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0031暗殺者たちと孤高の王

 その言葉には(まぎ)れもない真率(しんそつ)の響きがあった。ズールは生きている――? 俺は(さかずき)のブドウ酒を舐めた。極上の味わいだ。俺はそれが、ズールの安全を保障しているような気がしてならなかった。


 クラネアはしばらくどうしたものかと突っ立っていた。片方の足を上下させ、貧乏揺すりする。やがて長く息を吐いた。


「分かったよ。オレはズールさえ生きていればいいんだ」


 不満を押し潰すように豪快に着席した。


「オレも今日は酒を飲もう。チャベス、頼む」


「かしこまりました」


 館主はいかにも不満げに舌打ちする。


「何じゃ、お主もかかってこぬのか」


 一触即発の空気は解除され、夕食会は(なご)やかな雰囲気を取り戻した。『妖美』ベルサリオがくすくす笑う。


「ラフィークやガドニスは? 今夜グランザルさんを殺すの?」


 ラフィークは首を振る。エスロビの頭をいとおしそうに撫でた。


「今夜は殺る気になれないですねぇ」


 ガドニスがイノシシの肉を口中に運び入れた。


「同感だ」


 美女は大笑した。


「どうやら今夜はまたグランザルさんと2人きりになれそうね。みんな、邪魔しちゃ駄目だからね」


 クラネアが注がれた酒を不機嫌そうに飲み下す。


「勝手に楽しんでろ」


 俺は紫色の液体を喉に流し込み、頭が(しび)れてくるのを待った。この館に来てからというもの、俺を含む暗殺者たちは断酒してきた。しかし数日を共に過ごすうち、当初あった見えない緊張感は(やわ)らいできている。


 そうした暗殺者同士の間の架け橋は、まさにズールへの信頼に他ならない。人殺しという外道(げどう)の道を踏んできただけ、それも同じ仲介人を介していただけ、俺たちには(きずな)のようなものが出来上がっていた。


 このまま暗殺期限まで、誰にも死んでほしくはない――


 俺はそんな甘い心を抱きながら、更に酒をあおった。




   (七)




 少し深酒(ふかざけ)してしまった。オレはやや酩酊(めいてい)気味の頭を振って、食堂内を見渡す。オレの他にはラフィークとエスロビ、彼らの邪魔にならないよう後始末をしているチャベスの3人しかいなかった。


 自室に引き揚げるか。オレは椅子から立ち上がると、もつれそうな足をどうにか(さば)いて部屋を出ようとした。


 と、そのときだった。


 オレは何でもない床につまずいて転倒しそうになり、とっさに目の前にいたラフィークの袖にしがみついてしまったのだ。


 びりびりと衣の破ける音がして、ラフィークの袖がずり落ち、その肩が露わになった。


「あ、すまない、ラフィーク……」


 そのときだった。オレは目を見張る。ラフィークの肩に、何と焼きごての(あと)――奴隷の烙印(らくいん)が見い出されたからだ。


「ど、奴隷……?」


 暗殺者『蟷螂(とうろう)』は――奴隷の男は――狼狽(ろうばい)した様子でオレを振り払った。オレは尻餅をつく。驚愕が抜け切らず、ただ口を開けっ放して目の前の男を見上げていた。


 カマキリ男は一転、激怒して殺気を放出してくる。その両眼が火を吹くようだ。


「見ましたねぇ……!」


 オレは本気で()びた。見てはいけないもの、知ってはいけない事実を、オレは見知ってしまったのだ。


「すまない。そんなつもりじゃなかったんだ」


 奴隷のエスロビを買っていたラフィークが、同じ奴隷出身……。何やら複雑な背景がありそうだ。オレはラフィークが長剣を抜くのを呆然と眺めた。


「殺して差し上げます……!」


 オレは自分が窮地に(おちい)っていることに、ようやく気がついた。今の自分は泥酔していることもあり、まともにラフィークと闘えば敗北は必死だ。相手は仮にもズールの暗殺者。その実力は未知数だが、少なくともただの使い手ではないだろう。


 どうしよう。どうすればいい? ラフィークが剣を振り上げる。何かないか。相手を退(しりぞ)けて無傷で切り抜ける、そんな手立ては。


 (ひらめ)くものがあった。


 オレは自分の袖を千切り、肩を露出した。今まさに殺されようとしているときに、オレは賭けに出たのだ。


「待ってくれ、ラフィーク! オレも、オレも奴隷出身なんだ!」


 小声で叫んで、ロウソクの明かりに自分の肩を照らし出させた。ラフィークとエスロビが、そこに刻まれた烙印を凝視する。エスロビが息を呑んだ。


「クラネア様も……ボクらと同じ……」


 剣は下りてこない。ラフィークはどうするべきか迷っている様子だった。オレは冷や汗と脂汗を同時にかきながら、運命の神の判断を待った。


 しばしの沈黙。その後……


「やれやれ……」


『蟷螂』は剣を鞘に納めた。


「奴隷同士、殺しあうこともないでしょうねぇ」


 オレは危難を脱したと知った。被せるように急いで謝罪する。


「本当に済まなかった。悪かったよ。オレはこのことを喋らないから、お前らもオレが奴隷出身であることを黙っていてくれ」


「当然です」


 ラフィークは憤慨の残滓(ざんし)も露わにしながら、チャベスに言った。厳しい口調だった。


「今見た事を誰かに話したら、どうなるか分かっているでしょうねぇ……?」


 チャベスは静かに頭を下げた。動揺の色は全く見られない。グランザルの召し使いは、やはり豪胆な(きも)を持っているようだった。


「ご安心を。決して口外は致しませぬ。もちろん、ご主人様に対しても、です」


 ラフィークはようやく平静を取り戻したらしい。袖が片方抜けたチュニックを脱ぐ。


「ならばいいでしょう。これ、(つくろ)っておいてくださいねぇ」


 衣服を椅子にかけた。チャベスはまた点頭する。


「承知しました」


 ラフィークは肩に布をかけて焼き傷を隠すと、エスロビにロウソクを持たせて一緒に食堂を出て行った。オレはすっかり酔いが覚めて、無言で彼らの退出を見送る。吐き出した吐息は酒精を含んでいた。


「チャベス、針と糸をお願いできるか。オレの袖、後で自分で直すから」


「かしこまりました。少々お待ちください」


 召し使いは食堂の後片付けを中断して出て行く。室内はオレ一人になった。椅子に座り、ぼんやり考え事に(ふけ)る。


 奴隷や元奴隷は、それだけで他人から差別される。人間扱いされることはない――ズールのような特殊な例を除けば。それゆえ、肩の烙印は極力秘してきた。新たな火傷で消せないものかと考えたことは何度もある。だが焼きごての激痛や、結局肩から印を取り除くことは出来ないという現実から、オレはいずれの機会でも断念してきた。


 一生この烙印を隠して生きていかねばならない。そういうことだった。


 ロウソクの明かりがぼんやり視界で揺らめく中、不意に背後から声をかけられる。


「クラネア……」


 オレは喫驚して飛び上がった。剥き出しの肩を慌てて押さえ、立ち上がって振り向く。『飛燕』ガドニスだった。狐のような男。


「何だ、ガドニスか。……見たのか?」


 ガドニスはオレの問いにまばたきする。


「何を?」


 オレはほっとしてテーブルに寄りかかった。


「ならいいんだ。あんまり人を驚かすな。――またキスでもしにきたか?」

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