第四話 秋香のドキドキ職場体験
六月七日、火曜日。
午前七時二〇分頃。皆はいつものようにダイニングテーブルにて朝食を取っていた。
「そういえば小野川さん、今日は学校の制服着てるんだね。保健室登校の日?」
普段とは違った服装の秋香を見て、健太は少し疑問に思った。
「わたし達の学校の中学二年生は、今日と明日、職場体験活動期間なんです。公立校ではトライやるウィークというのをやっているので、松鴬もこれと似たような活動をしていこうと、十年ほど前から毎年実施してるの」
友子はさらりと伝える。
「あたし、これだけは参加しようと思うんだ。学校へは行かなくていいから」
秋香はぼそぼそと打ち明けた。
「小野川さん、えらいね。そういや僕が中学二年の時も、クラスに不登校の子がいて、僕はその子と同じ班だったんだけど、トライやるウィークの時だけはちゃんと参加してたよ」
「健太お兄さんはトライやるウィークを体験されたんですね。どこへ行きましたか?」
友子は興味深そうに尋ねてくる。トライやるウィークとは、一九九八年度から兵庫県教育委員会が実施している、県内の公立中学二年生を対象に一週間、学校から離れて職場体験活動をさせる取り組みのことだ。
「農協でした。食品加工所とか、神戸の卸売市場とか、ほとんど見学で楽だったな。最終日はサ○テレビも取材しに来てたよ。僕も、ちょっとだけ映ってました」
「テレビに映るのは、わたし嫌だな。わたし達の学校は私立なので二日だけだったんですけど、青少年科学館へ行きました」
「私はお菓子屋さんだったよ。ケーキ食べ放題ですごく楽しかった♪」
佐代里は満面の笑みで思い出を語る。
「そうでしたか。あの、小野川さんは、職場体験どこを選んだのでしょうか?」
健太は問いかけてみる。
「図書館! 本が大好きだから。鈴菜と同じ班なんだ」
秋香が満面の笑みを浮かべて嬉しそうに答えたのとほぼ同時に、玄関チャイムが鳴らされた。
「はいはい」
いつものように千代さんが玄関を開け、応答する。
「おはようございます」
「おっはよう、アキカ迎えに来たよ」
「おう、おはよう」
上之原先生と鈴菜が迎えに来てくれたのだ。
「あの、鈴菜。上之原先生。あたし、やっぱり、その……なんか、怖くて」
秋香は自分の気持ちを素直に伝える。
「大丈夫よアキカ、アタシがそばに付いてるから」
鈴菜は頼もしい言葉をかけてあげた。
「じゃぁ、行って来ます」
八時前。秋香は通学鞄を肩に掛け、玄関から外へ出た。
鈴菜と上之原先生、秋香、三人いっしょに歩いていく。
三〇分ほどで本日お世話になる図書館へ辿り着いた。
「なんか、緊張するよ」
「アタシもだよ。心拍数めっちゃ上がってる」
秋香と鈴菜は館内入口前で、ぴたりと立ち止まってしまった。
「大丈夫よ、先生が先に入るから」
上之原先生が先頭を歩き、入口を通る。秋香と鈴菜は彼女に続いて、恐る恐る館内入口へと足を踏み入れた。
「おはようございます!」
上之原先生は受付の人に向かって元気よく挨拶した。
「おはようございます」
「おっ、おはよう」
鈴菜と秋香は照れくさそうに挨拶する。
「おはよう、えっと、松鴬女子中学の小野川秋香さんと二星鈴菜さんね」
「はい! そうです」
「はっ、はい」
受付の人に挨拶され、鈴菜は元気よく、秋香は緊張気味に挨拶した。
「小野川さん、二星さん、今日と明日、よろしくね」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
「……」
受付の人の目を見ながら話す鈴菜に対し、秋香は俯いてしまった。
「大丈夫?」
そんな秋香を見て、受付の人は心配そうに問いかけてくれた。
「この子、けっこう人見知りの激しい子でして」
