10.関ヶ原の戦い -10
関ヶ原の戦いの後、西軍は痛手を負ったものの継戦能力はまだ有していた。
南宮山に展開していた部隊だけではなく、別の方面に展開していた部隊も無傷で残っており、大阪城で籠城しつつ上杉家の上洛を待つという選択肢もあったはずである。
しかし、佐和山城での戦いを除いてまともな組織的な抵抗はなく、総大将である毛利輝元も領地安堵と引き換えに早々に降伏。
大阪城も争うこと無しに東軍へと引き渡される。
西軍は当初の意気込みが嘘のように、例にない速度で崩壊していった。
関ヶ原に近い北陸では前田家と丹羽家が関ヶ原の数日後に即和睦し、揃って家康の元に進軍するなど阿吽の呼吸を見せる。
同じように知らせが届いた各地では争いを止め始めるが、東北や九州の面々が降伏・上洛するのは1年以上先の話であった。
なお立花宗茂は関ヶ原の戦いの後、輝元に徹底抗戦を進言するが輝元が家康に降伏したのを見て領地に帰国し、その後も西軍として戦い続けたことで周囲から高い評価を得る。
徳川家からも重用されており、西軍に参戦した後に改易されたにも関わらず、最終的に旧領地への復帰を果たした唯一の大名となる。
9月21日。
関ヶ原の戦いの後、逃げ落ちていた石田三成が捕縛される。
三成は大津へと移送され9月23日に家康と対面。
両者が顔を合わせたのは三成の襲撃事件以来だった。
「正直なところ、陣容を見て負けたと思った」
ワシは三成を前に、扇子を仰ぎながら事もなげに言った。
忠勝あたりが隣にいれば武将としての恥はないのかとか噛みつきそうだが、この期に及んで取り繕っても仕方あるまい。
目の間に座る三成殿には縄はかけられておらず、その気になればワシに襲いかかることも可能だ。
しかし、三成殿も最早そんなことは気にもかけていない。
三成殿は微笑みながら答える。
「あれで勝てなければ最早勝機もなく。乾坤一擲の大勝負でしたが及びませんでしたね」
「いやいや、かなりいいところまで行っていただろ。戦上手で鳴らした毛利家も腑抜けたものだ。あれだけの勝機が目の前にあったのだから、約束など放り捨てて襲いかからなくてどうする!」
「秀忠様の軍勢が到着するまでが勝負でした。あそこで家康様を討てないようでは、毛利家は早晩寝返っていたでしょうね。大将の毛利秀元様は功績を上げようと躍起になっていましたから、邪魔を振り切ってでも攻撃するのを期待したのですが...」
「惜しかったな。南宮山にいた他の者たちも日和って様子見せず、そのまま攻めかかっていれば話は違ったかもしれん。毛利家が裏切ろうとも、1度戦いが始まれば我慢できずに戦い出す兵も出てくる。自らが戦局を変えようとする気概もないようでは話にならんな」
この調子のまま2人で戦の振り返りを始める。
傍から見れば戦で争いあった者同士とは見えず、友人同士で騒いでいるかのようにしか見えないだろう。
島津家の突撃は狙ってたのか?いえ流石にあれは...といった感じで話は続くが、一通り話し終えたところで本題に入る。
「さて、今更だが事に及んだ経緯を教えて貰えるか?言いたくなければ構わんが」
「...秀吉様の残したものを守るためです」
「豊臣家のことか?」
「それもありますが、秀吉様の築いた戦の無い世を守るためですね」
三成殿は居住まいを正し続ける。
「毛利家や上杉家など、もう大名たちは豊臣家に対して忠誠を誓っておりません。実際に蓋を開けてみれば豊臣家や平和を守ろうとせず、自らの欲を優先した者たちが多く出ました。このまま放置していればいつか反旗を翻し、また戦国時代へと突入していたでしょう。しかし、今の豊臣家にはそれを止めるだけの力がありません」
「そやつらをまとめて処分するため、ワシの討伐を理由に戦に巻き込んだのか?」
「仰る通りです。戦に負ければ、目先の利益に目が眩んだ邪魔者をまとめて排除できます。豊臣家に代わって家康様が天下人となり、平和な世を守って頂きます」
「加えて、豊臣家が徳川家に牙を剥かなければ、昔の北条家のように飾りとして残ることができると?」
「はい。もし戦に勝てば、徳川家の領地を得た者たちはしばらく大人しくなります。ある程度権力も分散しますので、秀頼様が成長されるまでの時間を稼げたでしょう」
「体よく仕事を押し付けられたのか...」
「...荷物を押し付けて申し訳ありませんが、何卒秀吉様の残したものをお守り下さい」
そう言って頭を下げる三成殿。
なんとなくは察していたが、言葉にして伝えられると改めて責任を感じる。
毛利家も上杉家もそう簡単に折れるような者たちではない。
他の大名たちも目を離せばすぐに問題を起こすだろう。
果たして徳川家に平和を維持するだけの力があるのか。
深いため息と共に、思わず口が滑る。
