第三話 千代さんの思い出の人
六月五日、日曜日。今日は朝から快晴。
真夏を思わせるような強い日差しが照りつけ、蒸し暑さも感じられた。
「健太ちゃん、今日はこのあと、皆でお墓参りに行くから」
午前八時頃、いつものようにダイニングテーブルにて皆で朝食を取っている最中、千代さんから伝えられる。
「……分かりました」
健太は少し間を置いてから返事をした。
「毎年六月五日は、お墓参りに行く日になってるの。今日は、お婆ちゃんにとって一年で最も大切な日だからね」
佐代里はしんみりとした声で伝えた。
(武士さんが言ってたあの日って、六月五日のことだったのか……もしかして――)
健太は何かに勘付く。
朝食を取った後、皆は裏庭から通じる石段を登って山の中腹へ。展望台がある所からもさらに石段が続いていて、そこを百段ほど登っていくとお墓に辿り着けた。
墓石には、天王寺谷家之墓と刻まれてある。
「今日は、おらの最愛の夫だった、茂さんの命日なのさ」
千代さんはやかんに入った清めの水を墓石にかけながら、ぽつりと打ち明けた。
「そのお方は、神戸大空襲で?」
健太は恐る恐る尋ねる。
「そうだ。おらの夫は、『火垂るの墓』の原案にもなった、昭和二〇年六月五日の神戸大空襲で亡くなったんだ。おらを庇ってね。あの日の朝、空襲警報が鳴ったから防空壕に逃げ込もうとした時、焼夷弾がおら目掛けて降り注いで来たんだ。おらは、あの時はもう死んだかと思った。けど、茂さんがおらに覆い被さって来て。そんで茂さんの背中に焼夷弾が直撃したのさ。あの人は命を張って、おらと、お腹にいた赤ん坊を守ってくれたんだよ」
千代さんは語っているうちに、表情がしんみりとなっていく。
「そんな過去が……」
健太は憐憫の気持ちが芽生えた。
「健太くんは、茂さんと被る所があるみたいなんだよ」
佐代里は供花を添えながら、ぽつりと伝えた。
「人柄がそっくりなんだ、茂さんに。茂さんはあの当時としても華奢な体つきで、兵役検査は丙種。召集はされなかったのさ。身体は弱かったけど、健太ちゃんに似て、とっても誠実で品行方正で、心優しい人だったよ」
「そうなんですか……でも、僕には茂さんのように、命を張って大切な人を庇うような、勇敢さや、逞しさは微塵もありませんよ。イノシシからも、逃げてしまったので……」
健太は茂さんの人間味には到底及ばないと感じたようだ。
「健太ちゃん、何百社落とされても就職活動を続けることが出来ていたじゃないか。大抵の人は、そこへ至るまでに弱音を吐いてとっくに諦めてしまうよ」
「いやぁ、べつにたいしたことでは、今の時代、ネットで手軽にたくさん応募出来るので」
「そういう謙遜するところも、あの人にそっくりだよ」
千代さんの顔に笑みが浮かぶ。
「……」
健太はどう反応すればいいのか分からず黙ってしまった。
千代さんは、茂さんの大好物だった抹茶羊羹とスイカもお供えした。
千代さんと健太、寮生の三人は中腰になって墓前に手を合わせる。
こうしてお墓参りを済ませ、皆は谷風寮へ戻っていった。
「このお方が……」
健太は管理人室、つまり千代さんの寝泊りしているお部屋へ招かれる。壁に掲げられた白黒写真を眺めた。
天王寺谷茂さんの遺影であった。
享年二六。紋付羽織袴姿で坊ちゃん刈り、面長で細めのへの字眉、二重のどんよりとした目つき、病弱そうな風貌。
確かに健太と雰囲気がよく似ていた。
(茂さん、あなたは僕なんかよりも、ずっとずっと立派です。命を張っておばあちゃんを守り抜く勇敢さ。僕なんか、あなたの足元にも及ばないです)
健太は尊敬の意を示しながら、遺影の前で手を合わせる。
「おらと茂さんは、小学校時代からの幼馴染婚だったのさ」
「そうでしたか」
「あの人は大相撲が大好きだったよ。特に双葉山に憧れてたね。頑丈な身体が羨ましいっていつも言ってた。まあ、おらは、男は強くなくてもいいから、品行方正で心優しく誠実で真面目な人であればいいと思ってる、健太ちゃんのようにね」
千代さんは柔和な笑顔で打ち明ける。
「……」
健太は少し照れてしまった。
「そういえば健太ちゃんも、小説を書いてるんだろ?」
「はい。才能は、微塵も無いですけど」
「ますます茂さんにそっくりだよ」
千代さんの喜びがさらに増した。
「茂さんが存命されていた時代というと、中島敦さんや、太宰治さんがご活躍されていましたね」
「そうさ、そうさ。よく知ってるね」
「公務員試験の問題集にも出て来たので」
健太は照れくさそうに言う。
「茂さんもそういったお方の作品に傾倒してたよ。そうだ、健太ちゃん。これを着てくれないかい。あの人がよく着ていた服さ」
千代さんはタンスの中から、藍色の紋付羽織袴を取り出す。
「分かりました」
健太は快く袖を通してあげた。
「似合ってる、似合ってるよ、健太ちゃん」
「ありがとう、ございます」
千代さんににっこり微笑まれ、健太はちょっぴり照れてしまった。
「本物の文豪みたいだー」
「健太くん、かっこいい!」
「とってもお似合いですよ、健太お兄さん」
管理人室へやって来た三人は健太の紋付羽織袴姿を、目を輝かせながら見つめる。
「健太ちゃん、ますます格好良く見えるよ」
千代さんは感慨深く眺めていた。
今は亡き茂さんに、姿を重ねながら――




