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コレが私のダイヤグラム。On Time‼  作者: ちとせ鶫
第4章 TR地下の支配者

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第16話 全線、止まらない

 出かけようとして、鍵が、なかった。


 玄関で靴を履いて、鞄に手を入れた。定期入れのリールはあった。スマートフォンはあった。財布はあった。鍵がなかった。


 台所に戻った。テーブルの上にはなかった。洗面台の横にはなかった。昨夜脱いだコートのポケットを確認した。ない。


「鍵、どこ」


 標の声が台所から返ってきた。


「冷蔵庫の上」


 見た。あった。


「......ありがとう」


「今週三回目だよ」


≪地上の私は、自分の鍵の居場所を、弟にしか聞けない、ただの役立たずだ。——けれど。≫


     * * *


 東京指令センターのドアをくぐった瞬間、スイッチが入る。


 今日は午前中から静かだった。


 昨日の第十五話の信号機工事が無事に終わって、通常ダイヤが戻っていた。榎本からのデータ交換も一段落していた。TR、SR、相中——それぞれのログが落ち着いた動きをしていた。


 西崎がコーヒーを飲みながら言った。


「今日は本当に平和ですね」

「そうね」


 十三時二十二分。


 揺れた。


 最初は小さかった。次の瞬間、大きくなった。デスクの上のものが動いた。モニターが揺れた。立ち上がった。揺れがおさまるのを待った。


 三十秒ほどで、揺れが止まった。


 すぐに確認した。

 全線、緊急停止していた。


     * * *


 安全確認のための全線運転見合わせ。


 これは想定内だった。地震の規模にもよるが、一定以上の揺れが来れば自動的に列車が止まる。問題はここからだった。止まった列車を、どの順番で、どのタイミングで動かすか。


 TR、SR、相中、NR東——四社が同時に止まっている。四社が同時に動き始めれば、接続点で競合が起きる。順番が重要だった。


 電話が三本、ほぼ同時に鳴った。


 大沼、桐島、榎本。


 西崎が「どれから出ますか」と言った。


「三本とも」


 ヘッドセットを一つ、スマートフォンを一つ、内線を一つ。三つを同時に持った。


「時刻です。三社同時に聞いています。まず安全確認の状況を確認させてください。榎本さん、TR線内の異常は」

「現時点で軌道異常なし。設備点検中」

「大沼さん、相中は」

「相中も異常報告なし。確認中」

「桐島さん、NR東は」

「在来線は異常なし。新幹線は別途確認中」

「ありがとうございます。SR側も異常なし。これから段階的再開の順番を提案します」


 三者が黙った。

 誰も異論を言わなかった。


「地下から順番に動かします。TR線の都心部を最初に再開してください。地下は閉じた空間なので、乗客の滞留が長くなると危険です。TR線が動いてから、SR線が接続区間を順次再開します。相中は、SR南部の確認が取れてからお願いします。NR東は——」

「うちは一番最後で構いません」


 桐島だった。


「NR東の在来線は代替手段が多い。地下鉄と私鉄を優先してください」

「わかりました。その順番で進めます」


     * * *


 再開は、十四時十分に始まった。


 TR線の都心部が最初に動き出した。続いてSR線の中心部。

 問題が起きたのは、十四時二十七分だった。


 相中の南部で、レールの点検に時間がかかっていた。当初の予定より二十分の遅れが出る見込みになった。


 大沼から電話が来た。


「点検に時間がかかっています。SR側に影響が出ますか」

「出ます。相中からSRへの直通を使っている乗客が、現在SR南部のホームで待機しています。二十分の遅れが確定するなら、今から案内を出します」

「......出してもらえますか」

「出します。ただ、二十分の見込みが変わりそうなら、すぐに連絡をください。案内を出した後に時間が延びると、二重の混乱になります」

「わかりました。十分ごとに報告します」


 大沼は、言った通りに報告してきた。十分後、二十分後、三十分後。相中の点検は予定より遅れたが、大沼の報告が正確だったため、SR側の案内を先手で更新できた。


 十五時四十分、全線再開。


 遅延の残滓が各線に残っていたが、十六時三十分には通常ダイヤに近い状態に戻った。


     * * *


 西崎が大きく息を吐いた。


「......終わりましたね」

「まだよ。遅延の吸収が完了するまで見ておいて」

「はい——でも、すごかったですね。三社同時に電話するって」

「四社よ。桐島さんも」

「......あ、そうか。四社か」


 榎本から内線が来た。


「TR線、通常ダイヤに復帰しました。今日は......SRに助けてもらいました」


 静かな声だった。

 事務的でも感情的でもない、今まで聞いたことのない種類の声だった。


「お互い様です。地下が止まったままでは、地上も動けませんから」

「......そうですね」

「次回も、よろしくお願いします」

「こちらこそ」


 電話が切れた。

 西崎が口を開けていた。


「......榎本さん、今『助けてもらいました』って言いましたよね」

「そうね」

「初めてじゃないですか、そういうこと言うの」

「そうかもしれない」

「......すごい」


 すごくはない。ただ、何かが動いた気がした。


「コレが私のダイヤグラム。On Time‼」


     * * *


 帰宅すると、玄関の棚に小さな器が置いてあった。

 陶器の、浅い器だった。


「鍵置き場」


 標の声が台所から来た。


「冷蔵庫の上じゃなくて、玄関に定位置を作った」


 器の中に、すでに鍵が入っていた。予備の鍵だった。


「帰ったらここに入れて。出るときここから取る」

「......わかった」

「毎朝聞かれるの、俺も覚えるのも、そろそろ限界だから」


 標の声に笑いはなかった。ただ、少し疲れていた。

 私は鍵を器の中に入れた。カランという音がした。


「ありがとう」

「うん」


 ソファに座る。時刻表を引き寄せる。


 地震は、路線図のどこかで起きた。揺れは、地下にも地上にも届いた。止まったものが、また動き出した。


 それでいい。止まっても、また動けば。


 外の鉄路を、最終電車が走り抜けた。

 始発まで、あと六時間八分。


     * * *


〔第4章「TR地下の支配者」完〕

〔次話 第17話「トーストの残骸」(第5章「湾急という弾丸」)〕

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