4. 小田原征伐 -2
北条が真田の名胡桃城を奪取。
この知らせを受けた徳川家康は呆然と立ち尽くし、焦点が定まらない目で空中を見つめていた。
本多正信はそんな家康を気にもとめず隣で対応の指示を出していたが、立ち直り始めた家康がぼそぼそと喋り始めたのを見て手を止める。
「正信...。ワシには今の報告がよく分からなかった。すまんが色々と聞いてもよいか?」
「どうぞ」
「北条が真田の名胡桃城を奪った?」
「はい、真田の統治下にあった城です」
「真田は了解している?」
「しているはずもなく、既に訴状が届いております」
「秀吉殿の面子は?」
「完全に潰されました」
「秀吉殿の裁定に逆らったということは?」
「天皇陛下に背いたと同義。つまり朝敵です」
朝敵。
朝廷に逆らった賊軍と見なされることは、当然ながら軍事・政治両面において不利な立場に追い込まれることを意味する。
相手を欺くことが習わしとなっている戦国時代でも大義名分は重要であり、大義名分さえあれば多少の無理は効くようになる。
この時点で北条は朝廷に弓を引いたことになるため、豊臣が討伐軍を起こすことを止めることはできない。
また、討伐に際しては周囲も豊臣に協力せざるを得ず、北条は従来の協力相手を引き止める工作が必要になる。
「北条がここからやり直すためには何ができる?」
「当主が今すぐ上洛して謝罪して隠居するか、前当主が腹を切るくらいは必要でしょう」
「ワシのどこが悪かった?」
「立地と運でしょうか」
「どうして...。どうしてこんなことに...」
「どうしてでしょうね。北条がここまで方針を定められないとは想定外でした」
「ワシはただ、北条に豊臣政権2番手の立場と仕事を押し付け、サボりながら穏やかな日々を過ごしたいだけだったのに...」
「やっぱり殿の性根が悪かったせいかもしれません」
当然この問題を捨て置くことはできず、真田は徳川を経由して豊臣に訴える。
豊臣側も見逃すはずがなく、北条に釈明の使者を送るよう要求。
11月10日の時点で秀吉は配下に対し、11月中に北条氏政の上洛が無い場合、北条氏討伐のために関東に出馬することを伝える。
加えて、秀吉は11月21日には真田昌幸に書状を送り、北条が出仕したとしても城を奪った者を処罰するまで北条を赦免しないと宣言。
並行して11月24日には諸大名に対し、北条との手切れ書を配付するなど、秀吉は完全に開戦へと方針を転換した。
北条も使者を上洛させて弁明するが、関係者の引き渡しと処分は拒否と強気の対決姿勢を見せる。
これに対して豊臣からは、氏政上洛の意向を受けてこれまでの所業を許し、沼田の割譲を認めたにも関わらず、今回の件は裁定を覆す許しがたい所業であると至極最もな糾弾が行われる。
かねてから手配されていた通り徳川にも出陣決定と陣触れの案内が届き、家康も軍事関連の相談のため上洛の要請が届くなど、雪玉が転がるように状況は加速し始めた。
そして月が明けて12月7日。
先日、豊臣との対決姿勢を見せた北条だったが、突如として北条氏直が言い訳の書状を豊臣に送る。
その写しを渡された家康と正信も内容に頭を抱えていた。
「正信...。北条は何を言ってるんだ?」
「何を言ってるんでしょうね...」
「氏政殿が上洛すると豊臣家に抑留される可能性がある。加えて、北条の国替えの噂があるため上洛できない。...ワシには分からんがそうなのか?」
「そんな馬鹿な話はないでしょ...。正当な理由もなく使者を捕らえたら天下に恥をかきますよ。殿もそう言って上洛したでしょ」
「そう言えばそうだな」
「国替えの話にしても、逆らい続けた後に降伏するなら当たり前の話です。ただ、今回は秀吉殿は所領安堵を約束しているので、理由もなく撤回すれば面子が潰れるためできません」
「なるほど。あと、徳川が豊臣に臣従した際、血縁者を婚姻させ人質を送るなど厚遇したと言ってるな。そこまでする方が珍しいだろ」
「徳川と北条の扱いの差が気に入らないようですね。とはいえ、あの時の秀吉殿は西にも敵を抱えていて、政治的な対応で当家に対処したかったということを考えるべきです。それに、北条には既に譲歩しています。人質を要求するならもっと早くにすべきでしょう」
「もっともだな。それにしても、名胡桃城の件は氏政殿や氏直殿の指示ではなく、城主が寝返っただけという言い訳は流石に苦しくないか」
「無理がありますね...。しかも、真田から引き渡されて北条側となっている城だから、そもそも奪う必要もないとかよく分からないことも書いてあります」
「他にも、上杉が動いたから沼田に兵を送り込んだだけとか書いてあるな。城は返還したとも書いてあるし、状況がさっぱり分からん」
「北条も部下からの報告が混乱しているのでしょうか」
「部下が先走った?」
「その可能性もあります。ただ、下野方面でも軍を動かし、他大名を攻めているという報告が上がっております。これは惣無事令に反していますので、どちらにせよ秀吉殿に逆らっているのは間違いありません」
「この状況でワシは秀吉殿と会わないといけないのか?」
「間違いなく北条に対する怒りをぶつけられるでしょうね」
「とばっちりじゃないか!」
「政権2番手は苦労が舞い込みやすいのでしょ?流石、先見の明がありますね」
「腹が痛くなってきた...」
「とりあえず開戦に向けた準備は進めておきます」
「頼むわ…。真田との婚姻が間に合ってよかったな」
「婚姻早々に対北条の戦が舞い込むとは、信幸殿も大変ですね」
「使者送る時には胃薬も渡しておこう」




