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五大老筆頭 徳川家康  作者: 牛熊


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4. 小田原征伐 -5

 小田原包囲の開始から3ヶ月後の7月5日、北条は豊臣に降伏した。



 北条氏直と太田氏房が切腹と引き換えに城兵の安堵を申し出したが、最終的には北条氏政と氏照が切腹となる。


 氏規は追腹を切ろうとしたが止められ、後年秀吉に許されて領地をあてがわれる。


 高野山に蟄居となった氏直も同時期に許されて大名に復帰するなど、領地は奪われたもののある程度配慮された処置となった。



 名門かつ関東に巨大な領地を保有していた北条だったが、周囲が驚くほど呆気ない最後を迎えた。


 なお降伏自体は時間の問題だったとはいえ、大した盛り上がりもないまま終わりを迎えたことで、功績目当てで参陣していた諸大名は肩透かしを食う形となった。







 北条の降伏後、秀吉と家康は勝利を祝して酒を交わしていたが、こちらも勝ったにしては消化不良感が漂っており、そこまで喜んでいるようにも見えなかった。



「本当に抵抗らしい抵抗がなかったのう...」


「ありませんでしたね…。北条方の広沢重信が蒲生氏郷殿の陣に夜襲をかけたくらいですか」


「大将同士が一騎打ちしたらしいが、源平の頃と勘違いしておらんか?」


「北条は頭の中まで鎌倉の頃のままなのでしょうかね...。完全に油断していたのは事実ですが」


「暇すぎて兵がだらけておったからな。最後の方は兵の規律を保つため、調練がてら嫌がらせで毎晩鉄砲を打ち込んでいた始末。こちらも徳川殿の部下が攻撃したくらいか」


「うちの井伊直政が仕掛けたくらいですね。そういえば、仙石秀久殿を許されたそうですね」


「まあ、曲がりなりにも命をかけて戦った以上、なにがしかの手当はやらんとな。命もかけず、ただ許しを請おうと縋るようなら見捨てるが、そうでない分だけまだマシじゃろ」


「開城交渉が始まると小田原城内の空気も緩み始めていたようです。最後の方は降伏か抗戦かで揉めていたというより、このまま降伏するのは嫌だといった状況とも聞きます」


「笠原正晴の豊臣への内通を弟に教えたのは効いたな。あれで氏直は誰も信頼できなくなった」


「そういう意味では一夜城も効きましたね。あの作りは関東初なので、初めて見る北条方はさぞかし驚いたでしょう」


「石垣山城は気持ちよかったのう!ああいう派手なやり方で相手の度肝を抜くと楽しくて仕方ないわい」


「各地で粘っていた他の城が開城し始めたのを聞いて、城内もようやく降伏でまとまったみたいですが、もうちょっと何とかならなかったのか…」


「まさか主力同士の戦闘無しで終わるとはな。手柄目当ての諸将も肩透かしの結果に怒っておるわ」


「何で臣従を拒否したんですかね」


「本当に理解できん」



 二人して溜息をつきながら、今後の領地運営について話を擦り合わせていく。



「以前から話をしていた通り、北条の領地には家康殿に入って貰う」


「問題ありません。手筈は既に整えております。北条は転封と切腹でしょうか?」


「まあ、これだけ抵抗した以上、そうせざるを得んわな。それと沼田は真田に返す。ただ、沼田城の城主は真田信幸とし、真田本家からは半独立した形とする」


「なるほど。弟の方も秀吉殿の元で半独立状態ですし、昌幸殿の抑え込みが目的ですね」


「あれは放って置くと何をするか分からんからな。今の内に力を削いでおきたい。嫡男の方は家康殿の与力とするので、真田家中でも均衡を保ちやすくなるじゃろ」


「助かります。信幸殿には真田の防波堤として頑張って頂きたいと考えております」


「江戸の開拓も手伝って貰わなくてはならんしな」


「兵を動かすとしたら次は東北ですか。あそこも親戚同士で争っている土地柄、そう簡単には従わない可能性がありますね」


「九州のように目を離すとすぐに暴れ出しそうじゃな...。恨みも積み重なっているだろう」


「...関わりたくないですね」


「気持ちは分かるが、天下統一のためにはそうも言っておられん。伊達の小倅を使い倒す予定じゃが、素直に従わないなら北条のように潰すしかあるまい」


「地方の大名たちは本当に面倒ですね」


「地方は地元勢力が強く、大名をただの地域代表としか見ておらん者も多い。それ故、何かしようとしても抵抗が強く、取りまとめるのにも苦労をする。九州などもそうじゃが、そういった勢力を排除して大名の権限強化が必要じゃろう。反乱を起こす者も出るじゃろうが徹底的にやるしかあるまい」




 7月13日に秀吉が小田原城に入場し、徳川家の関東転封が正式に発表される。

 7月18日には徳川家康が江戸城に入場。


 これにより関東は豊臣の支配下に収まり、長きにわたる混乱がようやく終結した。



 なお、徳川が北条の領地をほぼ引き継いだことで、領地と官位の両面から徳川が豊臣政権の2番手となることが確定。


 徳川の領地の石高も250万石となり、豊臣傘下の大名で並ぶ者はおらず一段抜けた存在となった。


 しかし、この領地の急拡大により、家康は豊臣政権の関係者や他の大名などから、牽制が必要な厄介者として扱われ始めることになる。


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