#8-2「30周した世界にて」
「もうちょっとで着くから。遠くてごめんね」
門番のお姉さんの言う通り、里の端の方まで歩いて来たのではないかと思う。お姉さんとフィオさん、ユイナちゃんの後ろで、ステラちゃんの手を引きながら、私はさらに歩みを進めた。
その道中には楽しそうに暮らす人々がたくさんいて、正直ここが元被災地だと言われても「そうみたいですね」と思うことはできなかった。
「ステラちゃん、どうですか?」
「……ううん。知らない建物と、知らない人ばっか」
「知らない」──さっきから何度か彼女に聞いてみたけれど、毎回同じ答えが返ってきた。その声色は不安げに震えている。
無理もない。彼女からすればこの状況は、自分の家に突然知らない人が大勢入って来て、勝手に模様替えまでされたようなものだ。怖いし、混乱してしまうだろう。
「あのっ、えっと……この里、前に星が降ったって聞いたんですが」
ステラちゃんに分からないなら、別の人に……お姉さんに、私は聞いてみることにした。
「星が…………あぁ、あの時ね。もう結構昔の話だよ」
前を歩きながら振り向いて、彼女はそう答えてくれた。って、結構昔? ステラちゃんは、最近のことだって……。
「昔って、どのぐら──」
「あっ、里長いたー! ちょっと良いですかー!?」
タイミング悪く、目的の人を見つけてしまったらしい。私の声を遮って、お姉さんが大声で呼びながら前に手を振った。
「すいませーん。ちょっと、会って欲しい子がいて」
「なんだい、唐突だね」
あっ、確かに男性の声……ステラちゃんのお兄さんかも。だけど、三人の背中に遮られて顔が見えない。
「ステラちゃん、こっちです!」
「う、うんっ」
私は彼女の手を引っぱり、三人の隣に歩み出た。
そこにいたのは、優しげな微笑みを浮かべた人物。ステラちゃんによく似た色の金髪を短く整えた、眼鏡をかけた壮年の男性。
「…………えっ」
人違いでは? お姉さんに、そう聞こうか迷ってしまった。
だって、壮年。どうみても壮年の方だ。髪には白髪も混じっている。兄? いやいや、お父さんだとしてもそれなりに歳の差がある。
「お兄……ちゃん?」
ステラちゃんが、かすかにそんな声を漏らした。異様な場の空気に当てられて、周囲の人々の視線も一斉に私達に集まってくる。
そして当然、里長だというお兄さんも、ステラちゃんに目を向けていて。
「……………………嘘、だろ。ステラ」
おかえりと言うべき人に向けて、彼はそんなことを言った。
「は……え? ステラ、この人が兄ちゃんなの? や、だって……」
ユイナちゃんは途切れ途切れに言いながら、信じられないといった面持ちで、ステラちゃんとお兄さんを交互に見た。
「ほら……僕だよ、ディムだ。この目元の傷、知ってるだろ?」
自分の左のまぶたを指差して、お兄さん──ディムさんは言う。
「……知ってる…………お兄ちゃんも、おんなじ、ケガ……して」
ふらり。ゆらり。
「ステラちゃん!」
私は名を叫んで、すぐさま彼女を抱えるように両手で支えた。手足が震えて、今にも崩れ落ちて、粉々になってしまいそうだった彼女の体を。
「フィオさん、これって……」
「…………あのさ、ディムさん。この里、ずっと前に一度壊滅してたりしない? 災害とかで」
私の声は、果たして届いているのか。フィオさんは何か答えるでもなく、代わりにディムさんにそんな質問を投げかけた。
「え、えぇ……さんじゅうねんまえの、"星降り"の災いで……」
え? さんじゅう? さんじゅうって?
「…………そう。30ねんまえなんだ」
30? 何が?
