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五大老筆頭 徳川家康  作者: 牛熊


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9.会津征伐 -5

 会津征伐が決定されてから数日後。


 家康の元には奉行衆や老中衆の連名による、征伐中止と和睦を訴える書状が届いていた。


 どう考えても手遅れでしかない訴えを受け、当然ながら家康は激怒することになる。



「今更何を言い出してるんだ!こいつらは上杉家との交渉はろくに手伝わなかったくせに、いざ戦となれば腰が引けるとは何事だ。和睦を訴えるならもっと早くから上杉家に干渉しろ!元忠、お前には伏見城の留守役を任せているが、こいつらが何か言って来ても無視するように」


「かしこまりました。従わぬようであれば切って捨てます」


「...捕縛程度にしておいてくれ」


「この段階で上杉家を擁護するような者たちなど、この先もロクなことをしないと思われますが?」


「それはそうなんだが、一応立場というものがあるから...」


「出来る限りの努力は致しますが、大阪と伏見は離れており十分に監視の目が行き届かない可能性もあります。殿もご注意下さい」




 奉行衆たちは会津征伐に反対するが、交渉中に何かをしたかと言えば目立つようなことはほとんどしていない。


 自領で蟄居している石田三成が上杉家に対し、家康と和睦するようたびたび書状を送っていたくらいである。


 この反対に関しても一応止めようとしたというくらいであって、本気で止める気があればもっと早くから行動しているはずだった。


 自分たちが上杉家に対して圧力をかけるというならまだしも、単に中止を訴えるだけでは家康としてもどうしようもない。


 家康による権力掌握以前の問題として、秀吉配下の武将たちの政権運営能力は秀吉の死後にほぼ失われていた。




「殿、会津征伐自体は構いませんが、軍の運用はどのようにされるおつもりでしょうか。徳川家には豊臣家ほどの兵站能力や軍の統制能力はありません」


 元忠の質問を受けて家康の動きが止まる。


 元忠の言う通り、徳川家には豊臣家ほどの大軍を運用する能力はない。



「徳川家が駄目と言うより、豊臣家が異常なだけだから...。いつも通りやるということで」


「では、我々はあくまでも大枠の指示だけを行い、兵数の指定などは行わず諸大名の自主性に任せるご予定ですか?」


「そうなるな。物資などの運搬も自分たちで行わせる。江戸の開発は順調に進んでいるし、多少不備があってもそこまで行ければ補給は何とかなるはずだ」


「商売の要所を抑え、財貨をもって物資を集め、軍の統制を細かく指示し、兵站を管理する体制を整え、これらを統括する優秀な担当者を配置する。大軍の運用というものは個人の能力というよりは、豊臣家という存在があって初めてできることには間違いありません。徳川家が今すぐ同じことをできないのは致し方ないかと」


「今までは全部豊臣家に丸投げしていたからな。仕事を任せられそうな石田三成殿や長束正家殿は参戦しないし。ただ、上杉家もかなり無理をして兵をかき集めている。問題があるのはあちらも同じだ」


「短期決戦に持ち込まれるのですか?」


「それは相手の出方次第だな。兵を下げて籠城するなら、東北の大名たちと締め上げていく」




 5月中には会津征伐の案内が諸大名へと送られることになるが、反応はそれぞれ異なっていた。


 西日本の大名は唐入り後の後遺症や家中の揉め事、政治的な立場の微妙さなどの理由から参戦に及び腰の者が多かった。


 また軍を派遣したとしても、大将は当主ではなく別の者に任せたりと比較的士気は低い。



 一方で東日本の大名は堀家や伊達家を筆頭にやる気を見せる。


 しかし、上杉家と仲の良い佐竹家があまり乗り気でなかったり、後に判明することだが東北のまとめ役である最上義光に至っては上杉家に情報を漏洩している始末だった。


 秀吉であればもっと徹底した軍の手配・運用が可能だったであろうが、久々の戦でこの規模の軍を運用しなければならない徳川家にとっては、流石に荷が重かったのは事実である。



 しかし各家が準備に走り回る中、今回の騒動で初めて家康を喜ばせる知らせが入った。


「三成殿が今回の戦に協力を申し出た!?それは本当か?」


 なにかの間違いではという顔をする家康の反応は最もであり、知らせを告げに来た正信も信じられないという顔をしていた。


「はい、先程使者の方々が到着し、書状にもその通りの内容が述べられています」


「三成殿が参陣するのか?」


「いえ、蟄居中の身であるため流石に自らが動くことはできない。代わりに息子の重家を参陣させ、補佐として大谷吉継様を付けるとのことです」


「吉継殿も来てくれるのか!三成殿とワシの仲を取り持とうと色々動いていてくれたのは知っているが、病で身体が十分に動かせないというのに...」


「いやー、佐和山城で軍備増強していましたが、あの準備がまさか我々の助けになるとは思いませんでしたね」


「良かった、あの時止めなくて本当に良かった...」




 三成が協力を申し出たという事実は、遂に豊臣政権が一枚岩になる日が来たかと家康と吉継の両名を大喜びさせた。


 家康だけではなく、吉継も武将としての最後を飾ろうと参陣に応諾する。


 これで上杉家を屈服させれば、豊臣政権における大きな問題は概ね片付くことになり、後は秀頼が成人しさえすれば、改めて豊臣家が権力を掌握して終わりとなる。


 秀吉の死後、混迷の一途を辿ってきた豊臣政権にも、ようやく明るい未来が見え始めた。



「これで戦国の世も終わりだな。最後の大仕事を片付けるぞ!」


 家康は後陽成天皇から晒布を、豊臣秀頼からは黄金・兵糧を下賜され、文字通り豊臣家の忠臣として謀反人の上杉景勝を討伐するという大義名分を得る。


 出発前の評定には五大老・五奉行のほとんどが欠席するというまとまりの無さを見せるが、それでも6月16日に家康は大坂城から軍勢を率いて会津征伐に出征した。



 征伐軍の総数は約10万人。


 これに対し上杉家は約5万人と数は2倍近い差がある。


 しかし、征伐軍も決して一枚岩というわけではなく、諸大名はこの戦がどうなるか固唾をのんで注視していた。

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