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コレが私のダイヤグラム。On Time‼  作者: ちとせ鶫
第3章 NR東という圧力

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12/26

第11話 三年分の数字

第11話を読んでくださりありがとうございます。


片方だけの靴下のように、

日常には“揃わないまま”放置されているものがあります。


仕事でも同じで、

目の前の数字だけでは揃わないことがある。


今回は、

「三年分の数字」という長い時間の積み重ねが

主人公の判断を支える回です。


そして、桐島との交渉が

一つの節目を迎える場面でもあります。

 洗濯機の蓋を開けると、靴下が一枚入っていた。


 右足だった。


 左足はどこに行ったか。脱衣所を見回した。ない。洗面台の下を見た。ない。廊下まで行って戻ってきて、結局見つからなかった。


 台所から標の声がした。


「今週三回目だよ」

「......見てたの」

「見てない。音でわかる」


 標がリビングから棚を指さした。小さな籠があった。中に、片方だけの靴下が、何枚か折りたたんで入っていた。


「揃ったら洗う用。姉ちゃんの靴下はいつかもう片方が出てくるから」


 揃うのを、待っている。


≪地上の私は、片方しか揃えられない、ただの役立たずだ。——けれど。≫


     * * *


 東京指令センターのドアをくぐった瞬間、スイッチが入る。


 今日は朝から、正式な協議の日だった。


 NR東日本との直通枠拡大についての最終交渉。電話ではなく、会議室を使う。双方から複数名が出る。桐島が、自社の担当者を連れてくる。


 西崎が資料を束ねながら言った。


「今日、何人来ますか」

「桐島さん含めて三人」

「......時刻さんは一人ですか」

「いつも一人よ」


 西崎が「なんか、そういうとこが時刻さんですよね」と呟いた。


     * * *


 会議が始まった。


 桐島は前回より落ち着いていた。

 資料は今回、区間別・編成別・時間帯別に整理されていた。

 前回の問題点を全部潰した上で、さらに来年度の利用者予測まで加えてあった。


 精度が、上がっていた。


 前回の打診から三回のやりとりを経て、桐島の資料は別物になっていた。

 結衣はそれを見ながら、少し、何かが動く感覚があった。


 桐島が口を開いた。


「今回は直通枠の段階的拡大について、具体的なスケジュール案をご提案したいと思います。来年度の第一四半期に一・一倍、第三四半期に一・三倍、再来年度の春改正で一・五倍——この三段階での実現を希望しています」


 数字が、変わっていた。


 最初の打診では一・五倍の一発要求だった。今日は三段階に分けて、SRの受け入れ余裕を確認しながら進めるスキームになっていた。第8話で結衣が提案した「段階的に」という言葉を、桐島は三ヶ月かけて自社の計画に落とし込んできた。