「ちょっ、待ってよ! 30年って……は? だってステラなんか、どう見ても──」
「どう見ても10代、ってかあたし達と同世代よ。だから……えっと……?」
……30年前。ステラちゃんの言う星降りは、もう30年も前のこと。今になってようやく、私の頭は周回遅れでその情報を処理した。だって、だって突拍子もなさすぎる。
「つまり……もしかして。ステラ、今神暦何年?」
「………………?」
彼女は何も答えない。
「ふぃ、フィオさん。その、今ステラちゃんには……」
「分かってる。でも、その子に聞かないと始まらないのよ」
答えられない。きっと、答える余裕も質問を理解する余裕も無いんだ。虚空を見つめてぼーっとする、その顔を見れば分かる。
「ステラちゃん、神歴です。今、何年ですか? 何百、何十、何年ですか?」
私はゆっくりと、繰り返し彼女に尋ねた。やがて、彼女はゆっくり口を開いた。
「……788年」
「え……ね、ねえフィオ」
困惑しながら尋ねたユイナちゃんに、フィオさんは頷きを返した。
「不正解。学校行ってないあたしでも知ってる常識。今は……神歴818年よ」
「……嘘……フィオっちまで、冗談っしょ? お兄ちゃんが大人になってて……9世紀になってて……だって……あーしは? じゃあ、あーしは何……?」
「す……ステラちゃんは、ステラちゃんです! 明るくて、頑張り屋で、友達想いな!」
うわ言のように呟き続けるステラちゃんの手を握りしめて、私はそう言った。そう言って励ますしかなかった。私自身、この状況を全く理解できていないから。
「818年……788年……じゃあ」
30年の認識の差。30年前の星降り。だとしたら。
「ステラちゃんは……30年前から来た?」
この里の完璧な復興だってそうだ。30年もの長い時を費やせば、あり得ない話ではない。
だけど、ならどうして。どうして、ステラちゃんだけが何十年もの時を──
「…………っ」
「ステラちゃん!!」
「ステラ!!」
「ああもう……ディム、アンタの家どこ!? 早くッ!!」
私達は推論と会議の全てを中断して、ディムさんの家へと急いだ。
意識不明のステラちゃんを抱えて。
──────────────────────────
ごおごお。ごろごろ。
ええん、ええん。あああ。
ぐしゃ。
「………………あ」
やかましい轟音と悲鳴が響き渡る地獄で、目の前でまた、一つの命が潰れて消えた。その光景を見て、金髪の少女はかすかな涙声を漏らした。
理解などできないだろう。泣いて逃げ惑うしかないだろう。平凡な里にある日、星が──隕石とも火砕流とも取れる岩石の大群が、突如として降り注いだのだから。
「ステラ!!」
「!」
肩をゆすられて、名を呼ばれて、ステラはようやく我に返った。
「何やってんの! ボーッとしてないで逃げんだよ!!」
そう言いながら、現れた少女はステラの手を無理やり引いて走り出した。
里のあちこちに火を纏った岩が降り注ぎ、住宅地を火炎地獄に変えた。煙臭い。血生臭い。地響きが、家々を砕く岩の落下音が、悲鳴と断末魔がうるさくて仕方ない。頭がおかしくなってしまいそうだ。
だけど、ステラは手の温もりを頼りに正気を保っていた。
「……カル、ちゃん」
「だいじょーぶ。絶対生き残るよ。そんで2人で王都、遊びに行くし」
手を引く少女──カルナは、励ますように微笑んだ。白い短髪は、煤をかぶっても尚美しい。彼女だけが、今のステラにとっての光だった。
「だめ……先、行って。鈍臭いあーしに合わせてたら」
「気にすんなよ。ステラはカルがいなきゃ泣いちゃうっしょ?」
ま、お前も最近はギャルが板についてきたけどさ──この状況下でそんな軽口を言うのに、どれほどの勇気と優しさが必要だったろう。
「カル……」
「ステラ。ちょっと、神授使ってみて」
「え……こう?」
言われるまま、ステラは右手で神授を発動した。ほんの少し温かく、そして煌びやかな光がその手に灯る。
「……ありがと、勇気出た。やっぱ綺麗だなー。"希望の光"って感じする」
カルナはそう言って、無邪気に笑ってみせた。
「生きる。絶対生きるよ、ステラ」
「……うん!」
そんな約束を交わして、2人は里の出口へと走り続けた。
「…………ごめん。約束、守れなくて」
そんな2人を。かつての自分達を見つめながら、あーしはそう呟いた。
これは夢? いや違う。あーしは何もかも思い出した。この光景は、蘇った記憶のフラッシュバックだ。全部、あーしの知っている光景だ。
「そっか。そうだよね」
やがて、繋いだ2人の手が唐突に離れていったのを見届けて、あーしは無力感と共に言った。
「あーし、ここで死んだもんね」




