第1話
第1話 王子、家を壊す
朝。
ラピスは目を覚ました。
「……眠い」
目を開けて、最初に思ったのがそれだった。
昨夜。
不思議な光が空から降ってきた。
身体の中に、今まで感じたことのない力が生まれた。
そして――
一本の指揮棒が現れた。
普通なら、もっと興奮してもいいのかもしれない。
けれどラピスは、眠かった。
「……もうちょっと寝よう」
布団を頭まで被る。
三秒後。
「…………」
やっぱり気になる。
ラピスはのそのそと起き上がった。
枕元に置いていた指揮棒を手に取る。
銀色の細い棒。
先端には、昨夜と同じ青い宝石が埋め込まれている。
「これ……」
ラピスはじっと眺めた。
昨夜、この棒を振っただけで蝋燭の炎が動いた。
風も動いた。
つまり。
この棒には、本当に力がある。
「……試してみたい」
そう思った。
けれど、同時に別のことも思い出した。
父。
母。
そして、この離れ。
ラピスが生まれてからずっと過ごしてきた場所。
王子でありながら、まるで罪人のように閉じ込められていた。
食事を運んでくる使用人以外、誰も訪れない。
誕生日を祝われた記憶もない。
魔力がない。
それだけで。
王族失格。
出来損ない。
恥さらし。
何度もそう言われた。
ラピスは、指揮棒を握り直した。
「……」
思い出す。
父の冷たい目。
母の、見て見ぬふり。
自分を離れに追いやったあの日。
「……」
ラピスは無言になった。
そして。
「……やっぱり腹立つ」
かなり根に持つタイプだった。
一晩経っても、忘れていなかった。
むしろ、指揮棒を手に入れたことで思い出してしまった。
「僕が魔力を持ってないからって……」
ラピスは立ち上がった。
眠そうな顔のまま、クローゼットを開ける。
そこには、ほとんど袖を通していない服が並んでいた。
王族として用意された、上質な貴族服。
白いシャツ。
深い青の上着。
金糸の刺繍。
王家の紋章が入った装飾。
ラピスは一着を手に取った。
「これでいいか」
着替える。
青い髪を整える。
最後に指揮棒を手に取った。
鏡を見る。
透き通るような青い瞳。
まだ少年らしさを残しているものの、整った顔立ちは王族らしい。
そこに映っていたのは、王族らしい服装をした少年だった。
けれど。
その顔には、王子らしい威厳などない。
眠そうだった。
ものすごく眠そうだった。
「……眠い」
もう一度、呟く。
そしてラピスは、部屋の扉を開けた。
外へ出る。
朝の空気が頬に触れた。
長い間、離れからほとんど出なかった。
それでも今日は違う。
ラピスは城の中心へ向かう――
ことはしなかった。
「……いや」
足を止める。
「もう、いいや」
家族のところへ行って何をする。
父に文句を言う?
母に恨みをぶつける?
考えるだけで面倒だった。
「家族なんて……もう知らない」
ラピスは踵を返した。
そして、離れを見上げる。
自分が長い間暮らしていた場所。
狭い部屋。
小さな窓。
誰も来ない廊下。
何もかもが、自分を閉じ込めていた。
「……ここも」
ラピスは指揮棒を持ち上げた。
「いらないな」
指揮棒を、ゆっくり振る。
すると。
空気が震えた。
地面の中に眠っていた魔力が動く。
木々の間を流れていた風が集まる。
そして、離れそのものに残っていた魔力が――
一斉に反応した。
「……あれ?」
想像していたよりも、大きな反応だった。
ラピスは少しだけ目を見開く。
「ちょっと待って」
もう遅かった。
――ズズズズズ……!!
離れの壁が、大きく揺れた。
「…………」
屋根が浮く。
柱が軋む。
窓ガラスが一斉に砕ける。
そして――
ドォォォン!!
離れが崩れ落ちた。
土煙が舞い上がる。
ラピスは、無言でその光景を眺めた。
「…………」
沈黙。
「……やりすぎた」
本当にやりすぎた。
ラピスは少しだけ反省した。
けれど。
「まあ、いいか」
反省は三秒で終わった。
ラピスは指揮棒をしまう。
そして崩れた離れを背に、歩き始めた。
王子として暮らしていた場所を捨てる。
家族も捨てる。
王族という身分も――
今はどうでもいい。
「……自由って」
ラピスは空を見上げた。
昨夜、光が降ってきた空。
今は青く澄んでいる。
「どこにあるんだろう」
答える者はいない。
けれど。
ラピスは少しだけ笑った。
「まあ、歩けば分かるか」
そう言って、歩き出す。
数歩進んだところで。
「……」
止まった。
「疲れた」
まだ城の敷地内だった。
「……誰か馬車とか持ってないかな」
当然、誰もいない。
ラピスは空を見上げる。
そして。
「……歩くか」
諦めた。
一本の指揮棒を手に。
貴族服を身にまとい。
何も持たず。
帰る場所すら捨てた王子は――
初めて、自分の意思で王城を出た。
その背後では。
つい先ほどまで彼を閉じ込めていた離れが、瓦礫になっていた。
そして王城では。
まだ誰も知らない。
王家から一人の王子が消えたことも。
その王子が――
この国でも極めて珍しい、
「指揮者」の魔力を手にしたことも。




