【10】織田信雄の怒り
【1583年 7月 徳川家康】
秀吉のやつ、近ごろ調子に乗り過ぎだな。柴田勝家を破ってからは、織田家の当主であるかのような振る舞いだ。
まあ、官位や血筋より、実力が優先する時代だから、文句を言いたければ、俺も もっと力を付けなきゃダメなんだけどね。
ただ、面倒くさいのは、秀吉が未だに〈織田家の家臣〉という仮面を脱ぎ捨てていないことだ。だから〈織田家〉と同盟している俺と、秀吉は敵対していないことになる。
…ほら、やっぱり面倒くさい。
あの本能寺の変の時、俺は秀吉に僅かに先を越され、明智殿を討たれてしまった。あの僅かな差が、今は何倍にも開いてしまった。
本当にムカつくが、あの時、最も早く軍勢を率いて京に入る重要性を理解していたのは、俺と秀吉だけだった。その秀吉が、織田家をほぼ掌握したのは、必然なんだ。
毛利家や上杉家も臣従させて、勢力で信長を上回る日も、そう遠くないだろう。
だが俺は、実は絶望まではしていない。いくら秀吉が勢力を拡大しても、信長みたいな圧倒的な恐怖は感じないんだ。なんとかなると思えてしまう。俺の甲斐・信濃の領有を認めるとか言ってきたけど、秀吉に認めてもらうまでもなく、俺の領地だしね。
信長と違って、どこか甘いんだ。
北条氏政も、同じように感じているだろう。あいつも、信長にだったら臣従せざるを得ないと思っていただろうが、秀吉には尻尾を振る気はないようだ。
いっそのこと、こちらから三行半を叩きつけてやろうか。
…いや、それはまだ早い。だが時間が経てば経つほど…。ならば、やっぱり…。いや…。
【石川数正】
また秀吉からの書状が届いた。これで何回目だ。
私は秀吉に仕える気などないと、何度も断っているのに しつこいな。無視して良いよな。
家康様はウダウダ言っているが、どうせ近いうちに、秀吉とは戦うことになる。敵からの誘いに、返書など不要だ。
それより今は、疲弊しきった領内の立て直しが重要だ。長篠の戦いを最後に、三河・遠江で大きな戦がなかったおかげで、生産力がかなり回復してきていたのに、昨年の大雨で、また田畑が荒れてしまった。
それに、新たに領有した甲斐・信濃の整備も、まだ十分とは言えない。ここでまた、長期間の遠征などを行えば、深刻な財政危機に陥ってしまう。
秀吉が強いのは、信長が作った強固な経済基盤を受け継いでいるからだ。今後 益々増えるであろう大規模な戦は、単なる戦闘力よりも、経済力や生産力を含む総合力で勝敗が分かれる。だから本当は、秀吉とは戦いたくないのだが、いつまでも避けることはできないし、時間が経てばもっと差が開くだけだ。
うちの体育会系軍団はこういうとき、行け行け押せ押せとしか考えないのだろう。ある意味、あの思考回路が羨ましくもある。
しかし家康様や私のように、リスク回避を第一とする考え方が、常に正しいわけでもない。今は、あえて打って出るべきなのかも知れない。
最悪の場合、私が泥を被れば済むことだ。
【羽柴秀吉】
もうこの国に、俺より力があるやつはいない。
毛利と上杉は、そのうち従ってくるはずだし、九州や四国も似たようなもんだろう。足利義昭を 、本当に将軍の座から蹴落とすのは、最後でいい。
優先して討つべきなのは、織田家の当主に祭り上げた信雄と、北条家と同盟した徳川家康だ。
この二人は、ちょっとばかり厄介だが、俺はこんなところで足踏みなんかする気はない。二人同時に片付けて、信長様の夢だった天下布武を、俺が最短で実現させるんだ。
誤解しないでほしいが、俺が忠誠を誓ったのは信長様で、その息子ではない。三男の信孝は自害した。次は次男の信雄に、適当な難癖をつけて攻めれば良い。
まあ、家康と北条の講和を斡旋したのは俺だが、あれは戦を止めろと言っただけで、同盟しろとまでは言っていない。だから家康も討つ。
当然、これが屁理屈だということは分かっている。だが、もう誰にも文句は言わせない。
繰り返すが、もうこの国に、俺より力があるやつはいないからだ。
【織田信雄】
俺は、珍しく怒っている。
秀吉が出しゃばってきたせいで、多くの人が死んだし、俺も近いうちに死ぬかも知れない。
〈秀吉が出しゃばらなければ どうなったか〉なんて、俺の知ったことじゃあない。そんなことは、後世の偉い学者さん達が、勝手に考えればいい。
数十年や数百年後に良い時代を作るために、今のお前らは、虐げられ死んでおけって言われたとして、喜んでそうするやつがいるとでも思うのか?
