第17話 赤い弾丸、来る
トースターが、鳴った。
取り出すのを忘れていた。
タイマーが終わってから、どのくらい経っていたか。パンを取り出すと、端が黒くなっていた。焦げた匂いがした。
「今月三回目だよ」
台所から標の声がした。今日は居間にいた。居間から声だけ飛んでくる距離で、もう気配でわかるようになっていた。
「......食べられる」
「中の方は食べられるよ。端は捨てて」
端を切った。残りを食べた。少し、煙の味がした。
≪地上の私は、熱をかけすぎてものを焦がす、ただの役立たずだ。——けれど。≫
* * *
東京指令センターのドアをくぐった瞬間、スイッチが入る。
今日は朝から、気になるものがあった。
湾岸急行の接続データが、先月から微妙に動いていた。湾急はSRとの接続点が二箇所ある。その一箇所で、湾急側の発着時刻が、先月のダイヤ改正前後でわずかに変わっていた。
変更の通知は、来ていなかった。
西崎がデータを開きながら言った。
「......あ、これ。湾急の接続、変わってますね」
「気づいてた」
「通知来てましたか」
「来てない」
西崎が少し固まった。
「......それって、無断で変えたってことですか」
「確認する」
湾急の指令室に電話した。
出た声は、低く速かった。
「——湾急の浜田です」
一言目から、今まで聞いた誰とも違う声だった。大沼のような感情の厚みもなく、桐島のような礼儀の包みもなく、榎本のような事務の冷静さもない。ただ、速い。言葉が現場から直接飛んでくるような速さだった。
「SRの時刻と申します。先月のダイヤ改正後、湾急の○○駅での接続時刻が変更されていますが、SR側への事前通知が届いていません」
「ああ、その件」
短かった。「ああ」という一言に、謝罪も説明も言い訳も含まれていなかった。ただ認識しているという事実だけがあった。
「うちは速度優先でダイヤを組んでいます。接続他社への通知は、軽微な変更の場合は事後で対応することがあります」
「軽微の定義を教えてください」
「プラスマイナス二分以内の変更です」
「今回の変更は何分ですか」
「......一分四十七秒の変更です」
「では軽微に該当しますね」
「そうです」
「ただ、SR側の乗換客への案内には影響があります。湾急側で一分四十七秒早く発車されると、SRから乗り換えようとした乗客が取り残される可能性があります」
「その分は湾急側の次便で対応します」
「次便の間隔は何分ですか」
「......十二分です」
「つまり、乗り遅れた乗客は十二分待つことになります」
短い沈黙があった。
大沼の沈黙とも桐島の沈黙とも榎本の沈黙とも違った。考えているのではなく、速度を落としている沈黙だった。
「......SR側への事前通知、今後は二分以内の変更でも入れます」
「ありがとうございます」
「ただ——」
浜田が続けた。
「SRの接続待ちのせいで、うちのダイヤが遅れることがあります。先月だけで三件。その件についても、話をしたい」
今度は結衣が少し止まった。
「いつにしますか?」
「今でもいいですが」
「今は難しい。明日の午前中はいかがですか」
「わかりました」
電話が切れた。
西崎が振り返った。
「......なんか、独特でしたね」
「そうね」
「榎本さんとも大沼さんとも、また違う」
「現場の速度で話す人よ」
「現場の速度?」
「会議室の言葉じゃなくて、ホームの言葉で話す。考えてから話さない。感じたことがそのまま出てくる」
西崎が「......そういう人は、どう対応するんですか」と言った。
「同じ速度で返す」
「え、時刻さんが速度を合わせるんですか」
「相手によって変えるのは当然でしょう」
西崎が何か言いかけた。やめた。
「コレが私のダイヤグラム。On Time‼」
* * *
夕方、翌日の準備をしながら、湾急のデータを確認した。
浜田が言った「SR側の接続待ちのせいで遅れた三件」を探した。すぐ見つかった。三件とも、SRの上り列車が一分から三分遅れて湾急の接続便が影響を受けていた。湾急側の記録には「SR遅延による接続調整」と書いてあった。
言っていることは、正しかった。
湾急は独立独歩で、誰の言うことも聞かない、というイメージがあった。しかし浜田の話し方には、遅延の原因を他社に押しつけるような色がなかった。ただ、事実を言っていた。
西崎がモニターを見ながら言った。
「明日の会議、どんな感じになりますか」
「会議じゃなくて、電話よ」
「あ、そうか。どんな感じになりますか」
「速い。すごく早そう」
「......それだけですか」
結衣はデータを閉じた。
今日確認できたことは十分だった。明日、浜田さんに会えばわかる。
* * *
帰宅すると、トースターの前に付箋が貼ってあった。
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タイマーが鳴ったら取り出す
(鳴ってから2分以内)
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標の字だった。かっこの中に制限時間まで書いてあった。
「......二分は根拠があるの」
台所から声が返ってきた。
「三回焦がしたときの平均が、タイマーから約二分後だった」
データだった。
「......集計してたの?」
「焦げるたびにメモしてた」
私は付箋を見た。
標も、データで動いている。
ソファに座る。時刻表を引き寄せる。今夜は湾急のページを初めて読もうと思った。赤い弾丸が、紙の上で走っていた。
外の鉄路を、最終電車が走り抜けた。
始発まで、あと六時間三分。
* * *
〔次話 第18話「あなたの癖です」〕




