第129話 敵視
どこか、遠い場所で、誰かが会話をしている。
そんな気がしたカリオスは、枕に顔の右半分を埋めたまま、隣のベッドへと目を向ける。
ぼやけた視界の中に映ったそのベッドには、誰も横たわっていない。しばらく理由を考えた彼は、まどろみながら納得する。
『便所か……』
何気なく声を出そうとした彼は、耳に届かない声が頭の中だけで響いていることを思い出し、一人失笑する。
俺はこんなところで何をしてるんだか……。
ミノーラと旅に出て、時間的にはそれほど長くはない。この旅に、カリオスが何かを見出しているかと問われれば、口を噤むしかないだろう。
それどころか、口だけでは足らず、目も瞑っている。
それが、今の俺だ。
時折思うのだ。ミノーラやオルタ、タシェル達と旅を続ける前に、戻ってやるべきことがあるんじゃないか。
ミノーラの気持ちも分かる。この集落の人々を助けたい。何とか嵐を止める手立ては無いだろうか。そんな浮ついている気持ちを、彼は昨晩目の当たりにした。
一匹の狼が、嵐を止めることなど、できるわけが無い。
あの時、コロニーが落ちることを止めれなかった、一人の男のように。
ミノーラやタシェル。そしてハイドが戻って来ることを信じたい。だが、正直なことを言ってしまえば、カリオスは再び全員が揃うことは無いと確信している。
『期待できるわけないだろ……何が出来るんだ。』
せめてこの言葉を吐き出せればいいのだが、口から出すことは出来ず、メモに書くのは、彼の理性が止めてしまう。
彼が深いため息を吐いた時、廊下から、壁を叩くような音が聞こえてきた。
『……オルタか?』
うつ伏せの体を起こしながら、扉の方を見やる。扉が開く気配は無い。しかし、廊下に複数の人が居るような、そんな気配を感じた。
『……誰かがここを狙ってる?さっきのはオルタか?……単純に考えて、この集落の人間がオルタに勝てるわけないよな。気のせいか。』
寝起きの頭を働かせ、何とか状況を掴もうとベッドから降り立った彼は、どこかで扉が開く音を耳にした。
その音を聞き、自身と同じ状況にある人間が居たのだと、半ば彼が安堵しかけた時、立て続けに嫌な音が耳に入って来た。
くぐもったような、唸り声。その後に続く、衝突音。何かが倒れたかのような音を聞いたカリオスは、容易に最悪の事態を連想した。
『まてまてまてまて!なんだ?何が起きてる?』
「誰も廊下に出て来るな!良いな!」
混乱する彼の頭を、オルタの声がかきまぜた。
『オルタは生きてる。けど、誰に対して言ってんだ?俺?この集落の奴ら?廊下に出て来るなってことは、出たら危険って事か?いや、この部屋は安全なのか?』
忍び足で部屋の扉に近づこうとした彼は、何やら廊下で会話している声と、取っ組み合いでもしているような足音を聞き、一度足を止めた。
自然と左腕が籠手に向かい、ゆっくりとスライドを繰り返す。なるべく音が鳴らないようにスライドさせていると、廊下からオルタの咆哮が響いてきた。
「うおおおぉぉぉぉぉぉぉっ!」
低い声と重たい足音が、この部屋の前を突っ切って行き、そのまま、建物の外へと消えていく。
無意識に籠手のスライドをやめないカリオスは、そのまま扉へと向かった。
足音も、呼吸音も、心音も。何もかもを抑え込んだ状態で取っ手を握り、ゆっくりと開いていく。
少しだけ隙間を作って外を伺う。左手に伸びた廊下は、便所へと通じている。そちらには人影らしきものは見えなかった。
そうして、反対に伸びる廊下へと目を向けた時、少し先の建物の入口に何物かが立っている。
その後ろ姿を確認した彼は、すぐさまその人物が敵であることを認識した。
いや、現状のミノーラやカリオスにとっては敵では無いのかもしれないが、カリオス個人としては敵視するだけの理由を持ち合わせている。
『あの服……バートンが着てた服に似てるな……。』
発光するラインの入った、不思議な衣服。バートンがカリオスを拘束し、サーナの元へと連れ去った時に見た様相にそっくりだ。
違いがあるとすれば、あの時のバートン達はフードをかぶっていたが、そこに立っている人物は、フードをかぶっていないことくらいだろう。
『なんでまた、俺らを狙ってきたんだ?いや、そもそも、狙いは何だ?バートンの仲間なら、なぜ俺たちを襲う?』
若干混乱し始めた頭を冷やすため、一度考えるのをやめたカリオスは、そーっとその人物の背後までにじり寄る。
良く見れば、その人物は女だった。
本当に敵なのか分からなくなったカリオスが、若干躊躇いを感じた瞬間、女が小さな声で口走る。
「あぁ~。おいしそ。オルタって、実物は意外とおいしそうだわぁ。どんな味がするのかしら。あとで試しましょう。」
一瞬で寒気を感じたカリオスは、ゆっくりと立ち上がり、女の腰辺りに籠手先を添える。
「ん?あら?あなた……」
女がこちらに気づき、目が合う。
その瞬間、彼は右の拳を握り締めた。
凄まじい音が轟き、尋常ではない右腕の痛みと、弾かれた小石のように飛んでいく女を見て、カリオスはやりすぎたと思う。
しかし、それは数秒間の思い込みだった。向かいに建っている建物の外壁にめり込んでいた筈の女が、軽い口調で痛みを表現しながら、立ち上がったのだ。
『なっ!?』
どれだけ丈夫なんだと目を疑った彼は、そこでようやくオルタとは別に、男が二人いることに気が付く。
息を切らせたオルタと男二人が対峙している。
予想以上に人数が居た襲撃者に、彼は気を引き締めざるを得ない。こっそりと籠手をスライドさせながら、彼は男の言葉に耳を傾けたのだった。




