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五大老筆頭 徳川家康  作者: 牛熊


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8.徳川家康私婚事件 -2


 慶長4年3月11日。

 家康は病気で倒れた利家の見舞いに出向いていた。


 利家が先日家康の屋敷を訪問した際、返礼として利家の屋敷を訪問するという約束をしていたが、それがまさか病気の見舞いになるとは誰も思ってもいなかった。


 またこれまでとは違い、利家の体調は明らかに末期であり、恐らくもう助からないと噂されていた。



 事実、家康の前にいる利家は布団の上に横たわったまま、立ち上がることもできなさそうなくらい衰弱していた。


 家康は利家の枕元に座り話し始める。



「見舞いに来たぞ利家殿。横になったままで構わんから話せそうか」


「...申し訳ないな。歓待すると言っておきながら、このように礼を逸した姿を見せるとは...」


「気にするな。あと10年もすればワシも似たようなものだろう。それに島津家がまた問題を起こしたという知らせが届いてな。その話を一旦忘れられるなら、どんな饗宴であろうと最上のもてなしよ。そう言えば、先日三成殿が宇喜多家や伊達家などを招いて茶会を開いたらしいな。舶来品の葡萄酒も出て夜遅くまで盛り上がったと聞いたぞ」


「家康殿の忍冬酒も今度出してみたらどうだ?まあ、あれは癖が強いから人を選ぶがな」


「健康に良いから我慢して飲め」


「味を無視して酒を飲む奴がいるわけないだろう...」



 言葉通り家康は気にした素振りも見せず、肩書を捨てたかのように気楽そうに話を続ける。


 普段は礼にうるさい利家もこれを咎めようとはしない。


 家康と利家とは長い付き合いであり、双方共にこの期に及んで取り繕う気も起きなかった。



「家康殿。最後に確認しておくが、豊臣家をないがしろにする気は無いということでよいか?」


「当たり前だろう。秀頼殿が成人になれば、何もしなくてもワシは自動的に義理の祖父になるんだぞ。そうなれば後は秀忠に全部押し付けて隠居して終わりだろ。なんでわざわざ波風を立てねばならんのだ」


「まあ、そう考えるだろうな。しかし、下の世代はそうはいかんぞ。年寄りたちは既に戦を嫌がって隠居を待つだけだが、若者たちにとって戦の世はまだ終わっておらん。武功を稼ごうと躍起になっておるし、今の領地のままで終わる気もない」


「伊達家に黒田家、上杉家と問題児は確かに多いな。目を離すとすぐに何かしでかす上、全く反省しようとせん」


「相互監視や大名たちの連携など言いながら、先の事件の際には豊臣政権はあっさりと割れた。その上、五大老や五奉行の中にも軽率に戦を始めようとする者がいる始末。当の豊臣家一門に至っては存在感が無く、大名たちには豊臣家への忠誠心も無い。家康殿が宰相として政権を立て直す気があるなら、邪魔者は排除せねばどうにもならん。その覚悟があるのか?」


「...やらねばならんか?」


「戦国大名など所詮は力でしか従わん。合議制などと言ったところで力が無ければ誰も言うことは聞かんし、権力があろうとも舐められればそこで終わりよ。北条家のように力の差があっても膝を屈さない者が多いというのに、話し合いや監視でどうにかなると考えている事自体が的外れだ。戦の世を生き抜いてきた家康殿なら分かるだろう?」


「信長殿と秀吉殿を見てきたからな。というか、今言われて北条家の面倒さを思い出したぞ」


「家康殿が本気で邪魔だと言うなら、首を刎ねるか取り込むかの2択しかない。相互監視などというぬるま湯に浸かった考え自体が甘いわ。そういう意味では徹底して家康殿を優遇した秀吉殿は見事だったが、残念ながら最後に詰めを誤ったな」


「五奉行には三成殿や長政殿がいる。利家殿の後継には嫡男の利長殿が就くだろう。まだ何とかなると思っているのだが...」


「某の息子もどう出るかは分からんぞ。それに、前田家の家臣団も対立していて一枚岩ではない」


「どこの家も似たような話ばかりだな...。宇喜多家や毛利家も内部で揉めているし、まとまっている上杉家や伊達家は一貫してロクなことをしないし」



 2人して大きな溜息をつく。


 親の心子知らずという言葉があるが、豊臣政権の中枢と呼ぶべき人間たちが話を聞こうとしない大名たちの面倒を見るのは何と言うべきだろうか。



 言うことを聞かない問題児たちが暴れれば上に責任が回ってくる。


 偉くなれば自由に振る舞えるようになるなど、所詮幻想でしか無いと痛感させられてきた2人だった。



「振り返ってみると、面倒な大名たちをまとめていた信長殿や秀吉殿は大したものだな。同じ立場になって苦労がよく分かったわ」


「家康殿はまだこれからが本番だがな」


「勘弁してくれ。.........恐らくこれが今生の別れだろう。最後に聞いておきたいのだが、もしワシが豊臣家のためにならんと見なされていたらどうなっていたんだ?」


「布団の下に太刀を隠していてな。それで斬りかかるつもりだった」


「...その身体でよくやるな。まあ、槍の又左に討たれるなら名誉と言えば名誉か」


「某は先に2人の元に行くが、家康殿はもう少し粘ってから来ることだな。そうでないとまた叱られるぞ」


「60歳も目の前だというのに、まだ働かねばならんのか...。普通ならとっくに隠居している歳だぞ」


「某も似たようなものだが隠居願いを却下されているからな」


「はぁ...。せいぜい頑張るとするか。ではな」


「ああ、さらばだ」



 家康は利家の屋敷で前田家や諸大名が参加する中歓待を受けた後、特に諍いもなく伏見城の屋敷へと戻る。


 これにより事実上、徳川家と前田家、そしてそれに連なる諸大名たちは和解が成立。


 そして、家康と利家が顔を合わせたのはこれが最後となった。





 3月13日。

 家康は利家に対し、歓待の礼と身体をいたわるよう書状を送る。


 その後、家康は19日に伏見城の屋敷から向島城へと移る。



 月が明けた閏3月3日、家康の元に利家が死去したという知らせが届く。



 利家は諸大名に貸し付けた金銭の証文を全て燃やすよう遺言を残しており、返済しに来た者がいても受け取らないよう手配していた。


 また、溜まっていた仕事を処理し全ての書類に花押を押すなど、自分の死後に問題が起きないよう最大限の配慮を行っていた。


 しかし、その利家の努力も水泡に帰す。




 閏3月3日。

 利家の死去当日、武断派が石田三成を襲撃するという大事件が起きることとなる。

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