3. 北条の取次 -2
天正16年2月。北条は笠原康明を上洛させ、沼田領の引き渡しなどを条件に豊臣への従属を申し入れる。
条件そのものは折り合わなかったが、北条が遂に従属の意思を見せたことで関東を巡る情勢は一気に進展した。
関東の覇者である北条が豊臣に臣従するとなれば、残る勢力は奥州のみとなる。
しかし、この状況で奥州単独の抵抗はほぼ不可能であり、豊臣による天下統一が文字通り秒読みになる。
戦による出世を目指す武将や浪人たちからすれば機会を失うことになるため、このあたりから一山当てようと動く者が増えてくる。
一方、既に十分な領地を保有している大名たちからすればこの上ない朗報だった。
領地を持った状態で太平の世が訪れるのであれば、政治的な失点さえなければ生活に困ることはない。
従って目下の課題は天下統一までをいかに問題無くやり過ごすかであり、転落が起こりうる最後の戦など望まない者も多くいた。
そして駿府城でも徳川家康が本多正信と榊原康政を相手に、得意顔で自らの推測の正しさを持ち上げつつ、待ち望んだ時を前に喜びを隠しきれず踊っていた。
「見たか我が慧眼!豊臣の譲歩にさしもの北条も折れた。秀吉殿の天下統一待った無し!後は豊臣の世で平穏な日々を過ごすだけ。あの時降伏を選択したのはやはり正しかった!」
「自慢しながら笑顔で踊るとか、いい歳して何をやっているんだか...」
「ふははは!今は何を言われても許そう!康政、戦がなくなればお前も内政に走り回って貰うぞ。正信、検地やるぞ検地!領土全体の大規模なやつ」
「検地って、江戸の開発はどうするのですか?両方やるのは人手が足りませんよ」
「現状、北条が降伏となれば領地安堵が妥当だろう。ワシが江戸に転封になる可能性はあるが、内政が得意な関東引きこもり勢の北条にやらせるのが筋。代わりに今の領地の状況や収支をまとめ、流通拠点の普請や道路整備などを進めれば、江戸と上方間を通る商人や荷運びたちがいくらでも金を落としてくれる。まさに楽をして稼ぐ絶好の機会!」
「そんな都合よくいきますかね...。どう思います康政殿?」
「殿が調子に乗るとろくなことがありませんよ。本能寺の時も同じようなこと言って上方で遊び呆けてましたけど、その後酷い目に遭いましたからね」
「お前らはもう少し素直に現実を受け入れろ。沼田を貰って他の領土も安堵となれば、北条も断る理由がない。流石にこの状況から欲張ろうとする馬鹿はおらん」
「でもあの北条ですからね...」
「飯に味噌汁かける時ですら何回かに分けると噂されるくらい慎重派らしいので、そんな思い切りよく臣従するとも思えませんが…」
同年4月16日。豊臣秀吉と秀次の招待により、後陽成天皇が聚楽第行幸を行う。
天皇が武士の屋敷に行幸すること自体が稀なことに加え、贅を尽くした饗宴や大量のお土産などが提供されるなど、まさしく豊臣の威信がかかっていた。
豊臣の権勢と財力を明らかにするための催しで、秀吉が各地の大名や権力者を従えていることを天下に知らしめるためのものであった。
しかし、この重要な催しにおいて北条は参加を拒否。
北条に対しては、氏政・氏直親子の列席が正式に求められたが、氏政はこれを拒否し使者も送らず。
先日に従属の申し出をしただけに、まさか誰も断るとは思っておらず、関係者一同を驚かせた。
北条の対応により秀吉の面子も潰された形となり、流石にこれは実質的な宣戦布告であると誰もが認識し、北条討伐の風聞が広まることになる。
当然ながら、その影響は北条の交渉役にして関東の取次役である徳川にも降りかかり、想定外の事態に家康は叫ぶことしかできなかった。
「いい加減にしろよ、あの引きこもり共!一体どうしたいんだ!?せめて使者くらい送れよ!」
「流石北条ですな」
「正信!今すぐあいつらを何とかしてくれ!」
「だから殿が調子に乗ると碌なことがない...」
「康政!これはワシが悪いのか!?」
「少なくとも運は悪いですね」
今回の件は北条が豊臣に臣従する道がいきなり断たれそうになっただけではなく、間を取り持っていた徳川に対しても何をやっているのかと言われかねない状況であった。
両家の様子を伺っていた家康だったが、流石にこの状況に至っては動かざるを得ない。
しかし、北条がここまでまともに交渉できないとなると、家康としても打つ手が限られていた。
「殿、差し当たって北条に手紙を出すべきかと。今回の対応は目に余るため、少々厳しく言っても問題ないでしょう」
「よし、今から言う内容をまとめて北条に叩きつけろ。まず、徳川は北条親子について豊臣へ讒言する気はないし、北条の領土を望むようなこともない。次に、今月中に使者を送るので、今回の件について説明すること。最後に、北条が豊臣への出仕を拒否するのであれば、督姫を離別させて徳川に連れて帰るから覚悟しろ」
「おっ、離縁までいきますか」
「いくしか無いだろ。これで北条が臣従を断るなら後はもう戦しかない。交渉すらまともに対応できないような相手と一緒に戦う気はないぞ」
「かしこまりました。まずはこの内容で手紙を送り、後日上洛を促しましょう」
「しかし北条は何がしたいのか...。宣戦布告するわけでもなく、かといって臣従するわけでもなし」
「前当主と現当主で意見が分かれているのですかね」
「それなら現当主がはっきりと言うべきだろ!どちらにもつかず、意見をその場で変えるような振る舞いは誰からも信頼されないぞ」
「北条は歴史があるだけに、成り上がりの豊臣が嫌いで家中がまとまらないというのはありそうですね。ただ、上方の情報収集はそれなりにやっているはずなのに、そのあたりを無視して感情優先の判断をするのは頂けませんが」
「単に決断できないだけなら、戦になっても一生日和見してそうだな。地力の違う関東ならそれでもいいのかもしれないが、それなりの相手と戦う時にそんなことしてたら絶対に勝てないぞ」