上之原先生は伝える。
「あっ、あのう。あたしなんかで、大丈夫でしょうか?」
秋香は俯いたまま受付の人に尋ねた。
「大丈夫よ、人見知りが激しくても、出来る仕事はあるから」
「そっ、そうですか」
にこやかな優しい表情で言われ、秋香は少し安心出来た。
「では、本日はよろしくお願いしますね。先生はこれから、他の班の子達の所へ見回りに行ってくるね」
「先生……もう行っちゃうの?」
秋香は寂しがる。
「また迎えに来るから」
上之原先生は優しく微笑みながらそう告げて図書館をあとにし、他の班の子達がいる事業所へと向かっていった。
「小野川さん、二星さん。こちらにいらっしゃい」
秋香と鈴菜は、受付の人に書庫室へ案内された。
午前九時より、本日の作業がスタートする。
「昨日、新しい本が入って来たの。それと、返却された本を分類ごとに分けて本棚に並べてくれるかな?」
「分かりましたーっ」
「……」
二人は職員の方から本がたくさん乗せられたカートを受け取ると、協力して押して館内へ運ぶ。
平日ではあるがお年寄りや小さなお子様連れの女性を中心に、多くの利用者がいた。
重たい本は鈴菜が、軽い本は秋香が。二人は手分けして社会学、文化人類学、哲学、法学、工学、数学、化学、物理学、地学、生物学、医学の専門書などを、それぞれの分類番号ごと順番に並べていく。
「届かないよぅ」
「アタシも無理だ。けっこう高いね。二メートル以上はあるよ」
「これ使ってね」
困っている秋香と鈴菜に気づいた職員の方が、すぐに駆け寄り優しく気遣ってくれる。
「ありがとうございます」
「あっ、ありがとう」
鈴菜と秋香はきちんとお礼を言い、踏み台を使わせてもらった。
小さい子ども向けの絵本や児童図書、図鑑などもたくさんカートに乗せられていた。
「あの、アキカ、今作業中だから、あとにしようね」
「あっ、ごめんなさい鈴菜」
鈴菜に優しく注意され、絵本を夢中になって読んでいた秋香は慌てて謝る。
「小野川さんは、絵本好き?」
「はい、大好きです。幼い頃の気分に浸れるので」
背後から職員に話しかけられると、秋香はとても嬉しそうな笑顔で答えた。
「そっか。小野川さんの将来の夢は何かな?」
「絵本作家さんです。お絵描きもお話を作るのも、好きなので」
次の質問には照れくさそうにしながらも、元気な声で答える。
「アタシも同じです。イラストレーターや漫画家さんにもなりたいですけど」
鈴菜も楽しげな気分で会話に加わった。
「ワタシも子どもの頃、そうだったな。二人とも夢はしっかり持ってね。頑張ってね。応援してるよ。絵が得意なら、二人でここの図書館のPRポスター作ってみない?」
「いいんですか!?」
思わぬ依頼に、鈴菜はちょっぴり驚き顔。
「もちろん。デザインは自由にしていいよ」
職員さんからこう言われると、
「ありがとうございます! やったねマユちゃん」
「うん!」
鈴菜と秋香は嬉しそうな笑顔を浮かべた。そのあとこの二人で協力して、メルヘンチックなイラストを一枚の画用紙に絵の具を使って楽しそうに彩っていく。
こうして完成させたポスターを、館内の壁に貼ってもらった。
「すごーい、立派に出来たね」「とってもかわいらしいね」「利用客絶対増えるよ」
職員の方々から褒められ、
「なんか、ちょっと、照れくさいね、アキカ」
「うっ、うん。でも、すごく、嬉しい」
秋香と鈴菜の頬はほんのり赤らむ。この二人はこのあとお昼の休憩を取って、午後からはラベルの貼り付け作業に挑戦していく。
「受付も、やってみる? カウンターでの業務なんだけど」
「アタシはやりたいですけど、アキカは」
「……あたしも、やってみます」
その作業中、職員から誘われると、秋香は少し考えてから決意した。
