿ではなかったが、まだ経験は足りない。まあ こちらとしては、信雄との同盟は どうせすぐ露見するのだから、大した問題にはならない。
信雄が、秀吉に通じていた重臣を、即座に打ち首にした判断も正しい。
とにかく、これで戦の準備は整った。
ついに、家康様が天下を取る、初めてのチャンスが来た。
【3月 大垣城にて 池田恒興】
秀吉と家康なら、実力も狡猾さも互角なんだろうが、勝つのはやっぱり秀吉だよ。根拠はない、ただの勘だけどよ。
この戦が終わったら、俺は尾張をもらって、秀吉の下で最大の領地を持つ大名になれるんだ。
良いね。今までになく、やる気が漲ってくるよ。
正直に言うと……俺にとっては、信長様が死んでくれて、良かったぜ。
【12】小牧長久手の戦い 前編 に続く