薄汚い欲を、夢とか理想とか、おキレイな言葉に変換するんじゃねえよ。
俺が怒っているのは、クソ親父のためでも、兄弟のためでもない。官位も権力も、天下なんてもんも欲しくはない。俺は俺が平穏に暮らせれば良いだけなんだ。エゴイズムで悪いのか。
でも、個人のエゴの集合体が国だろう。クソ親父も明智光秀も秀吉も、まず人より、国ありきで 考えるからダメなんだよ。領地より先に、人を守れ。武力なんてのは、徹底的に自衛のために使うべきなんだ。
もちろん俺も、戦をやったことはあるよ。自分の兵を死なせたこともあるし、敵兵を殺させたこともある。
初めは怖かった。敵も味方も怖かったよ。それで夢中で喚き散らしながら、敵の陣に向かって走ったら、右腕に矢が刺さったんだ。でも不思議と、全然 痛くなかった。そう思った瞬間、怖さが消え失せ、落ち着いて周りを見られるようになった。
俺は敵兵を一度だけ、この手で殺したことがある。足を斬られて、立てなくなっていたやつだ。
そいつの脳天を、太刀で打った。自分では斬ったつもりだったけど、ただそいつの頭が割れる感触しかなかった。
その日の戦では、敵味方合わせて、三百人くらい死んだらしかったが、どうやら勝ち戦だったみたいで、家来から「お見事でした」とか言われたよ。
その夜、だんだん腕の傷が痛みだして、一睡もできなかった。飯もほとんど食わなかったと思う。
次の日も戦が続いたけど、何も覚えていなくて、気がついたら幕舎の中で横になっていた。腕は、まだ痛かったよ。
敵を殺せば お見事だとか言われて、矢が当たれば、眠れないほど痛い。敵が弓矢を持っているからこちらも持つ、そこまでは仕方がないと思う。でも、攻められて奪われるくらいなら、こちらが先に攻めたほうが良いとか、頭が空っぽだから、百年も戦が終わらないんだ。
覇者が、秀吉でも毛利でも北条でも、どうせ何も変わらない。だったら、じゃんけんで決めたほうが、まだマシだ。少なくとも、それで人は死ななくて済む。
【1583年 8月 羽柴秀吉】
信孝がいた美濃を池田恒興に与え、大坂は俺の領地とする。
池田恒興も、美濃一国の領主になれるならと、喜んで大坂を差し出した。俺は、大坂の石山本願寺の広大な跡地に、新たな城を築く。壮大で豪奢な城だ。
俺がこの国の支配者になり、いずれは明国にも兵を出すのだ。これからどの国のやつが来ても、度肝を抜かれるような城が必要なんだ。
〈織田家〉の現当主 信雄には、滝川一益と戦った功を認め、伊賀を差し上げる。有難く受け取り、良い統治を心がけよ。
俺は今 おかしな日本語を遣っているが、あまり気にしないでほしい。立場をはっきりさせるまでの、僅かな間のことだ。
それから、織田信雄には領内の統治に専念して頂けるよう、畿内への立ち入りを禁じることにする。
【11】家康との決裂 に続く




