7.五大老筆頭 -2
6月下旬。
秀吉は今後の政権の体制について命令を下すため、伏見城に諸大名を呼び寄せた。
この時の秀吉は背筋を伸ばし至って健康であるかの様に振る舞っていたが、目はくぼみ、頬は痩せこけており、最早死人同然であった。
秀吉の姿を見て多くの者は衝撃を受けると共に、最早幾ばくの猶予もないことを悟る。
「皆の者、今日はわざわざ集まってくれて感謝する。皆が懸念しているであろう、今後の政治体制について正式な命令を下したいと思ってのう。すまんがよろしく頼む」
笑いながらそう言って、秀吉は目の前に並ぶ大名たちを見渡す。
余命短いとはいえ、その迫力のある目つきは諸大名たちに往年の秀吉を思い出させた。
「嫡男秀頼の後見人は家康殿と利家殿が務め、家康殿の孫娘を秀頼の嫁としたい。また、秀頼が成人するまでは政事を家康殿に託す。加えて、五大老・五奉行の制度を導入し、今後の政務はこれらの者たちが主導する。実務は五奉行が取り仕切り、五大老がそれを監督する形となる。詳細は改めて伝えるが、まずは今言った内容が基本方針であり、この秀吉の遺言でもあると心得て欲しい」
この秀吉の発言に諸大名は驚くが、この中で最も驚いていたのは宰相を任されることになった家康であった。
他の豊臣縁故の大名たちを差し置いて、外様大名である徳川家が宰相の地位に付くなど、普通に考えればありえないことである。
加えて、秀頼の後見人に任じられただけではなく、孫娘を嫁がせるとなればまさに家康は豊臣一門の筆頭格に名を連ねる。
これまでの特別扱いが霞むような高待遇であり、家康は他の者たちと同じく動揺を隠しきれなかった。
ただし、ここまで厚遇されるとなれば、流石に他の大名たちから不興を買うことが避けられない。
既に奉行衆から目をつけられているというのに、ここに来て全国の大名たちまで敵に回すことになれば正しく最悪の事態である。
周囲からのお前は何をして取り入ったんだという視線に家康は耐え難く、秀吉の遺言を聞かなかったことにして今すぐこの場から逃げ出したくなった。
どうしてワシなのかと叫びたい家康ではあったが、この場で理由を問いただすようなことができるはずもなく、またこの遺言を断ることなど不可能である。
控えていた奉行衆の方を見れば、苦虫を噛み潰しているような表情をしている者ばかりで、明らかにこの決定を不服としていた。
しかし、当の秀吉は笑顔で家康に語りかける。
「家康殿、申し訳ないが秀頼が育つまでの間、天下の差配を任せることになるがよいかな?当然、お主1人に全てを負わせるつもりはない。皆と力を合わせ、次世代の豊臣家を支えていって欲しい」
「も、もちろんです。この家康、身命を賭して任を果たしましょう...」
既に退路などなく、家康は冷や汗をかきながらこの命令を受けるしかなかった。
家康は足元がおぼつかないまま、何とか屋敷に帰ってくる。
屋敷の中に入ると、待ち構えていたであろう正信が駆けつける。
「殿。こたびの謁見はいかがでしたか?」
「ワシは聞いておらん!聞いておらんぞ!なんでワシが豊臣政権を差配することになるんだ!?」
「......は?」
「秀吉殿に秀頼殿の後見人と、成人までの間の宰相を頼まれた!後見人になるのはまだ良い!しかし、宰相となって指示を下すなど無理があるわ!」
「......前田家や毛利家ではなく?」
「そうだ!そもそもワシは豊臣政権内の執務など、これまで大して関わっておらん!しかし、奉行衆に任せるにしてもあやつらはワシを排除したがっておる。形の上では五大老・五奉行の合議制とはいえ、これでまともに役目をこなせるはずがなかろう!」
「奉行衆は止めなかったのですか?」
「心底嫌そうな顔をしておったから、流石に1度は止めたのだろう」
「それでも秀吉様が押し通したと。......どうしましょうか?」
「どうにもならん!宰相とは言え、政事の主導は奉行衆にある。当面はあやつらの言うことを聞くしかあるまい」
「まさか秀吉様からの信任がここまで厚いとは...。徳川家を排除するのではなく、逆に豊臣一門に組み込もうという発想は流石秀吉様ですね。毛利に倣ったのかもしれませんが、実現すれば確かに豊臣家の地盤の弱さも解消できます。徳川家がやりすぎないよう、政権内の監視体制も合わせて導入とはなかなか...」
「期待が重すぎる!今回の件で毛利家と宇喜多家からも白い目で見られるし、ここまで味方がいない状況でどうしろと言うのか...」
「包囲網といった状況ですね。信長様も秀吉様も似たような危機を乗り越えておられますし、殿もそれにあやかるということで。秀頼様が成人されるまで耐えれば勝ちですよ」
「勘弁してくれ...」
この秀吉の遺言により、豊臣政権内で五大老・五奉行の体制が確立することとなる。
五大老は徳川家康、毛利輝元、前田利家、宇喜多秀家、上杉景勝が就任し、五奉行は浅野長政、前田玄以、石田三成、増田長盛、長束正家が就任。
また、政事を託された家康は五大老筆頭として扱われる。
ただし、実務はこれまで通り五奉行が取り仕切るため、合議制であることも加わって家康にはそこまで大きな権力は与えられていない。
それどころか何かあった時の責任は五大老が担う形となっているため、筆頭である家康は最初に責任を問われる立場となる。
五奉行の筆頭は親徳川派の長政ではあるが、中立である利家を除けば、残りの五大老と五奉行は全て反徳川派である。
かくして、周囲を敵対派閥に囲まれた状況で家康の五大老筆頭としての日々が始まる。




