第6話 1月4日 例の川
お正月が終わっても、新学期まで、まだ5日も残っている。
冬休みの課題は、もうとっくに終わっているから、特にやることがない!
ということは、記憶を取り戻す作業に専念するのみ。
スマホの中は、見尽くした。
だとすると、もう例の川に行くしかないじゃない。
と、いうわけで。
「紫苑くん、連れて行って欲しいところがあるの」
紫苑の部屋のドアをノックする。
「お願い、お願い、お願い、お願い〜」
ドンドコドコドコ…出てくるまでノックする。
「うるさいな。お前は何なんだよ、いつもいつも…」
ヘッドホンを外しながら、開いたドアから紫苑が顔を出した。
「何なんだって、妹ですけど?…ごめん、私が助けられたという川まで、連れて行ってくれないかな?何か思い出せるかもしれないからさ」
「…今、取り込み中なんだけど」
うわ、心の底から面倒くさそう。
無愛想どころではない、もはや仏頂面と言ってもいいくらい不満そうだ。
申し訳ない…申し訳ないが、あなただけが頼りなのです。
「それ、いつ終わる?終わるの待ってるから、お願い。もうすぐ学校が始まるから、早く思い出したいんだよ…」
手を合わせて何度もお願いのポーズを取る。
私の粘りに、紫苑は諦めた様子で、ため息を吐きながら
「…じゃあ、あと15分な」
と言って自室に戻り、約束通り15分後に再び出てきてくれた。
「…で、どこだって?」
「確か、犬の散歩の看板がある、ベンチが並んだ辺りだと言われたよ。お母さんが、紫苑くんに聞いたらわかるって」
「…あー、あそこ…」
すぐに思い付けるということは、有名な場所なのだろうか。
*****
通学に使っている電車で三駅、高校と自宅の中間に流れる大きな川に、そのベンチはあるという。
財布の中には、いつも使っているはずの定期券が入っているけれど、やはり見覚えはなく、この電車には、初めて乗ったとしか思えない。
正月三が日が終わり、多くの社会人が仕事始めを迎えたため、平日の昼間の電車の中は、案外空いているものだ。
降りるべき駅が近付いてくると、車窓の外に幅の広い川が見えてきた。
私はなぜ、わざわざ寄り道をしてまで、この川に行ったのだろう。
タタン、タタン…
規則的に電車が奏でるリズムを聞きながら、ぼんやりと見つめていた。
駅から降りて、河川敷の方へ歩いて行く。
道なりに、冬枯れの寒々しい木々が並んでいる。
歩いたことのない道、きっと初めて通るわけではないだろうこの道を、周りを見回しながら、紫苑について歩く。
「すぐにわかったみたいだけど、この辺では有名な場所なの?」
紫苑が、寂しげな木々を指差しながら言う。
「これは桜の木で、この辺は春になったら花見客で賑わう場所で、犬のベンチっていうのが、毎年、うちが花見をする場所の目印になってる」
「へぇ…じゃあ、我が家にとっては、思い出の場所なんだね」
「そういうことになるかな。6年前の初顔合わせが花見だったし」
「同居は、5年前じゃなかったっけ?」
「親同士が再婚して同居し始めたのが、中学に上がる5年前というだけで、初顔合わせは6年前の小6な。何度か会って、家族としてやっていけるのか試してたんだろ。それでうまくいったから、中学から俺の苗字が変わったってわけ」
紫苑の吐く息が白い。
「…でも、仲悪くなったんだよね?本当に心当たりはないの?」
「知らない。変わったのは、お前の方だろ…って、覚えてないだろうけど。お前がそんな感じだったから、昨年は花見をしてないよ」
「えっ、お花見したい!今年は、みんなでお花見したいよね!」
家族でお花見だなんて、楽しみでしかないイベントでしょうよ。
「え〜…面倒…ていうか、もう家族で花見って歳じゃないだろ…」
と言いつつ、実は満更でもないのではないかと、私は思っている。
春が来たら、なんとしてでも、ここに連れてきてやる。
「…ほら、あれが犬の看板」
確かに、そこには、犬の看板とベンチがあった。
歩道は整備されているけれど、それ以外は雑草が多い茂っている。
ベンチに座って、川の方を眺める。
「こんな寒い時期に、なぜ、ここにいたんだろう」
特に何があるわけでもなく、ただただ、静か。
犬の散歩、ジョギングの人、目の前を通る誰かが存在しない限りは、目の前に広がる川と、自分しかいないみたい。
何か考え事をしたい時、ぼんやりしたい時には、良いのかもしれない。
今日は、真冬にしては暖かい方だと思ったけれど、長時間を野外で過ごすと、さすがに体の芯まで冷えてきた。
「紫苑くん、何か思い出せるかなと思ったけど、ダメだった。せっかく連れて来てくれたのに、収穫なしで、ごめんね」
「別にいいよ、ぼちぼち思い出したら」
河川敷から土手にかけ上がり、高所から遠くに川を眺める。
規則的に吐かれる白い息は、空中に拡散しては、消えていく。
「温かい飲み物でも、飲も!おごるよ」
駅までの道すがら、自販機で買ったホットココアを飲みながら、今年のお花見はどうしようかなんて話しながら、これから先に訪れるであろう楽しいことに思いを馳せた。
電車内で隣りに座る紫苑は、疲れていたのか俯いて目を閉じている。
面倒そうにするくせに、ちゃんとお願いをきいてくれるんだから、優しい兄だよ、君は。
特に話すことはなくとも、とても暖かく、安心できる時間だった。