0002暗殺者たちと孤高の王
だからだろう、オレは10歳のとき、人身売買でお袋から商人の手に渡った。ああ、オレの消えた家族は、こんな運命を辿っていたんだ――と、そこに至ってようやく気が付いた。お袋を恨む気持ちはなかった。全ては消えた親父が悪いんだと、そう教え込まされていたのもある。
オレは長旅の果て、裸に剥かれると、肩に熱い熱い焼きごてを押された。気が狂うような激痛が走り、オレは烙印――ひと目で奴隷だと分かるように――を刻まれた。そうして髪の毛を掴まれ、全裸のまま舞台に立たされた。身なりのいい男女が多数詰め掛ける野外の会場で、オレは競りにかけられたのだ。
痛みに泣きじゃくるオレを、まるで品物のように鑑定する観客たち。彼らはオレが聞いたこともないような高額を叫び、競い合うように値を吊り上げていく。あちこちで手が挙がるものの、オレは痛みと絶望とでそれどころじゃなかった。自分は知らない人間に買われ、奴隷としてこれからを生きていかねばならないのだ。熱狂する会場とオレとの温度差は天地ほどの差があった。
「200万!」
ひときわ高い価格が会場に響くと、感嘆の波が人々の頭上を通過した。それまで80万だの90万だのの競り合いだっただけに、これは異常な額だ。一転静寂に包まれた会場で、競売人が舞台上から確かめる。
「本気ですかお客さん。200万ガーロですよ?」
高値を叫んだ男――まだ若く、やたらと背が高い――はうなずいた。
「本気だ」
木の札が入れ換えられ、200万という数字が枠にかけられる。
「はい200万出ました! 他にこれ以上の値をつける方は?」
さすがに誰もいなかった。10才の少女にこんな大金――農家がゆうに10年は暮らせる額だ――をつける者など、そう現れるものでもないだろう。壇上の商人が両手を揉み合わせながら、購入客を手元に招いた。
「どうぞお上がりください」
応じて舞台脇の階段を上ってきた男は、やはり長身だった。精力と自信にみなぎる顔つきながら、見るものの心を落ち着かせてほどいていく、そんな優しい眼差しを持つ。茶色い髪は豊かで耳を隠し、でも額の半ばとうなじのすぐ上辺りでそれぞれ切り揃えられていた。体型は引き締まっており、紺のチュニックの上からでもその筋肉量がうかがい知れる。年齢は25歳ぐらいだろうか。
青年はオレの肩に赤いマントをふわりとかけた。接触により肩の傷が痛んだものの、それよりそのマントの温かさの方が、オレの心に強く印象付けられた。オレが涙ぐんで見上げると、塔のような男は微笑んだ。
「もう大丈夫だ。これからは俺がお前を守る。安心しろ」
穏やかにそう告げてきた。
その後、男は代金を支払い、オレの手を引いて舞台から降りた。背後から競売人が声をかけてくる。
「ご購入ありがとうございました!」
直後、もうこちらには関心を払わないかのように、客席へと喋りだす。
「さて皆さん、次の商品ですが……」
男は「ズール」と名乗った。かなりの金持ちらしく、恐ろしく高価な薬草を購入してオレの肩にあてがい、包帯を巻いてくれた。その上で衣服と靴を買ってくれる。衣服は高価で、オレの村では誰かの着古しを受け継ぐのが当たり前だっただけに、新品の衣装は着ている実感すらなかなか湧いてこないほどだった。
「クラネアか。いい名前だ。今後もそれを使おう」
オレを馬に乗せ、くつわを取って歩きながら、彼は実に楽しげに笑った。とはいえ、ズールは奴隷としてオレを買ったのである。酷い目に遭わされてこき使われるのが当然であり、そうした未来は変わりようがないと思えた。優しいのは今のうちだけ、というやつだ。
しかし、ズールは町外れのこぢんまりした一軒家に辿り着くと、まるでお姫様のようにオレを扱った。焼きごての痕は痛くないか、今使用人が料理を作ってくれる、それを食べて元気を出すんだ――。オレは夢でも見ているのではないかと頬っぺたをつねらなければならなかった。
「どうしてオレに優しくするんだ? 奴隷なのに……」
粥にパンを浸して口に運びながら、オレはそう尋ねずにはいられなかった。オレがむしろ待ちわびてすらいた態度の豹変は、一向彼の身に起こらない。ズールは酒を楽しみながら、問いには答えずニコニコしていた。オレが食べ終わって――本当に久しぶりに満腹を味わった――杯の水を飲んでいると、ズールは机に肘をついて上体を乗り出した。
「クラネア、これからは俺が生きる術を教えてやるよ。何、簡単さ。いざというときの戦い方と、急場をしのぐための逃げ方だ。それを身につけたら、ちょっとぐらいは俺に感謝してもいいだろう? そのときはお礼として俺の役に立ってくれ」
言ってる意味は分からなかったが、オレはうなずいた。ただ彼の慈愛に満ちた双眸が、もう怖い目や酷い目に遭わせたりしない、と暗に示している。お袋のこともすっかり忘れて、オレは彼に全幅の信頼を置いた。
それからズールとの生活が始まった。オレは様々なことを彼から学んだ。語学、狩、剣技、裁縫、飼育、栽培。こき使われたりもしたが、それはオレが自ら望んだときだけだった。
才能が表れたのはカードや短剣の投擲だ。オレは素晴らしい速度と正確さでもって、瞬時に目標物を砕くことが出来た。ズールはオレを誉めそやし、常に鍛錬を怠らないよう指導してきた。それが嬉しくて、オレは毎日のように何かを弾き飛ばしては、それを誇りを持って報告した。
その一方、ズールが何を仕事としているのかは分からなかった。数十日も家にいたかと思えば、ふらりといなくなり、数日後に帰って来たりもする。ズールはそのことについて何も語らず、またオレも聞いたりはしなかった。聞いてはいけないと、直感で悟ったからだ。
ただその仕事はとても儲かるらしく、ズールやオレ、それに召し使いのドシア夫妻が食っていくのに余りあるほどだった。
やがて7年が過ぎて、オレは17歳になった。
この頃、フネス王国では国王ウルフォンが突如心臓の具合が悪くなって逝去。リゲール王子とミゼッタ姫――ファレイム宰相の傀儡だが――の王位継承権を巡る争いが勃発していた。王都も国も二分され、血なまぐさい抗争が幾日も続く。終わりは見えそうになく、人々は不安な毎日を送っていた。
それに併せてズールが家を空け、十数日もいなくなる、という事態が頻発した。最初こそオレは無事を祈って待っていたが、4回も同じことが起きると理由も尋ねたくなってくる。
ある深夜のことだった。ズールが帰宅し、ドシア夫妻を起こさないよう注意深く自室に引きこもる。その物音を耳にして、オレは聞くべき時が来たと知った。そっとベッドから抜け出し、彼の部屋の扉を叩く。
「オレだ、ズール」
「ん? どうしたクラネア。起こしちまったか?」
扉が開き、オレの主人が現れた。ロウソクの火が薄ぼんやりと両者を照らす。
長く続いた会えない日々が、オレにはっきり教えてくれた。オレはズールを愛している。オレを奴隷の身から救い出し、教育を与え、一人前に育ててくれたズール。彼といつまでも一緒に生きていければ、それだけでオレは満足だった。




