0030暗殺者たちと孤高の王
グランザルが知っているのは『飛燕』『水蜘蛛』『迅雷』の異名だけ。これだけではどんな能力か分かりづらい。『水蜘蛛』だけでは、水に関係する暗殺術、程度のものしか類推できないだろう。そこを上手く利用する。
だがクラネアは不服だった。
「ちょっと待った。それじゃ財宝はお前のものじゃないか」
「まあそうなるな」
彼女は怒りで頬を朱に染め、地面に唾を吐く。
「危なく利用されるところだった。ふざけたこと言いやがって……」
俺は肩をすくめた。
「別にふざけたわけじゃない。何なら後で分け前をやってもいいぞ」
「お前はまだ信用出来ない。それにガドニスと協力するのも嫌だ」
「それは何でだ?」
「うるさい、殺すぞ。……オレはもう帰る」
クラネアは木々の中へと立ち去った。俺はその姿と靴音が消え去るまで、黙って見送る。その後、木につけられた短剣の跡を観察してみた。その深さ、正確さに舌を巻く。俺がここに来るまでの間にだいぶ練習していたと見えるが、どの傷もグランザルの胸の高さに刻み込まれていた。人間相手なら致命傷間違いなしだ。
「あるいは、一番グランザルに近いのはあの女かもな……」
俺はうそ寒いものを感じて、一人身をすくめた。
俺は少し暇を潰し、時間をおいてから館への帰路についた。もう夕暮れだ。木の葉を掻い潜って空間を貫く西日を浴びながら、俺は口笛を吹きつつ森を抜ける。
ちょうどそのときだった。前方にイノシシの死体を担いだガドニスの背中を見たのは。俺は口笛をやめて駆け寄った。
「ガドニス、凄い獲物だな。どうやって狩ったんだ?」
狐のような外見の男は、俺に振り返って笑みを浮かべた。
「何、森で鍛錬しているときに偶然遭遇してな。腰の長剣で袈裟懸けに斬り殺した」
「それがお前の秘めたる実力ってわけか。大したもんだ」
イノシシは確かに頭部を寸断されており、これが致命傷となったものらしい。大量の血が茶色の毛皮にこびりついていた。俺はガドニスと地上で闘ったら完全に負けるな、と心の中で考える。それはあんまり嬉しくない想像だった。そんな機会が来ないことを祈ろう。
ガドニスと共に館の囲壁目指して歩く。何となく聞いてみた。
「さっきクラネアと会ったんだけど……。あいつ、お前に怒っていたぞ。何かやったのか?」
ガドニスは一瞬の空白を置いてから、ぬけぬけと言った。
「キスしてベッドに押し倒した」
「本当かよ」
「ああ。股間を蹴られて悶絶しながら逃げ出すはめになったがな」
彼は情けない自分を思い出したように哄笑した。俺は溜め息をつく。
「ついていけないな」
その上で、今度は真剣に問いかけてみた。
「ガドニス、お前は『飛燕』だろう?」
彼はイノシシを担ぎ直した。もう笑ってはいない。
「クラネアから聞いたのか?」
「いや、俺の推測だ。それでものは相談なんだが……。悪いがこの先グランザルには、ガドニス自身を『迅雷』だと偽ってほしいんだ」
数瞬の間を挟んで、ガドニスは思考の速さを示した。
「ほう、グランザルの奴に異名を勘違いさせるつもりだな? ……そうだな。一つ答えてくれれば、それもよかろう。……ハイドロ、お前は『水蜘蛛』だな?」
今更隠すまでもないことだった。
「ああ」
狐顔の男は、透き通るような快活な笑みで応じた。
「よし、いいだろう。俺は『迅雷』を演じよう。するとお前は『飛燕』を演じるんだな?」
「そうだ」
「なるほどな。それはいいとして、クラネアが『水蜘蛛』を演じるという当てはあるのか? そこが抜けてると意味をなさないんだが」
俺はちょっと迷った。さっきの彼女の態度では、どうにも当てに出来ない。ただ、クラネア自身も自分の異名をグランザルに正確に把握されることは避けるはずだ。というわけで――
「多分大丈夫だ」
俺はそう答えた。ガドニスを肘で小突く。
「もし俺が財宝を手にしても、分け前はクラネアにもガドニスにも渡すから心配するな」
ガドニスは囲壁の門をくぐった。
「どうだか。まあ、楽しみにしておくか」
たっぷり日没まで経過してから、夕食の席へ全員無事に現れた。グランザル、俺、ベルサリオ、クラネア、ラフィーク、エスロビ、ガドニス。チャベスはイノシシの皮を剥ぎ、あっという間に肉料理に変換した。それが今夜の楽しみの一つとなる。
最年長の老人グランザルは、イノシシの硬めの肉を豪快に噛み千切っている。もりもりと咀嚼した。
「ガドニスよ、礼を言うぞよ。わしはイノシシの肉が大の好物なんじゃ。さあさあ、皆も食べい」
俺は今まで絶っていた酒を所望した。
「グランザル、俺はこの奇妙な団体生活にも慣れてきた。もし良かったら変化をつけさせてもらえるか? 具体的にはブドウ酒を飲みたいんだが……」
グランザルは不機嫌を隠さなかった。
「それはいいが」
口元を白布で拭う。
「お主ら、いつになったらわしに挑戦してくるのじゃ? わしは心より待ちわびておるのじゃぞ。ハイドロよ、酒を嗜むということは、少なくとも今夜から明朝まではわしに襲い掛かるつもりはないのじゃな?」
俺はチャベスに酒杯を受け取った。
「まあそうだな。酔っていれば腕も鈍るし」
グランザルはますます顔をしかめた。
「つまらん。ダルゲゾンやブロニッカは真正面から来てくれたというのに……。お主らは揃いも揃って腰抜けか」
ここで、それまでただの一言も発していなかったクラネアが、仏頂面で叩きつけた。
「ズールに会わせろ」
「何じゃと?」
「生きたズールに会わせろ、と言っているんだ」
剣呑な雰囲気の彼女に、館主はすっとぼけたような口調で返す。
「ズールはゆえあって期限切れまでここには来れん。もう何度も言ったことじゃが?」
クラネアがテーブルを叩いて立ち上がった。声帯を壊す勢いで言い放つ。
「ズールは死んでるんじゃないのか? お前の、グランザルの手で殺されて……!」
室内はしんと静まり返った。この馬鹿、それを今言うか?
ラフィークがエスロビの髪の毛をもてあそびながら、ニヤニヤ笑う。
「これは聞き捨てなりませんねぇ。グランザル氏は今のクラネア氏の問いかけに、一体どうお答えなさるのですかな?」
ガドニスも気色ばんだ。鋭い視線を老人に注ぎ込む。
「答えるんだ、グランザル。もしお前がズールを始末しているのであれば、こちらも財宝云々ではない。全員総がかりでグランザル、貴様を殺して仇を討つまでだ」
ベルサリオも興味津々と、館主と客とのやり取りを眺めていた。
場に緊張がみなぎる中で、グランザルはしかし、表情筋一筋さえ変えない。俺が自分の予想は間違っていたのではないかと疑うぐらい、彼は冷静沈着だった。
グランザルはイノシシの肉を不健康な黄色い歯で噛み砕く。いかにも美味そうに顎を上下させた。
「ズールは生きておる。わしが殺すわけないじゃろう。ただ、わしの暗殺期限が過ぎるか、わしが誰かに殺されるまでは、ここには来ない約束になっておる。そんなにズールに会いたくば、わしに挑んで殺してみるのじゃな」