 結衣は手元の資料を開いた。


「確認させてください。来年度第一四半期の一・一倍ですが、この時期はSRの横浜方面の改修工事と重なります」


 桐島が資料を確認した。


「......工事の期間は?」

「第一四半期の後半、六週間です。その間は当該区間の容量が七割に落ちます。

 一・一倍の直通を入れると、工事期間中に余裕がなくなります」

「......では、第一四半期の前半だけで試行して、

 工事期間は現状維持というのはいかがでしょうか」


 桐島が、自分で代替案を出してきた。


 結衣は少し考えた。


「それなら受け入れられます。

 ただ、試行データを工事期間中にも取り続けてください。

 工事明けの判断に使います」

「わかりました」


 第一段階、合意。


     * * *


 問題は、三段階目だった。


 一・五倍の実現には、SRのホーム拡張工事が必要だ。第8話の時点で結衣が指摘していた。今日、桐島がその点について踏み込んできた。


「再来年度春改正での一・五倍について。SR側のホーム拡張工事のコストと工期を試算しました。費用はNR東が一部負担するという形で——」


「少し待ってください」


 桐島が口を閉じた。


 結衣は手元の別の資料を開いた。

 過去三年分のSR・NR東直通区間の利用実績データだった。

 月別、時間帯別、方向別。三十六ヶ月分の数字が並んでいた。


「この三年間で、直通区間の利用者が最も増えたのはどの時間帯ですか」


 桐島が手元のデータを探した。


「......朝の上り方面、七時から九時の間です」

「そうです。その時間帯の増加率は、三年間で一八・三パーセントです」

「はい」

「では、同じ時間帯の夕方下り方面の増加率は」


 桐島が探した。少し時間がかかった。


「......三・一パーセント、です」

「六倍の差があります」


 会議室が、静かになった。


 桐島の隣に座った担当者たちが、互いに顔を見合わせた。


「一・五倍の枠が必要なのは、朝の上り方面だけです。

 夕方の下り方面は現状の枠で十分足りています。

 ホームを全体的に拡張するのではなく、

 朝の上りに特化した乗降改善で対応できます。

 工事の規模が、半分以下になります」

「......そういうアプローチは、考えていませんでした」

「三年分のデータが、そう言っています」


 長い沈黙だった。


 桐島が、手元の資料を一度閉じた。

 それから、静かに言った。


「......負けました」


 短かったが、伝わった。


 大沼の「今日のSRは正しかった」より短かった。それなのに、重さが違った。大沼のそれは承認の言葉だった。桐島のそれは、別の何かだった。


「負けていません」


 桐島が顔を上げた。


「朝上りに特化した改修の方向で、もう一度試算し直してください。

 そちらの方が費用も工期も小さくなる。NR東にとっても悪くない話のはずです」

「......そうですね」

「再来年度の春改正は、その試算が出てから判断しましょう」

「わかりました」


 桐島が頷いた。隣の担当者たちも、メモを取り直していた。


 会議が終わった。


     * * *


 帰り際、桐島が一度だけ振り返った。


「時刻さん。三年分のデータ、いつから持っていましたか」

「最初からです」


 桐島が、少し間を置いた。


「......最初の電話のときから、すでに」

「方向別のデータは、直通を始めた日から取っています」


 桐島は何も言わなかった。

 ただ、一度だけ深く頷いて、廊下を歩いていった。


 西崎が小声で言った。


「......桐島さん、帰り方が違いましたね」


「コレが私のダイヤグラム。On Time‼」


     * * *


 帰宅すると、標が洗濯物を畳んでいた。


 テーブルの上に、靴下の片方が一枚、置いてあった。


「出てきた」

「どこから」

「時刻表の間から」


 少し止まった。


「......いつから挟まっていたの」

「わからない。でも揃ったから」


 標が籠から残りの片方を出して、二枚を並べた。同じ柄の靴下が、揃った。


「洗っておくよ」


 それだけ言って、また畳み続けた。


 ソファに座る。今夜の時刻表は——手を伸ばして、少し迷って、NR東日本の路線図が載っているページを開いた。


 北へ、西へ、山を越えて伸びる路線。その末端で誰かが今日も時刻を守っている。


 外の鉄路を、最終電車が走り抜けた。

 始発まで、あと六時間二十二分。


     * * *


第3章「NR東という圧力」完

次話 第12話「見えない帰宅」(第4章「TR地下の支配者」)

第11話を読んでくださり、ありがとうございました。


片方の靴下が見つからない冒頭は、

主人公の“地上の不器用さ”を象徴しています。


しかし会議室では、

三年分の数字を読み、

時間帯ごとの差を見抜き、

相手の計画の“揃っていない部分”を静かに整えていく。


その対比が、この回の中心にあります。


桐島の「負けました」は、

ただの敗北ではなく、

“理解した”という意味のある言葉でした。


そして帰宅後、

片方の靴下が揃う。


仕事と日常が、

ほんの少しだけ同じ方向を向いた瞬間です。


次話「見えない帰宅」では、

第4章に入り、

主人公の“見えない領域”が少しずつ明らかになります。

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