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五大老筆頭 徳川家康  作者: 牛熊


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10.関ヶ原の戦い -4

 関ヶ原の戦いは天下分け目の決戦と呼ばれるが、実際のところは豊臣政権内部における権力争いであり、豊臣家と徳川家の争いというわけではない。


 実際、秀吉の古参家臣である浅野長政を始めとして、豊臣家子飼いの大名の多くは家康についている。


 豊臣秀頼本人も戦後に家康と和睦しており、家康も秀頼を害するようなことはしていない。


 関ヶ原の戦いというのは、あくまでも他の五大老・五奉行が家康を政権から排斥するための手段に過ぎなかった。



 西軍側は家康が秀吉の死後に遺命などを破り好き勝手やったことを理由に弾劾しているが、西軍の中核となっている奉行衆や輝元も秀吉の遺命を破って結託するような誓詞を交わしているなど、他の五大老・五奉行も問題行為には事欠かない。


 そういう意味でも、家康の排除というのは豊臣家を守るためなどではなく、ただの政治的な争いに過ぎない。




 

 そして、この戦いが始まったことでひっそりと終わりを迎えた家があった。


 豊臣家である。



 今回の争いにおいて豊臣家は蚊帳の外に置かれており、誰が勝とうとも権力を奪われるのは間違いなかった。


 西軍総大将の毛利輝元か、実質的に独立を果たした上杉景勝か、それとも政権から追い出された家康か。


 戦の結果がどうなるにせよ、この三者の名声が豊臣家を上回ることは間違いなく、自ら戦おうとしない者に従うほど大名たちは甘くはない。


 天下人という地位は、名実共に豊臣家から三者のいずれかの下へと移り変わることになる。



 そして、政権中枢の三奉行が中心となって徳川家の討伐を煽り、それを豊臣家が止めなかった以上、家康は豊臣家に従い続ける理由を失ったのである。


 この状況で家康が豊臣家に臣従すると言い出したところで家臣や他の大名たちが納得するはずもなく、体面を取り繕うにしても実質的には家康は新たな天下人として振る舞うことが求められることになる。


 建前上の話とはいえ、先に家康を切り捨てたのは豊臣家並びに豊臣政権であり、家康が勝てば何をされても文句は言えるはずもなかった。



 どう転んでも豊臣家は政権の飾りとなるか、新しい天下人に臣従する未来しか残されていない。


 家康が豊臣家を特別扱いしていたこともあり、豊臣家はその選択をすぐに突きつけられることはなく、各地にある蔵入地を取り上げられる程度で許されることになる。


 しかし、その後どちらの道も選べなかった豊臣家は、関白の地位を狙える家系かつ並ぶ者のいない財力を抱えた有力大名として残り続けてしまい、徳川家との争いへと歩み出すこととなるのだった。





 とはいえ地方の大名たちからすれば、こういった豊臣家や政権中枢での争いなどどうでもよかった。


 彼らにとって最も重要なのは自分たちの領地や積年の恨みを晴らすことであり、東軍・西軍というのはただの大義名分でしかなかったのである。


 その結果、好き勝手に暴れだす大名が日本各地で発生する。


 そして徳川家の喉元である上田においても、満を持して一人の大名が立ち上がった。




 真田昌幸。


 関東の大名たちに迷惑を振りまき続け、その後は大人しく徳川家に従っていたこの男が、遂に雌伏の時を終えて家康に牙を剥いたのだった。





 慶長5年7月21日。

 昌幸の元に三成から西軍への参加を求める書状が届き、真田家は急遽家族会議を開催。


 その結果、本多忠勝の娘を娶っていた嫡男信幸は東軍に、父である昌幸と弟信繁は西軍に付くこととなった。


 昌幸は当初会津征伐に合流するため軍勢を進めていたが、混乱に乗じて即座に転進。


 家康と信幸が懸念していた通り、周囲を振り回し始める。



 ただし、昌幸も単に迷惑をかけたいから謀反を起こしたわけではない。


 真田家のように家中を分け、東軍・西軍の両方に一門衆を送り込んだ大名は多数存在する。


 どちらが勝利しても家を残すための策であり、それ自体はそこまで非難される行為ではない。


 また、信繁は大谷吉継の娘を娶って豊臣家から知行を与えられていたため、西軍に合流する理由も十分にあり、家中を分けるのであればこの人員配置は妥当である。



 とはいえ、真田家の兵力では徳川家に対抗できるはずもなく、西軍に付いたのはあくまでも立場を主張するためであって、多少時間を稼いだ後は降伏すると誰もが思っていた。


 しかし、昌幸は他の者たちと一線を画していた。


 何故か徳川家の主力部隊と本気で戦う道を選択したのである。

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