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五大老筆頭 徳川家康  作者: 牛熊


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6.豊臣政権の崩壊 -8

 2度目の朝鮮出兵において、明軍と朝鮮軍は対応の不味さから前線が崩壊し、日本軍は当初の戦略目標をあっさりと達成する。


 ただ、参加している諸大名たちは前回と異なり、そこから積極的に攻勢を仕掛けようとはしなかった。


 一部の若手が功績を求めて動いている程度で、基本的には厳しい冬を安全に越し、次の命令を待つという方針に沿って軍を動かすことになる。





 一方、その頃国内では毛利家で問題が発生していた。



 慶長2年6月12日。

 毛利家の重鎮である小早川隆景が死去。


 秀吉の御掟五ヶ条に署名する有力者だったが、豊臣家から秀秋を養子に取った後は家督を譲って隠居し、毛利の東の拠点として三原城をひたすら増改築する生活を送っていた。


 この空席となった座を誰が埋めるのか、そしてどう取り入るかについて、諸大名は話し合うとともに動き始めることになる。




 そんな中、家康と秀忠は隆景の葬儀の対応などに追われていた。



「秀忠。小早川家の葬儀だが、連名で書状送るから内容を確認しておいてくれ。養子の秀秋殿はまだ若く、流石に隆景殿の後任とはならないだろう。別の者が就くと考えておくように」


「はい。隆景様ですが、秀吉様からの評価が特に高かったと伺ったことがあります。そうなのですか?」


「西日本は隆景に任せていれば安泰である。そう言われていたな。毛利家が豊臣政権における西日本の要であることと、吉川家の方が好かれていなかったこともあっての発言だが。とはいえ、豊臣家から養子を取っているし、毛利家の中では豊臣政権からそれなりの扱いを受けている」


「なるほど。では、東日本は誰なのでしょうか?」


「ワシ」


「...............」


「...笑っても怒らんぞ」


「失礼しました...」


「別件だが、5月に新築の伏見城に移動した秀吉殿だが、どうも体調がかなり悪いようだ。医者からも活動を制限されているようで、しばらくの間は決裁などが遅れる見込みだ」


「急ぎの案件が入ってくると困りますね。会津も未だ家中の混乱が収まりませんし」


「あのアホどもはいつまでやる気なのか。あれだけ言っても話を聞こうともしないとは。西日本が穏当に収まっているのとは対照的だ。会津といい東北といい、西日本を見習って欲しいわ」


「江戸からも近いですし、そろそろ何とかしたいですね」



 かねてから決められていた通り、隆景死後の毛利家では毛利両川の穴埋めとして、吉川広家と毛利秀元が中心となって毛利家を支えていく形で話が進められた。


 しかし、親豊臣派であった隆景の後釜として、安国寺恵瓊が台頭し始めたことで話が変わってくる。



 恵瓊は豊臣との窓口担当であり、過去に毛利と秀吉が戦っていた際にも和睦と協力を後押しした経歴を持つ。


 奉行衆の石田三成とも懇意である上に秀吉との距離も近く、半ば豊臣家の家臣として見なされたりと、この時期の毛利家での立場は微妙なものとなっていた。


 広家は秀吉からあまり好かれていなかったこともあり毛利優先派であったため、恵瓊と方針が合わず家中で対立が始まる。


 そして、この2人の対立は後の関ヶ原の戦いにおいて事件を引き起こすことになる。





 また、広家と恵瓊の対立とは別に、後日もう1つ大きな問題が毛利家で発生する。

 隆景の領地の扱いである。




 家康が屋敷で仕事をしていると、康政が書状を持って入ってくる。



「殿、毛利で揉め事が起きているとの知らせが入りました。先日亡くなった隆景殿の領地の扱いについて豊臣政権と揉めているそうです」


「隆景殿の所領である三原は毛利家に返すという話だっただろ?返して終わりじゃないのか?」


「それがですね、当主の輝元殿に嫡男が生まれたこともあって話がこじれているようです」


「嫡男って、後継者であった毛利秀元殿はその座を譲って独立すると言って終わっただろ。秀本殿が希望していたのは長門国だし、隆景殿の領地と何の関係があるんだ?」


「本来関係は無かったんですが、そこを紐づけた人間が出てきました」


「そんな面倒なことを言い出したのはどこのどいつだ」


「奉行衆の三成です」


「...本当?」


「本当です。広家殿の所領を秀元殿に渡し、広家殿は隆景殿の所領に移動する案を提示したそうです。三成は毛利の取次なので口を挟む事自体は問題ありませんが、この案に対して毛利が難色を示しているそうです」


「.........何のためにそんな面倒なことを?」


「さあ?ちなみに、輝元殿は秀元殿を広家殿の領地である出雲国を与えるのは賛成なものの、広家殿には備中国を与える予定だったらしく、3人全員から反対されているそうです」


「どう考えても駄目だろ...」


「広家殿の領地を奪い、対立している恵瓊殿を支援するのが目的でしょうかね」


「それくらいしか思いつかないな。権力争いが激しくなってきたな...」


「まあ西日本の話ですし、我々には関係ないので好きにやらせておきましょう」


「毛利が傾くと西日本の治安が悪くなるから、そういうわけにもいかないんだよ!宇喜多も家中が対立しているし、朝鮮出兵で西日本が荒れる時期になんで面倒事を起こすのか...」


「秀吉の体調が芳しくないという話が増えていますし、存命の間に政権を安定させようと焦っているのでは?」


「気持ちは分かるが、こんなやり方をしていたら敵を増やすだけだぞ」




 結局この問題は長引き、最終的に豊臣政権は広家に与える領地を決めないまま、秀元に広家の領地を与える案を無理矢理通す。


 しかし、案を推進した三成に襲撃事件が発生し、失脚したことで白紙に戻ることになる。


 その結果、家康にこの調整役の仕事が押し付けられることになるが、この時点では徳川家は他人事として認識していた。



 なお家康が調停に乗り出した際には毛利の意向を汲み、秀元には長門国を与え、広家の所領は変更無しという案が提示された。


 最終的には毛利家が納得する形で収まったが、この騒動が毛利家中での対立と混乱を産み、広家が反三成・親家康としての立場を強くする土壌を作ることとなった。

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