6.豊臣政権の崩壊 -7
文禄5年9月1日。
先日の地震により予定がずれていたが、秀吉と明の使者との謁見が行われる。
秀吉の機嫌も良く謁見自体は問題なく進み、家康を始めとした同席者もこれで唐入りは終わると胸を撫で下ろした。
しかし、数日後に事態は急変する。
仕事をしていた家康の元に家臣が駆け込んでくる。
「殿、大変です!豊臣家から伝令が来ました!」
「何があった?明の使者の帰り支度に問題でも起きたか?無事帰って貰わないと困るが...」
「明との講和を破棄し、朝鮮への侵攻を再開するとのことです!」
「...今何と言った?」
「朝鮮への侵攻を再開します。そのため、徳川も各種準備を進めるよう命令が届いております」
「待て待て待て。つい先日の謁見は和やかに終わったんだぞ。何でいきなりそんな話になるんだ?」
「さぁ...。本件を告げに来た豊臣の者も困惑しておりましたので、文字通り事態が急変したものかと...」
「ということは秀吉殿の気が変わったのか?唐入りを終わらせ、国内の安定を目指すはずでは...」
明との講和成立直前に、秀吉が突如として方針を変更して再出兵の命令を下す。
明の使者だけではなく、国内の諸大名もこの決定には驚き慌てるが、秀吉はそのまま戦の準備を始めてしまう。
そして豊臣政権は10月に元号を慶長に改め、翌年の慶長2年2月21日に14万の軍をもって侵攻を再開することとなる。
諸大名が再出兵に向けて準備をしている中、家康は忠勝や元忠とキリスト教の扱いについて議論していた。
「キリスト教徒は正直扱いに困る。忠勝、どう管理すべきだと思う?」
「それは先日の追放令をどこまで守るのかという話か?とりあえず、殿が寺を焼いたように教会を焼けばいいだろう」
時は遡り文禄5年8月28日。
スペインのサン・フェリペ号が台風の影響で土佐に漂着した。
そのまま船が座礁したところまではよくある話だが、長宗我部家が積まれていた財宝の所有権を主張し始めたことで話がこじれ始める。
調整役として増田長盛が派遣されるが、長盛が船員に賄賂を要求したところ、この礼儀知らずは何を言っているのだと断られる。
長盛は断られた報復として、財産を全て豊臣家で没収しようと画策した。
当然ながら船員たちは怒り狂うことになるが、こちらもこちらで勢い余って余計なことを言ってしまう。
キリスト教の宣教師は侵攻の下準備を整えることが目的で派遣されており、いずれ日本もスペインに併呑されることになるぞと恫喝し、これを真に受けた長盛が激怒。
そのまま秀吉に報告がいったことで、キリスト教徒に対する締め付けが再度厳しくなるというドミノ倒しのような事件が起きていた。
そしてこの影響が直撃したのは上方で布教活動を進めていた宣教師たちであり、今まで何も言われていなかったのにも関わらず、突如として追放と処刑という重罰を受けることになる。
「そうだ。以前秀吉殿が発令したバテレン追放令だが、あれは問題を起こしていた一部の者に対する締め付けが目的。その後は有名無実化しており、実際に京でも宣教師たちは布教活動を行っていたくらいだ」
「で、それがまとめて長崎送りになったと。しかし、最近はキリシタン大名も増えているし、徳川領内でも他人事ではなかろう。大名が家臣や領民に改宗を迫って問題になる話も多い」
「それで困っているんだよ...。何かいい案は無いか元忠?」
「正直なところ、領内では原則禁止とするしかないかと思われます。宇喜多家でもキリスト教徒と日蓮宗徒の家臣同士で争っている始末。家中が割れることだけは避けなければなりません」
「あそこまだやっているのか?」
「まだやっています。この調子であれば、いずれ何かしらの事件を起こすでしょう」
「...それが徳川でも起きる可能性があると?」
「はい。宗教は便利な道具であると共に、国を滅ぼす毒でもあります。一向宗と戦ったことのある殿であれば骨身に染みておられるでしょう」
元忠に言われ、家康は三河での一向宗との戦いを思い出す。
徳川領内で一向宗主導による一揆が発生した際、家臣の多くが一向宗に付き、一族内部でも争うところが出てくる始末だった。
勝ったところで得られるものは大して無く、宗教を精神的な支えとした兵は簡単に降伏しようとはしない。
最終的に一向宗を排除することはできたが、あのような不毛な戦はもう懲り懲りだった。
「確かに。問題を起こすのであれば、仏教徒であろうがキリスト教徒であろうが同じだな。信仰自体はどうこう言う気はないが、害を振りまくのであれば処罰するしかあるまい」
「だから言っただろう。こういう時はまず教会を焼くのが正解だ」
「忠勝が言うと意味が違って聞こえるんだよなぁ...」
「何を言っている。徳川はまだマシだが、キリシタン大名の多い西日本は大変だぞ。1度根付いた宗教はそう簡単に取り除けない上、今後は改宗しなければ改易もありえる。しかし、農民や家臣に改宗を押し付ければ何をしでかすか分からん」
「板挟みだな。家中で騒動が起きたり、一揆を起こされでもすれば、それを理由に改易される可能性も十分にある。危険の芽は早い内に摘み取っておくしかないな」
「大人しく言うことを聞くならば黙認するが、それが出来ないなら処罰するのは為政者として当然だろう。ましてや、今回は海外諸国が日本へ侵攻する際の地ならしと明らかになった。どう考えても排除するしかあるまい」
「じゃあ、それで行くしかないな。家中の者にも追って命令を下そう」
キリスト教の扱いはその後も日本の為政者を悩ます種となっていく。
当初の日本ではキリスト教そのものに対する排斥はそこまで強くなく、改宗を迫る点については仏教徒でも同じようなことをしており問題視されていた。
しかし奴隷販売や従属化工作に代表されるように、宣教師や交易相手の言動を踏まえて問題があると判断され、徐々に規制が強化されていくこととなる。
また宣教師や交易相手も一枚岩ではなく、宗派や国によって目的や行動方針に違いがあり、互いに足を引っ張り合うことも多かった。
そのため、大名たちも誰とどのような付き合いをするのかを迫られることになる。




