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第六章 審判と突破

第六章 審判と突破


ロエンの腕が、力なく落ちた。


白い煙は、なかなか消えなかった。


まるで彼の身体から離れることを拒んでいるように、ゆっくりと薄れていく。


ミロは黒い土の上に膝をつき、ロエンを抱えたまま動けずにいた。


肩にもたれかかったロエンの呼吸は重い。

一度息をするたび、身体のずっと深いところから無理やり引きずり出しているようだった。


「ロエン……?」


ミロが小さく呼ぶ。


返事はなかった。


長い時間が過ぎてから、ロエンの手がゆっくりと持ち上がった。


ミロの身体が強張る。


だが、その手は胸元へ向かわなかった。

白い煙も出ていない。


ただ、ミロの額に軽く触れた。


昔、ミロがくだらないことを口にしたとき、ロエンが時々そうしていたように。


ロエンの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。


唇にはまだ血が残っている。


「……当たり前だろ」


声は小さかった。


風に攫われてしまいそうなほどに。


ミロは目を見開いた。


「何が当たり前だよ……」


返事はなかった。


額に触れていた手が滑り落ち、ロエンの身体から再び力が抜ける。


そのまま、ミロの腕の中へ沈んだ。


「ロエン!」


ミロは慌てて抱き締める。


ロエンは目を開けない。


それでも、息はしていた。


一度。


そして、もう一度。


ミロは俯き、自分の額をロエンの髪に押しつけた。

肩がひどく震えている。


声を上げて泣くことはなかった。


ただ、抱き締め続けた。


手を離した瞬間、またロエンが目の前からいなくなってしまうような気がして。


「全員、止まれ」


オードの声が響いた。


ミロが顔を上げる。


オードは銃を下ろしていなかった。


銃口こそロエンに向けられてはいない。

だが、完全に逸らしているわけでもない。


その目は、ミロの腕の中にいる男から一度も離れていなかった。


「周囲を確認しろ」


オードが言う。


「まだ核獣が残っていないか調べろ」


生き残った者たちは一瞬だけ戸惑い、それから動き始めた。


森へ銃口を向ける者。

弾倉を確認する者。

負傷者を支え、後方へ下がる者。


サイラはミロとロエンのそばに立ったままだった。

風軌装具の光は、まだ消えていない。


彼女は何も言わず、オードを見ていた。


グレンがこちらへ近づこうとする。


オードの視線が向いた。


「そこで止まれ」


グレンの足が止まる。


「今は近づくな」


グレンは歯を食いしばった。


「もう気を失ってる」


「だから何だ」


オードの声には何の感情もなかった。


「さっきまで、あいつは立てる状態ですらなかった」


誰も言い返せなかった。


ミロはロエンを抱く腕に、静かに力を込める。


オードの視線は動かない。


破れた戦闘服。


傷口や皮膚に、まだわずかに残っている白い煙。


そして、本来なら採石場の岩壁のそばで死んでいたはずの男。


平原が静まり返った。


不自然なほどに。


そのとき。


遠くから、重い音が響いた。


ズン。


全員が同時に顔を上げる。


銃声ではない。


岩が崩れた音でもない。


森の向こうから聞こえた。

巨大な何かが枯れ木をへし折ったような、低く、腹に響く音だった。


オードの表情が険しくなる。


「方向は?」


一人の先駆者が地面に伏せ、掌を土につけた。


次の瞬間、その顔から血の気が引く。


「……二体」


オードの目が細くなる。


「何が二体だ」


男が顔を上げた。


声が掠れている。


「卓越種です」


言い終わるより早く、森の端で木々が弾け飛んだ。


二つの巨大な影が、暗闇を突き破って飛び出してくる。


先ほどの卓越種によく似ていた。


異様に長い四肢。


甲殻に覆われた背。


その亀裂から咲く、赤い雅核花。


だが、一つだけ違った。


こいつらは待たない。


様子も窺わない。


先ほどの個体のように、遠くから人間を観察することもしなかった。


ただ頭を低くし、死んだ卓越種の死骸へ一直線に走ってくる。


血の匂いを嗅ぎつけたように。


同族の死を。


奪い合い、食い荒らすことのできる肉を。


「下がれ!」


オードが叫んだ。


