第10話 深夜の試算
第10話を読んでくださりありがとうございます。
深夜の時間帯には、昼間とは違う静けさがあります。
人の声が減り、数字の音だけが残り、
自分の呼吸が聞こえるようになる。
今回は、そんな“深夜の仕事”を描いた回です。
誰かが眠っている間にも、
列車は走り、約束は運ばれ、
その裏側で誰かが時刻を組み立てている。
主人公が最も“仕事の顔”になる時間帯を、
少しだけ覗いていただければと思います。
# コレが私のダイヤグラム。On Time‼
## 第3章「NR東という圧力」
### 第10話 深夜の試算
あ
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西崎に言われるまで、気づかなかった。
「時刻さん、今日、昼ごはん食べましたか」
時計を見た。十七時二十二分だった。
「......食べてない」
「今週三回目ですよ」
「数えてたの」
「いつから数えてると思ってるんですか」
西崎が引き出しから何かを取り出して、デスクの端に置いた。菓子パンだった。
「非常食です。持っておいてください」
受け取った。
≪地上の私は、自分の昼食の時刻を管理できない、ただの役立たずだ。——けれど。≫
* * *
今日は残業になることが、朝からわかっていた。
NR貨物からの調整依頼が、先週届いていた。来月から深夜の貨物列車の運行スケジュールを変更したいという話だった。NR東の線路を借りて走る貨物列車が、SRの深夜メンテナンス作業の時間帯と重なる区間があった。それを調整したい。
原則として、貨物と旅客は時間帯を分けている。しかし深夜帯は例外処理が多い。メンテナンスの窓口時間、終電後の回送、保線作業車の移動——それらが複雑に絡み合う時間帯に、貨物列車を通す経路を探す作業だった。
西崎が定時で上がった。
「時刻さん、今夜は遅くなりそうですか」
「少し」
「菓子パン、もう一個置いていきますね」
デスクの端に、もう一つ増えた。
* * *
二十二時を過ぎると、指令センターは静かになった。
昼間の電話の声も、モニターの点滅も、同じだ。しかし人が減ると、音の質が変わる。空調の音が聞こえるようになる。自分の呼吸が聞こえるようになる。
私はモニターに向かって、深夜帯の時刻表を広げた。
紙だ。今夜は紙を使う。
画面の数字は動く。動く数字は計算に使う。しかし組み立てるときは、紙の方がいい。全体が一度に見える。
深夜零時から四時。その四時間に何が走るか。
終電の折り返し回送が、二本。保線作業車が、三区間。メンテナンスのための運休区間が、一箇所。そこにNR貨物の列車が、三本入る。
三本の貨物列車に、それぞれ経路がある。最短経路と、迂回経路と、時間差経路。それを、既存の深夜ダイヤに差し込む。ぶつからないように。遅れないように。翌朝の始発に支障が出ないように。
鉛筆を持った。消せる線で、仮の経路を引く。
* * *
一時間が、静かに過ぎた。
外から、振動が来た。
低い、長い振動だった。遠くを走る列車の振動。貨物列車だ。このビルの横を、NR貨物の列車が通っている。毎晩、同じ時刻に。
いつからか、この振動が好きだった。
旅客列車は人を運ぶ。約束を運ぶ。しかし貨物列車は何を運ぶのか。野菜かもしれない。機械の部品かもしれない。誰かが明日使うものを、今夜のうちに届けている。
それもまた、約束だ。
時刻の約束は、旅客だけのものではない。
鉛筆を動かした。
* * *
零時三十分、一つ目の経路案が固まった。
三本の貨物列車を、既存の深夜ダイヤの隙間に差し込む。最初の一本は終電回送の後ろに、二本目は保線作業車と時間差で、三本目は迂回経路で。翌朝の始発には十四分の余裕が残る。
試算を確認した。問題はない。
もう一案、組んでみた。経路を変えると十一分に縮まった。十一分でも許容範囲ではある。しかし十四分の方が、変数に対して強い。来月の天候や作業の遅延を考えると、三分の余白は大きい。
一案目を採用する。
メモをまとめた。NR貨物への返答と、NR東への影響確認の依頼と、SR施設部門への連絡事項。三つのメールを書いた。
送信は朝にする。深夜にメールを送ると相手を驚かせる。
時計を見た。一時七分だった。
西崎の菓子パンを、思い出した。一個、食べた。
甘かった。
「コレが私のダイヤグラム。On Time‼」
* * *
帰宅すると、標は寝ていた。
台所のテーブルに、ラップのかかった皿があった。付箋が貼ってあった。
```
レンジ あたため 2分
(右のボタン)
```
かっこの中まで書いてあった。
温めて、食べた。
深夜二時の食事だった。静かだった。外の鉄路を、最終電車はもう走っていない。代わりに、低い振動が来た。貨物列車だ。今夜もこの時刻に通っている。
私は皿を持ったまま、少しの間、その振動を聞いていた。
始発まで、あと三時間五十八分。
* * *
次話 第11話「三年分の数字」
第10話を読んでくださり、ありがとうございました。
深夜のダイヤ作成は、
主人公にとって“最も集中できる時間”であり、
同時に“最も孤独になる時間”でもあります。
旅客列車の約束だけでなく、
貨物列車の約束も守られていること。
その静かな責任感が、
彼女の仕事の核にあります。
そして、家に帰れば、
右と左だけで済む付箋が置かれている。
深夜の緊張と、
家の小さな気遣いの落差が、
この回の温度になりました。
次話「三年分の数字」では、
さらに大きな“読み解く仕事”が待っています。




