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五大老筆頭 徳川家康  作者: 牛熊


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9.会津征伐 -4

 慶長5年5月3日。


「こ、この内容は...」


 上杉家から使者が持ち帰った書状を見た、家康を始めとする面々は絶句した。


 内容を既に知っている使者たちは顔色が悪くなっており、この先何が起こるのかを確信しているようである。



 家康が上杉家に送った問責状はいくつかの項目に分かれていたが、家康たちもそれら全てに対して十分な回答がされるとは思っていなかった。


 とりあえず謝罪の言葉だけでもあればいい。


 臣従する姿勢さえ見せれば戦だけは回避できる。


 そう思って開いた書状に書いてあったのは、徹底的に家康を煽り倒す文面であった。




 家康からの問責状に対する回答、いわゆる直江状であるが、その内容は家康からの質問に対して1つ1つ丁寧に答えている。


 ただし、その回答内容が大問題であった。


 揚げ足を取ったり、余計な一言を付け加えたりするのはまだマシな方である。



 帰国したばかりだというのに上洛しろと気軽に言うが会津は雪国であり、雪が降っている間は政務がまともにできないことも知らないのか?いつ仕事しろと?それくらい周りの人間に聞いてから言え。


 上洛しないと駄目なのは分かっているし、豊臣家を蔑ろにするのは良くないことであり、挙兵して家康を叩き潰すことはできるがそれをやって悪人と呼ばれたくないからやりません安心して下さい。


 逆心が無いと何度も言っているのに逆心無ければ上洛しろとか、お前は聞き分けのない赤ん坊か?



 その他も色々と書いていることに加え、直江状は途中からやたらと文章が長くなっており、全体で言えば家康の書状の4倍近い長さに及んでいる。


 兼続も書き終わってから書き過ぎたと冷静になったのか、最後におまけ程度に軽く謝罪している程である。


 一応、上杉謙信の供養祭が終わったら夏頃に上洛すると記載されていたが、それを信用する人間は豊臣政権の中に誰もいなかった。




 事実上の宣戦布告であり、ここまで徹底的に煽られた以上、家康としては自らの面子を守らなければこの先大名として生きていけない。


 上杉家からの回答を受け、家康は即日上杉家の討伐を決定する。


 会津征伐の開始である。





 会津征伐を宣言した後、家康は本多正信と今後の対応について相談していた。



「勢いで上杉家の討伐を宣言したんたが、結局あいつらは何が望みなんだ?書状には要求みたいなものも書いてなかったし、よく分からんのだが」


 家康は困ったように正信に尋ねるが、聞かれた正信も首を傾げることしかできなかった。


「何でしょうね?」


「おい…」


「いやいや、真面目な話ですよ。上杉家がここまで頑なに反抗する理由は正直思いつきません。大老の地位も捨てて、豊臣政権から実質的な離脱を果たしたいようにも見えますが」


「旧領地である越後を取り返し、東北・関東に一大領地を築こうとしている?」



 家康の考えに対して正信は首を横に振る。


「どう考えても時期が悪すぎますよね。殿の台頭などはあるにせよ、石田三成様と浅野長政様は蟄居、長束正家様は職務放棄で帰国、前田玄以様は半隠居状態、前田利長様と毛利輝元様は徳川家に降伏し、宇喜多家は自滅で崩壊。周囲のまともな味方といえば佐竹家くらいしかいない状況です。北条家の如く袋叩きにされて終わりですよ。やるならもっと早くにやらないと」


「そうなるよな…。このままだとワシに殺されると考えた?」


「殿は権力の簒奪という意味では危険かもしれませんが、対立相手の命や領地を奪うようなことはしておりません。基本的に謝罪または人質を出せばそれ以上のことは求めません。これらを勘案すれば、この時点で無理に反抗する必要は全くないでしょう。従う振りをしつつ、殿の寿命や不祥事で失脚するのを待つ方がどう考えても賢明です」


「あいつらは秀吉殿には早い段階から臣従していたし、今回に限って時流が読めていないのは不自然だな...。というか、ワシに勝った後どうしたいんだ?」


「豊臣家に取って代わるか、それとも東日本に独立勢力として領地を築きたいとか?」


「戦国時代に逆戻りか...」


「上杉家は地方大名として振る舞うことしかできないという話かもしれませんね。島津家もですが、一部の地域が自分たちの全てであって、中央のことなど興味を持っていない大名は多くいます」


「大老がそれだと困るんだが...」


「困りますね...」


 話し合いの末、どうにもならないことだけが分かり2人は頭を抱える。




 上杉家の目的が分からないということは、会津征伐の落とし所が見えないということを意味する。


 要求のようなものも特に無いため、戦そのものが目的であるようにしか見えなかった。


 ただし、戦国大名としての上杉家からすれば、1度も戦わずに膝を屈すること自体が恥だった可能性はある。



 戦国時代において戦というものはちょっとした諍いで起きるものであったが、一方でそこまで大きな被害になるまで続くことはあまりなく、ある程度戦った後に停戦や休戦を繰り返すことが多い。


 これは兵站の問題が多大にあるが、家臣や自領の有力者などに対して示しが付きさえすれば、戦の勝敗をはっきりさせる必要がなかったというのも要因の1つである。



 とはいえ、これはあくまでも秀吉が台頭する前の話である。


 秀吉が台頭してからは、戦は白黒はっきりつけるまで行くことが多くなり、政治的な駆け引きの段階まで持ち込めたのは家康くらいとなる。


 景勝や兼続がどこまで計画していたのかは不明だが、戦の認識そのものに家康と齟齬があった可能性は高い。

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