「重いなぁ...。もし、秀次殿が生きていれば別の道もあったか?」
三成は驚いた後、悲しそうな顔をして答える。
「それは酷な質問ですね...」
「...すまん」
余計なことを聞いたと自分の顔を叩く。
しばらくの間、どちらも話さず沈黙が続いた。
黙っている間、秀吉殿に臣従してからの出来事が走馬灯のように蘇ってくる。
そしてあることに気がついた。
「それにしてもだ、今回の件はいささか納得しかねるところがあるな」
「...何かご機嫌を損ねるようなことでも?」
「大いにある。例を見ない大会戦に勝ったというのに、目的を達したのは三成殿の方ではないか」
「....まぁ、そうともとれますね」
三成殿がこちらを訝しむような目で見てくる。
ここでワシが関東以外はもう知らんと言い出そうものなら、三成殿の計画が破綻してしまう。
そのあたりを警戒しているのだろう。
しかし、ワシが言いたいのはそんなことではない。
大仰に両手を広げ、驚愕した顔で叫ぶ。
「これでは小牧長久手の戦いの二の舞いではないか!あの時も戦で勝ったというのに、秀吉殿には盤面をひっくり返されて負けて終わった。秀吉殿の弟子とも呼べる三成殿にも負けたのでは、天下人として格好がつかないだろう!そうは思わんか?」
「....っ!」
ワシの言葉を聞いた三成殿が堪えきれず破顔し、腹を抱えて大笑いを始める。
あの真面目で礼節にうるさい三成殿のこんな姿は初めてみるわ。
黙って扇子を仰ぎながら待っていると、しばらくして三成殿がようやく落ち着く。
結構長い間笑っていたな、おい。
「いやいや、失礼しました。申し訳ない」
「なに、これも勝者の特権。お好きにされよ」
「流石は天下人。懐の深いことで何よりです。それに...」
「それに?」
「秀吉様への良い手土産が出来ました。あの世で茶を点てる際の茶菓子代わりになるでしょう」
ワシは現世で家臣に煽られ続けた後、あの世で秀吉殿にも煽られるのか?
頭痛がしてきたわ。
せめてもの仕返しにここは1つ三成殿に仕事を任せよう。
「三成殿。そちらの頼みを聞くのだから、こちらも頼みたいことがある」
「...私にできることであれば何なりと」
三成殿は真面目な顔に戻る。
西軍挙兵の責任を全て背負い、苦しめられた上で死ぬ覚悟はとうの昔にできているのだろう。
「...ワシにも茶を点ててくれ」
「.......茶を?」
「喋って喉が乾いた。順番を破るようで申し訳ないが、秀吉殿よりも先にワシに茶を点ててくれ」
三成殿は完全に虚をつかれた顔をする。
そして苦笑しながら答えた。
「...3杯飲みますか?」
「馬鹿を言うな。もうワシもいい歳だ。後数年もすれば秀吉殿に追いつくんだぞ。1杯で十分だ」
「3杯と言わずに何杯でも飲めそうなくらい健康に見えますが」
「茶は飲みすぎると身体に悪い。まだ長生きしなくてはならんのだから、これからも節制に気をつけねばな」
9月27日には家康が大阪城へと入り、豊臣秀頼と正式に和解。
家康は豊臣政権の大老として復帰するが、政権中核のほとんどが西軍についたため総入れ替えが求められる。
五奉行の前田玄以は無罪放免で許され、浅野長政も加増転封となるが、増田長盛は改易と共に高野山に預けられ、長束正家は切腹と、実務を司っていたものが抜けて文字通り政治機能を失う。
五大老に至っては毛利輝元と上杉景勝は大幅な減封を受け、宇喜多秀家に至っては改易、前田利長は既に大老の地位を失っており、家康以外は残っていない。
所領安堵で降伏した毛利家にしても、蓋を開けてみれば主犯として積極的に活動していたことが判明して減封にせざるを得ず、信頼に足るような人物は豊臣政権にほとんど残っていなかった。
加えて、豊臣家を頂点とする政治体制にも限界が来ており、1から政権を作り直す必要があった。
毛利家や上杉家などは本来領地を全て取り上げられるべきだが、大領を抱えている相手にそれをやると戦に発展する可能性が極めて高い。
そのため家康は勝利したとはいえ、再び戦が起きないよう微妙な舵取りを求められ、そしてそれは豊臣政権の大老という立場で続けるのは無理があった。
しばらくの間、家康は豊臣政権の家臣として働くが、最終的に本拠地の江戸で幕府を開くことになる。
朝廷・公家もこの動きを支援していたため、豊臣政権は名実ともに終わりを迎える。
豊臣家自体は処罰もなく直轄の領地である65万石は維持しており、全国各地にあった蔵入地は没収されるがその後も特別扱いを受ける。
10月1日。
三成は六条河原で斬首される。
首は三条河原に晒された後、京都大徳寺の三玄院に葬られた。
三成の嫡男である重家は本多正信からの嘆願もあり、出家することで許される。
その後は寿聖院を引き継ぎ100歳近くまで生きることになるが、この寺院は生前の三成が建てたものであった。