だが、もう下がれる場所などなかった。


後ろには、立っていることすら難しい負傷者たち。


周囲には、弾薬をほとんど使い果たした仲間たち。


そして中央には、意識を失ったロエンがいる。


ミロは迫ってくる二体を見ながら、無意識にロエンを強く抱き寄せた。


サイラが一歩前に出る。

風軌装具が光を放った。


グレンが武器を構える。


ノラは負傷者を引きずるように後ろへ下がらせた。


オードも予備の武器を握り直す。


その顔に、一瞬だけ迷いが浮かんだ。


恐怖ではない。


計算した結果が、あまりにも悪かっただけだ。


卓越種一体ですら、今の彼らには突破できなかった。


それが二体。


そしてロエンは、もう倒れている。


ミロの喉がひどく乾いた。


誰かが小さく悪態をつく。


銃を持ち上げる力すら残っていない者もいた。


二体の卓越種が迫る。


大地が揺れる。


爪が黒土を抉る。


巨大な影が平原を覆った。


一体目が飛びかかろうとした、その瞬間。


横から炎が走った。


銃弾ではない。


元素弾でもない。


巨大な炎元素の大剣だった。


火が闇を裂き、そのまま卓越種の前脚を断ち切る。


巨体が均衡を失い、地面へ叩きつけられた。


起き上がる暇すら与えられない。


二撃目が落ちる。


炎が甲殻の亀裂へ流れ込み、頭部を断ち割った。


もう一体が振り向く。


口を開いた瞬間、遠方から飛んできた氷元素弾が胸元へ突き刺さった。


氷が一気に広がる。


動きが、一瞬だけ鈍った。


たった一瞬。


それで十分だった。


砂煙の向こうから、一人の男が歩いてくる。


擦り切れた灰色のコート。


肩には、人間が扱うにはあまりにも大きすぎる炎の大剣。


老兵だった。


彼は隊を見なかった。


負傷者の様子も聞かない。


ただ大剣を持ち上げ、そのまま二体目の卓越種の間合いへ踏み込んだ。


卓越種が飛びかかる。


老兵の瞳孔がわずかに開いた。


白目に赤い血管が浮かび上がる。


その身体から、薄い蒸気が立った。


次の一撃は、先ほどよりさらに速かった。


炎の大剣が下から跳ね上がり、卓越種の胸から腹までを一息に斬り裂く。


氷が砕けきるより先に、炎が傷口へ入り込んだ。


卓越種は空中で力を失い、そのまま地面へ落ちた。


老兵は止まらない。


もう一撃。


さらに一撃。


二体が完全に動かなくなるまで、剣を振るった。


平原に、再び静寂が戻った。


誰も声を出さない。


剣を包んでいた炎が、ゆっくりと消えていく。


老兵は大剣を肩へ担ぎ直し、そこで初めて隊を見た。


オード。


サイラ。


負傷者たち。


そして最後に、ミロの腕の中にいるロエン。


老兵の眉がわずかに寄った。


そのときだった。


彼の目が、もう一つの卓越種の死骸を捉えた。


今、自分が仕留めた二体ではない。


ロエンが殺し、その後に食らいついていた個体。


老兵はそちらへ歩いていく。


一歩。


また一歩。


誰に言われるでもなく、皆が道を空けた。


死骸の前で腰を落とし、傷を確認する。


甲殻は刃物で切られたものではない。


銃弾で撃ち抜かれた跡でもない。


元素弾の爆発痕もない。


胸郭は潰れている。


頭部は砕けていた。


前脚は、力任せに捻じ切られている。


拳で殴り抜かれたような穴。


歯で肉を引き裂いたような跡。


老兵は手を伸ばし、その裂け目の縁に触れた。


しばらく、何も言わなかった。


オードも口を開かない。


ミロはロエンを抱えたまま、石のように固まっている。


やがて老兵が立ち上がった。


その顔に驚きはない。


怒りもない。


あったのは、もっと重いものだった。


見定める目。


彼はオードを見る。


「これは、お前たちで倒せる相手じゃない」


オードは否定しなかった。


老兵はもう一度、死骸へ目を落とした。


「それに――武器で殺した傷じゃない」


風が平原を抜けていく。


白い煙は、とっくに消えていた。


それでも全員が、まだ煙の中に立っているようだった。


老兵が顔を上げる。


一人ずつ、ゆっくりと視線を巡らせる。


そして最後に。


ロエンを見た。


「答えろ」


声は大きくない。


それなのに、誰一人として目を逸らせなかった。


「誰がやった?」

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