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五大老筆頭 徳川家康  作者: 牛熊


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10.関ヶ原の戦い -6

 9月5日。

 信幸は真田信繁が守る上田城東の戸石城へと進軍。


 そして、信幸の姿を確認した信繁らは即座に撤退し、戦うこと無く城を明け渡して上田城へ合流。


 見事なまでの敵前逃亡を見せつけたのだった。



 これには真田家同士で争うのを避けたという意味もある。


 しかし、真田家の兵たちからすれば、信幸の戦の強さは当然ながら重々承知している。


 有力大名らを相手に戦って負けたことのない信幸を敵に回すくらいなら、さっさと撤退して上田城に合流しようと考えるのも無理はなかった。


 ただ、真田家に振り回される徳川家の陣営では、そろそろいい加減にしろという声が上がり始めていた。




 結局、戦いの焦点は昌幸が守る上田城へと移ることになった。


 そしてこの上田城だが、徳川家にとっては因縁の城である。


 徳川家が真田家と争っていた頃、上田城に攻め込んだ徳川家の軍勢は徹底的に叩きのめされ、関東における勢力拡大を阻まれたのだった。



 その時の真田家の先鋒が信幸だったりするがその点は気にされず、徳川家譜代の武将たちが集まる秀忠の部隊では、前回の雪辱を果たそうと異様な盛り上がりを見せていた。


 徳川家主力の約3.8万人を擁する秀忠の軍勢に対抗するのは、真田家約2000人とどう見ても絶望的な状況である。


 しかし、その真田家も昌幸が指揮を取るということで士気の高さを見せ、ここに東の伏見城の戦いとも言える第2次上田合戦が幕を上げた。





 9月6日。

 戸石城を抑えたことで、徳川勢は本格的に上田城を攻め始める。


 秀忠は戸石城南に本陣を置き、更に南に残りの部隊を展開させていた。


 前回の戦では上田城に引き込まれて痛い目にあったことを踏まえ、秀忠は真田勢を城外に引きずり出そうと画策。


「それでは、周辺の稲を刈って真田勢を挑発。止めようと城の外に出てきたところを伏兵で討つという作戦でいきます。ただ、相手もそのあたりは予想している可能性が高く、出てきた兵を討つだけで決して城攻めは行わないこと。前回は勢いに任せて城攻めを行ったのが敗因です。同じ轍は踏まないように」



 こうして徳川勢は兵を伏せた状況で稲を刈り始める。


 それに気がついた真田勢も兵を出すが、徳川勢には襲いかからず堂々と挑発を始め、煽られた徳川勢が逆に挑発に乗ってしまう。


 徳川勢が襲いかかるや否や、真田勢はすぐに撤退を開始。


 追いかける徳川勢はそのまま攻城戦へと移るが、逆に打って出てきた真田勢に徹底的にやられるという教科書のような失態を見せてしまった。



 そして、この失敗で徳川勢に余計な火がついてしまう。


 前回の戦での敗北、今回の失態、そして戦で手柄を上げる最後の機会という状況を前に、徳川家の武将たちがしびれを切らして上田城に突撃し始めた。


 その部隊が上田城に近づいたのを見計らい、今度は戸石城から合流し兵を伏せていた信繁が側面から奇襲。


 前回の上田城とほぼ同じような展開で、徳川勢は徹底的に叩きのめされてしまう。




「あれほど勢いに任せて攻めないよう申し伝えたというのに...」


 上田城から離れた場所に本陣を置いていた秀忠は友軍に呆れ果てるが、昌幸の手は秀忠にも及んでいた。


 戸石城付近に伏せていた真田勢の兵が動き出して秀忠の本陣を強襲し、秀忠の部隊も耐えられず崩壊。



 結局、秀忠は功を焦った部下の失態により、本陣すら大崩れする大敗北を見せることになる。


 参陣していた大名や家臣たちからすれば、ここで秀忠が討たれようものなら面子を失うどころの騒ぎではなく、家康からどんな扱いを受けるかわかったものでない。


 必死になって秀忠の身柄を確保しようとし、兵数差が圧倒的であるにも関わらず、上田城攻めは実質的に中止となってしまった。




 一方、この状況を前に真田勢も焦っていた。


 徳川勢を追い返すのはいいが、秀忠を討つのはどう考えてもやりすぎである。


 ここで秀忠を討ってしまうと家康と交渉する余地がなくなり、東軍が勝った場合には文字通り族滅の危機に晒される。


 これまで徳川家相手には完璧な立ち回りを見せていた昌幸だが、上手く行きすぎて思いがけない失敗を招いてしまう。


 最悪の場合には信幸を東軍に送り込んだ意味が全くなくなってしまうため、戦場では秀忠が生きているよう真田勢も祈るというよくわからない光景が広がっていた。



 この戦いにより上田城は徳川家にとって呪いの地となり、昌幸は徳川家の不倶戴天の敵へと昇格した。


 徳川家の主力部隊を追い返したことで昌幸は十分過ぎる手柄を上げ、西軍が勝てば恩賞は望むままになるはずである。


 しかし、昌幸は致命的な誤りを犯していた。




 黒田官兵衛などのように、東軍・西軍の争いが長期化すると見込んでいた者は多かった。


 当時は野戦築城の技術が進歩しすぎたこともあり、城や防衛拠点を作り合って睨み合うことが増え、結果として戦が長期化していた。


 ましてや日本を二分にする軍勢の対決ともなれば、そう簡単に決着がつくはずもなく勝った負けたを繰り返す。


 昌幸もそう考えて謀反を起こし、徳川家を追い払った後は周囲を攻め始めたが、その前提があっさりと覆ってしまうことになるのだった。



 最終的に昌幸と信繁は上田領没収と死罪が命じられるが、家康に対する信幸の助命嘆願と本多忠勝の脅迫により、高野山への蟄居で許されることになる。


 没収された領地は信幸に与えられただけではなく加増付きと、信幸は引き続き徳川家において重用される。


 そういう意味では家を残すという昌幸の最大の目的は達せられており、謀将としての面目躍如と言ったところであった。



 しかしこの判断により、後年家康は見逃した信繁に首を取られかける。


 真田家は家康・秀忠を殺しかけたにも関わらず徳川政権の重臣として活躍するという、あまり例のない家として残ることになるが、徳川家の下で働いていた信幸の心労のほどは想像に固くない。






 9月8日。

 ようやく軍を立て直した秀忠だったが、前回の失敗から上田城を攻めあぐねていた。


 そこに家康から使者が到着する。


「......9月9日までに美濃赤坂まで上洛し、父上の軍と合流すること?待て、今は8日だぞ!どう考えても間に合わないだろう!なぜ8月29日の書状が今頃届く!?」


「申し訳ございません。川が増水して渡ることができず...」



 届いた書状を見て秀忠は慌て出す。


 西軍との戦いが始まるというのに、徳川家の主力部隊がいないのでは話にならない。


 まともな指揮官であれば兵の半数がいない状況で戦おうとはしない。


 家康も一向に到着しない秀忠たちを前に困り果てているのは間違いなく、これで家康が討たれでもしようものなら秀忠らは切腹ものである。



「真田家の討伐は中止!抑えを置いて今すぐ美濃に向かうぞ!」


 どう考えても間に合わないとはいえ、ゆっくりと軍を進めているわけにもいかなかった。


 家康からの命令に従い、秀忠は真田の抑えを残し急ぎ美濃へと軍を進める。


 しかし、到着した秀忠に届けられたのは東軍が勝利したという知らせだった。

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