第8話 1月13日 実力テスト
学校に通い始めて数日が経った。
まだ、保健室でプリントを解くだけの毎日ではあるが、余った時間や休み時間に、校内を一人で歩き回れるくらいには慣れてきた。
授業開始のチャイムが鳴り、さっさと課題のプリントを終わらせると、先生と雑談をしたり、他のクラスの授業風景を見たり、屋上から体育の様子を見たり、割と自由にさせてもらっていた。
今は、紫苑のクラスが体育でサッカーをしている。
家ではずっと部屋に籠っているから、インドア派なのかと思っていたけど、普通にスポーツもできるんだな。
遠巻きに見る女子から、黄色い声援が上がっていた。
あれからも、莉々からよくLIMEが来る。
相変わらず、紫苑との仲を取り持って(既成事実でも作って?)ほしいような内容なのだが、あれだけ可愛くて積極的なら、私のサポートなんていらないだろうに。
記憶喪失のせいにして「ごめんなさい」を繰り返すことにしている。
時折、強い風が吹き抜ける。
この真冬の空の下では、防寒着をしっかり着込んでも、寒すぎる。
衣類では防ぎきれない寒気が、棘のように肌を刺す。
長居は無用、さて、保健室に戻ろうか。
「ただいま戻りました」
保健室の引き戸を開けると、最近、顔見知りになったクラス担任がいた。
若いけれど、熱心で気安い雰囲気なので、生徒人気は高い。
こういう先生がいたら、楽しいのだろうな…という雰囲気の。
「おかえり、橘さん。事情が事情だから、希望すれば免除されると思うけど、一応、確認するね。来週、実力テストがあります。内申点や成績に影響はないけど、どうする?やめておく?」
「もちろん受けます。自分の実力を知りたいです!」
私は勉強が苦手ではないので、テストを受けるのは好きなのだ。
「えっ…そう?てっきり、やめておくって言うのかと思ってた。ごめんね。橘さんがやる気になってくれて、先生、嬉しいよ」
私の返答が想定外だったのか、担任は驚きを隠せていない。
そんなに驚くこと?
担任の反応に戸惑いながらも、テストと聞いたら燃えるもの。
「はい、頑張ります」
*****
放課後になり、今日も紫苑と一緒に帰る。
「紫苑くん、来週、実力テストだって。楽しみじゃない?」
「はぁ!?」
紫苑が、驚いたような、呆れたような顔で振り向く。
「だって、頑張ったら成績に出るのって、嬉しくない?」
「この前から、何言ってんの?勉強は苦手だろ、お前は」
心底、呆れた顔をしてそう言うので、戸惑ってしまう。
「そうなの?」
おかしいな。私はどちらかといえば、できる方だと思うんだけど。
…てことは、他の人が相当できるということ?
こうしちゃいられない、家に帰ったら勉強しないと。
闘争心やら何やらで、勉強に関しては燃えてしまうんです、私は。
部屋に戻り、教科書とノートを開いてみる。
教科書に書いてある内容は、普通にわかる。
やっぱり、できる方だと思うんだけどなぁ…。
ノートを見て、驚いた。
断言して言える。これは、私が書いたノートではない。
要点がまとめられていない、黒板をそのまま書き写しただけの、理解ができていない人のノートだ。
その前に、私、こんな字だったっけ?
ノートに書いてある単語の横に、並べて書いてみたのだが、筆跡が違う。
几帳面に丁寧な字で、黒板を書き写しているのはわかる。
でも、私はいくら丁寧に書いても、こんなに綺麗な字は書けない。
記憶喪失になったら、筆跡まで変わるなんてこと、あるのだろうか。
もしや、記憶喪失じゃなくて、二重人格なのでは?
なにそれこわい。
もし、二重人格だとして、いつか元の人格が戻って来たら、私はどうなるんだろう。
いつか、自分が消えてしまうかもしれない…それは怖い。
でも、今、この体を動かしているのは、この私なのだから、ただ絵梨花として生きるしかないのだけれど。
…今度、定期通院の時に、相談してみようかな…。
*****
数日後、保健室で受けた実力テストも無事に終った。
結果 学年総合:8位 数学:2位
一応、苦手な教科はあるしね。
ケアレスミスもあったから、まぁ、こんなもんでしょ。
「…嘘…だろ…」
廊下に貼り出されている順位表を見ながら、隣りで紫苑が絶句している。
「お前、ビリから数えた方が早かったよね…どんな手を使った…」
順位表から目を離せないまま、小声でつぶやいている。
「何もしてないんだけど、なぜか解けるんだよ。もしかすると、私は、二重人格なのかも…」
…しれない、と言おうとしたら、私の周りにたくさんの人が集まってきた。
「橘さん、すごいね!」
「こんなに勉強できたんだね!」
「今度、私にも教えて!」
みんなが私を取り囲み、感嘆の声を上げている。
ということは、やはり記憶を失う前の私は、成績が良くはなかった(むしろ、悪かった)ということなのだろう。
「いや、それほどでも」
担任からクラス名簿と写真を見せてもらっていたので、この子たちがクラスメイトであることはわかった。
みんなフレンドリーで、楽しそうなクラスだなと思った。
記憶を失い、何もわからない学校生活に不安はあったけど、そろそろ保健室からクラス登校に移行してもいいかもしれない…。