7.五大老筆頭 -3
6月の謁見後、五大老と五奉行は協議の進め方などに従うことについて誓詞を交わす。
また、秀吉は改めて8月5日に遺言状を作成。
その内容は秀頼への助力の念押しと、諸大名への別れを告げるものだった。
しかしここで1つ問題が起きる。
秀吉の遺言が6月から8月にかけてたびたび内容が変わり、どの内容に従うべきなのかが曖昧になってしまう。
口頭のみで指示されることも多かったため、五大老と五奉行は協議の上、誓詞に記載された内容にのみ従うことを決定する。
ただしこの決定により、後に秀吉の遺言の解釈が人によって分かれ、一騒動起きることになってしまう。
8月18日。
屋敷に滞在していた家康の元に正信が知らせを届ける。
「殿、本日秀吉様が亡くなられたとのことです...」
「そうか。遂にこの時が来てしまったか...」
「遺命に従い、殿は伏見城にて政務を執ることになりますので、予定通り移動の準備を始めます」
「うむ。...これでこの先3年間は上方から離れられなくなるのか」
「まあ、遺命ですので仕方ありませんな。秀忠様は江戸に帰国させることになります。また、もし殿に何かありましたら、秀忠様が代わりに秀頼様の世話をすることになります。話があれば今の間によろしくお願いします」
「分かった。とりあえずワシは秀吉殿に最後の挨拶をしてくる。その間に準備を進めておくように」
伏見城に向かった家康が見たものは、正に混乱の真っ只中というべき光景であった。
秀吉の死は当面隠されるよう指示が下っていたが、それでもいざ事に及べば人の口に戸は立てられない。
大声を上げる者はいなかったが、走り回る者がそこら中にいた。
恐らく秀吉死去の知らせを関係者に伝え回っているのだろう。
「この慌ただしさを見れば、何が起きたかはすぐに分かってしまうな...」
明軍や朝鮮軍がこれを知れば、この先待ち受ける講和は非常に困難なものとなる。
とはいえ、走り回る者たちを捕まえたところでどうにかなるものでもなく、家康は諦めて城内を進む。
案内役は部屋にいる者に家康が到着したことを伝え、しばらくした後に中に入るよう促す。
通された家康が見たものは、穏やかな顔で眠る秀吉とそれを囲む政権関係者たちだった。
そして、家康は秀吉の枕元まで進むよう促された。
部屋の空気は重いが、一方で安堵している者たちも多い。
秀吉が亡くなったことでこの先を不安に思うだけではなく、勘気に触れて処罰を受けることがなくなったことで一息つけるようになったのもあるだろう。
それらの者たちは不謹慎であると言われても仕方ないが、晩年の秀吉を知っている周囲の者からすれば咎める気にはならない。
家康は秀吉の手を取り、頭を下げる。
秀吉とは色々あったが、天下を統一した英雄であることは間違いなく、その秀吉に許され信頼されたからこそ今の徳川家がある。
共に織田信長の下で走り回ってきた頃からの思い出が蘇り、自然と涙が溢れてきた。
長い間お疲れ様でしたと心の中で言って、秀吉の手を戻す。
家康は涙を拭い、事実上の豊臣家の筆頭となる淀殿に挨拶をしようと顔を向ける。
しかし、そこにあったのは、疑心暗鬼に包まれた目で家康を見る淀殿と家臣たちであった。
淀殿たちからすれば、家康は豊臣政権を乗っ取ることができる人物であり、秀頼が成長する前に排除しようと企む可能性を考慮しなければならない。
家康にその気があろうとなかろうと、家康はこの先周囲からこういった目で見られること避けられず、家康は周囲と関係を築こうとしても酷く苦労することになる。
家康は気分が更に落ち込みながら淀殿に近づき、頭を下げる。
「このたびはまことに...」
「ご足労頂きありがとうございます家康様。遺言通り、秀頼の後見人をよろしくお願い致します。この先は家康様が頼りです」
淀殿は笑顔を向けながらそう言うが、社交辞令であることは明らかである。
側に控える家臣たちに至っては、家康が近づいただけで緊張が顔に出ていた。
彼らが秀吉ほど家康を信頼しているわけが無く、家康をそう簡単に信用できないのも致し方なかった。
政権内における勢力は五大老や五奉行だけではない。
家康はあくまでも豊臣家に雇われたような立場でしかなく、上に立つ淀殿の機嫌を損ねれば明日にでも失脚することになる。
家康はこの先、淀殿の派閥とも関係を築いていく必要があった。
「かしこまりました。非才の身ではありますが、利家殿と力を合わせ、この難局を乗り切れるよう尽力致します」
せめて豊臣家が味方についてくれれば状況は大きく改善するというのに。
家康はそう思いながら部屋を後にした。




