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コレが私のダイヤグラム。On Time‼  作者: ちとせ鶫
来6章 On Time の理由

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22/26

第21話 最長の遅延

 郵便局の窓口で、少し詰まった。


 住所を書いてください、と言われて、フォームを受け取って、ペンを持った。


 「〇〇区——」


 次が出なかった。

 一瞬だったか、三秒くらい固まっていたが、それから続きが出てきた。書き終えた。


 標に話すと、「今年二回目だよ」と言った。


「......住所は変わってないのに」


「十年住んでるよ」


 標がお茶を持ってきた。テーブルに置いて、台所に戻った。それだけだった。


≪地上の私は、自分のいる場所の住所が咄嗟に出ない、ただの役立たずだ。——けれど。≫


     * * *


 東京指令センターのドアをくぐった瞬間、スイッチが入る。

 今日の朝は、気圧が低く重かった。


 天気予報では、午後から豪雨になると言っていた。梅雨前線が停滞している。風も強くなる見込みだった。台風ではない。しかし線状降水帯が発生する可能性がある、という情報が朝から出ていた。


 西崎がレーダーを見ながら言った。


「今日、ひどくなりそうですね」

「そうね」

「前の台風のときより、悪いですかね」

「種類が違う。台風は進路が読める。線状降水帯は——」


 その瞬間、最初の電話が来た。相中の大沼だった。


「——時刻さん。今日の雨、SR側はどう見てますか」

「悪い方向で準備しています」

「うちも同じです。午後二時以降、相中南部で運転規制に入る可能性があります」

「了解です。SR側の南部接続の準備を始めます」


 電話が切れた直後、榎本から内線が来た。


「TR都心部、午後から信号系への水害対策に入ります。一部区間で速度規制の可能性があります」

「わかりました。接続点の乗換誘導を準備します」


 それから三分後、浜田からも電話が来た。


「湾急です。羽田方面、横風規制の可能性が出ています。午後の便に影響が出るかもしれません。SR側の接続に余裕がなくなる可能性があります」

「把握しました。余裕枠を確保しておきます」


 西崎が「三社から同時に来ましたね」と言った。


「今日は全部つなげるわ」

「全部?」

「相中が詰まればSRが詰まる。SRが詰まればTRに影響が出る。TRが詰まれば湾急の乗換客がSRに流れてくる。四社が数珠つなぎになる可能性がある」


 西崎が少し黙って影響を考えた。


「台風より規模が大きいですね」

「準備の仕方が違う。台風は一つの嵐が過ぎれば終わる。今日は、どこかが詰まるたびに別の場所に波及する」


     * * *


 午後一時、雨が強くなり始めた。


 一時四十分、相中南部で運転規制が入った。


 同時に、TRの都心部二区間が速度規制に移行した。SR南武支線方面に乗換客が集中し始めた。


 電話が鳴り始めた。


 大沼から「相中南部、規制範囲を拡大します」。榎本から「TR三号線、速度規制に入ります」。浜田から「羽田方面、横風で一部便を速度落とします」。


 三社が、ほぼ同時に動いていた。


 結衣は、頭の中で路線図を展開した。


 相中南部の規制がSR南部に波及する。その乗客がSR中央部に集まる。中央部が詰まれば、TR接続駅のホームが溢れる。TRが速度規制中にホームが溢れると——


「西崎、TR接続の三駅、今すぐホーム管理の強化を依頼して。榎本さんに」

「はい——」

「相中からの乗換客の誘導は大沼さんに確認。振替案内を先に出す」

「どこへの振替ですか」

「湾急経由を加えて。羽田方面は避けて、都心方向だけ」

「湾急経由——」西崎が手を動かしながら「浜田さんに確認しますか」

「確認する。今電話して」


 西崎が電話で浜田と話している間、結衣は大沼と榎本に同時に連絡した。

 今日は三本の電話を、順番ではなく重ねながら動かした。


 二時間が、静かに過ぎた。静かに、とは言えなかった。しかし結衣の頭の中だけは、静かだった。全路線の現在地が見えている。どこが詰まっているか、どこに余裕があるか、次にどこが危ないか。


 三時十五分、線状降水帯が都心を直撃した。


 三社が一斉に運転見合わせに入った。


     * * *


 五時四十分、段階的な再開が始まった。


 今日は第十六話の地震のときと違った。地震は一瞬で止まって、一斉に再開した。今日の豪雨は、じわじわと詰まって、じわじわと戻っていく。


 相中から先に動き始めた。続いてSR南部。TR都心部。湾急は横風が残っていたため、速度規制のまましばらく走った。


 浜田から電話が来た。


「SR南部の復旧、確認しました。湾急接続、問題ありません」

「ありがとうございます」

「今日は......四社が全部つながりましたね」

「そうですね」

「こういう日に、SRが全体を見てくれるのは——助かります」


 短かった。浜田らしい短さだった。しかし今日は、速さが少し違った気がする。

 電話が切れた。


 大沼から電話が来た。


「相中、通常ダイヤに戻りました。今日は......ありがとうございました」

「お互い様です」

「SR側なしでは、今日の規模は対応できなかった」


 大沼が言い切った。

 珍しかった。認めるときはいつも短いが、今日は言い切った。


 榎本からも連絡が来た。


「TR線、全線復旧しました。今日の対応、記録しておきます」

「よろしくお願いします」

「......今日のような規模は、初めてでした」

「私もです」


 短い沈黙があった。


「次回も、よろしくお願いします」

「こちらこそ」


 電話が切れた。


 七時を過ぎていた。

 西崎がモニターの前でようやく背中を伸ばした。


「......終わりましたね」

「まだ遅延の吸収が残ってるわ」

「でも、今日はすごかった。三社同時って、初めて見ました」

「違う、四社よ」

「......そうか、四社か」西崎が笑った。「四社を、時刻さんが一人で」

「一人じゃない。西崎さんが動いてくれたから」


 西崎が少し驚き、その言葉を噛みしめた。


「......時刻さんにあらためて言われると、なんか照れますね」


「コレが私のダイヤグラム。On Time‼」


     * * *


 帰宅すると、標が玄関に立っていた。

 何も持っていなかったが、少しその姿を見て、ほっとした。


「今日、遅かったね」

「豪雨の対応だったのよ」

「ニュースで見てた」


 標が少し間を置いた。


「......大変だったでしょ」

「大変だった」


 珍しく、そのまま答えた。

 標が台所に向かいながら「ごはん、今から温める」と言った。

 私はソファに座って、今日のことを少し反省した。もっと早く手を打てた部分があった。浜田への振替案内の確認を、三十分早くできていれば——


 時刻表を引き寄せる手が、今夜は少し重かった。


 それでも、ページを開いた。


 外の鉄路を、雨が叩いていた。

 始発まで、あと五時間十二分。


     * * *


〔次話 第22話「西崎の問い」〕

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