「アキカ、大丈夫?」
鈴菜は少し心配する。秋香が人と話すのが苦手だということをよく知っているからだ。
「大丈夫!」
秋香はきりっとした表情で言った。
秋香と鈴菜は受付備えの椅子に座り、利用客が来るのを緊張気味に待機する。二人の目の前にはパソコンが置かれてあった。
数分後、一人の中年婦人が秋香の方へ歩み寄ってくる。
(つっ、ついに来たよ……)
ドク、ドク、ドク、ドク。秋香の心拍数は急上昇した。
「すみません、西洋美術史の本はどこにあるか分かるかしら?」
中年婦人は秋香に尋ねて来た。
「えっ、えっと。美術の専門書だから、えっと、あの……」
「ここに西洋美術史って打って、検索ボタン押してね」
「あっ、はい」
職員の方から優しく教えられると、秋香は一生懸命パソコンを操作する。
「あっ、あの、ごめんなさい、その本、今、貸し出し中みたいです」
秋香は手をパタパタさせながら中年婦人に伝えた。
「お嬢ちゃん、慌てんと」
中年婦人は優しく気遣ってくれる。
「あっ、ごっ、ごめんなさい」
秋香は下を俯いてしまう。
「ありがとう、あなたのおかげで探す手間が省けたわ」
「あっ、どういたしまして」
中年婦人は優しく微笑みかけられ、秋香のお顔は茹で蛸のように赤くなっていた。
「それじゃ、頑張ってね」
中年婦人は嬉しそうにそう告げて、図書館をあとにした。
「おめでとう、小野川さん。よく出来たね」
職員の人に頭を優しくなでてもらった。
「いっ、いやぁ、あたしなんて」
秋香は笑いながら、照れくさそうに謙遜する。
「アキカもやれば出来るじゃん」
鈴菜も職員の人と同じようにして褒めてあげた。
ちょうどその時、
「こんにちはー」
館内入口付近から一人の女性の声が聞こえてくる。
「あっ! 上之原先生だぁーっ」
戻って来てくれたのだ。館内へ入ったのを確認すると、秋香は手を大きく振り、彼女の方へ駆け寄った。
「図書館の作業は楽しい?」
「はい、とっても楽しいです」
上之原先生からの質問に、秋香は嬉しそうに答える。
「お二人とも、とても真面目に働いてくれましたよ」
受付の人は嬉しそうに上之原先生に伝える。
「いやぁ、そんなことないよぅ」
「アタシもです。迷惑ばかりかけちゃって」
秋香と鈴菜は照れ隠しをするように髪の毛を掻いた。
この二人は引き続き受付を続けていく。
こうしているうちに午後三時、本日の作業終了時刻となった。
「小野川さん、二星さん。明日もよろしくね」
「はい。さようなら」
「……さっ、さようなら」
鈴菜と秋香は職員の方々に別れの挨拶をして、図書館をあとにした。
「鈴菜、すごく楽しかったね。食堂のチキンカレーもとっても美味しかったし、お土産も貰えたし。参加してよかったよ」
「うん、貴重な経験が出来てめっちゃ嬉しい♪ 作文、今日の活動だけでも原稿用紙五枚分余裕で書けそうだよ」
二人とも普段出来ない体験が出来たことの喜びに心を弾ませながら、帰り道を歩き進んでいく。
「えっ!? 受付やったの?」
「うん、すごく緊張したけど、すごく楽しかったよ」
谷風寮へ帰った後、秋香は先に帰っていた友子に今日あった出来事を伝えると、とても驚かれた。
「それはよかったね。今日のことで少しは成長出来たんじゃない? 教室に入れそう?」
「……そっ、それは、まだ、ちょっと、無理」
友子が尋ねると、秋香は少し暗い表情になった。
「保健室登校の回数、少しずつ増やしていくことから始めればいいから。ゆっくり一歩ずつ、教室へ入れるよう成長していけばいいの」
友子は優しく微笑みかけ、頭をなでてあげる。
「うん。あたし、頑張るよ!」
すると秋香は今まで見せたことの無いような、生き生きとした表情へと変わった。




