3. 真田家との婚姻 -3
身を乗り出して信幸殿に近づき、手を取って告げる。
「信幸殿、ぜひこのたびの婚姻を承諾して欲しい。徳川ではお主のような優秀で信頼できる人材を求めておるのだ。信幸殿が徳川に来てくれるなら、この先何が起ころうとも真田の家を守ると誓おう」
そして真田から徳川を守る盾になってくれ!
太平の世が訪れ、問題が起きなくなるその日まで絶対に休ませないぞ!
「そこまで言って頂けるとは...。私の方からもぜひお願いさせて頂きます」
「信幸殿には既に妻がおると聞いている。申し訳ないが形式上、小松姫の方を正室として貰うことになるがよいか?」
「構いません。家中には既にその旨話をしておりま」
「話が早くて助かる。後は父君が小松姫を受け入れてくれるかどうかだが、ワシの見込みでは恐らく性格的な相性は良いはず。一度当事者同士で話をさせれば上手くいくだろう」
「それでは場を手配致しましょう」
「うむ。北条がどう転ぶか分からない以上、両家の関係構築は可能な限り早く進めよう。戦が起きるとなれば真田にも参戦して貰うことになる」
「その際には道案内はお任せ下さい。問題は沼田の扱いですが、代替地さえ頂ければ父も大人しくすると思います」
「沼田か...。あの場所は関係者の利害が絡み過ぎている。そのため、一度豊臣に話を預ける予定だ。豊臣の裁定に北条が文句を言うようなら、後は戦しかあるまい」
正直、沼田はワシの手にはもう負えないので秀吉殿に投げる。
互いに争い続けた結果、感情的にもそう簡単に話ができなくなってしまった以上、第三者を挟まねば話はまとまらん。
真田信幸。
父親が徳川秀忠を殺しかけ、弟が徳川家康を殺しかけながらも、徳川幕府の下で長きに渡って真田家を存続させる。
旧真田領を引き継ぎ、上田藩主として戦や災害で荒廃した領内の回復に努めながらも、父と弟の援助を欠かさなかった。
その後、松代藩主として転封されるが、松代は祖父ゆかりの地で徳川幕府の要所ということもあり、血縁者が暴れているのとは裏腹に幕府からは信頼を得ていた。
なお、幕府からの信頼が強すぎたため、何度も隠居届を提出するが幕府側は「まだいける」と受理を拒否。
結局、当時としては異例の90歳まで真田家当主として働かされることになる。
そして隠居後もお家騒動が勃発し、なんとか問題を片付けた後に息を引き取るなど、周囲に迷惑をかけ続けた父と弟の反動と言いたくなるような苦労を背負い込まされた人生を送ることになる。
完全な徳川派かと思いきや、真田の取次役である石田三成とは文通友達になり、関ケ原の戦いの際には西軍に付くと見られていた面もある。
徳川との婚姻並びに出仕は23歳前後。
この時点で既に波乱に満ちた人生を送っているが、本当に苦労するのはここからであることを信幸はまだ知らない。
なお、妻となる小松姫はアクの強さからか昌幸と馬が合い、仲良くやっていた模様。
昌幸も信幸の婚姻後は大人しくなり、関ケ原までは大きな問題を起こさなくなる。
後年、石田三成が挙兵した際、真田は徳川派の信幸と、石田派の昌幸・信繁の二手に家を分けることになる。
犬伏の別れとして有名な話だが、会議の帰りに昌幸が孫の顔が見たいと信幸が治める沼田城を訪れるが、完全武装した小松姫が敵を城内に入れるとは何事かと昌幸を追い返す。
しかし昌幸を城から追い返した後、小松姫は昌幸が休んでいた寺に孫を連れて行き孫の顔を見せてやる。
周囲から恐れられていた真田であるが、関ケ原の後も小松姫は昌幸と信繁に援助を行うなど、家庭関係は戦国時代にあって意外なほど良好だった。




