第二話 祝！ 健太くん谷風寮管理人仮就任
翌週、月曜日の夕方六時頃、健太は谷風寮の玄関前へやって来た。
いつもの就職活動スタイル、つまり紺色のリクルートスーツとグレーのネクタイを身に着けて、黒一色のビジネスバッグを手に持った姿で。
（いよいよ今日から、僕も就業者になるのか）
健太はわくわくしながらも恐る恐る、玄関入口横のチャイムボタンを押した。健太の心拍数は高まる。
数秒後、住民の誰かによって扉がガラガラッと開かれた。
「！！」
健太の心拍数はさらに高まる。
「おう、健太ちゃん、いらっしゃい」
出て来たのは、千代さんであった。
「いらっしゃーい、健太くん。私、首を長ぁくして待ってたよ」
「いらっしゃいませ、健太お兄さん」
「……いらっしゃい」
寮生の三人もすぐ後ろ側にいた。健太を温かく迎え入れる。
ミャーン。
三毛猫の文治郎も、歓迎の言葉を述べてくれたような気がした。
「あっ、きょっ、今日から、お世話になります、かっ、楞野健太です。みっ、皆様、よろしく、お願い致します」
健太がかなり緊張気味に挨拶すると、
「健太ちゃん、そんなに畏まらなくても」
「健太くん、もっとリラックス、リラックス」
「こちらこそよろしくお願いしますね、健太お兄さん」
千代さん、佐代里、友子は優しく微笑んだ。
「健太ちゃんが実家から送った荷物はもう届いてるよ。そのままの状態で健太ちゃんのお部屋で運んでおいたから」
「お気遣い、ありがとうございます。あの、おばあちゃん。こちらを……」
健太は千代さんから提出を求められていた履歴書と健康診断書に加え、大学の卒業証明書と成績証明書も手渡す。
「おう、すまないねえ。じゃ、これも合わせて学校に送っておくよ」
千代さんは軽くお辞儀して、ありがたく受け取った。
「優をたくさん取ってますね。すごいです健太お兄さん」
成績証明書を覗き見た友子が褒めてくる。
「いっ、いえ。それほど、たいしたことでは……」
健太は自分を卑下するものの、
（僕は優の評価もわりと多く取得してるけど、大学の成績は講義毎の担当教官独自の判断で決めているからな。講義に参加した人全員に優を与えてくれる教官もけっこういるし。大学で優の評価を取得することは、中高の通知表で５段階評価の５、１０段階評価の９、１０を取得するよりも遥かに簡単なことなんだよ）
このことは黙っておいた。
「健太ちゃん、今から玄関前で谷風寮をバックに記念撮影するよ」
千代さんはそう告げて、デジカメを健太の前にかざす。
「僕、写真はあまり……」
「まあまあ健太ちゃん、そう言わんと」
「健太くん、真ん中に並んでーっ」
「わわわ」
戸惑う健太、佐代里に腕を引っ張られ、玄関出て数メートル進んだ所に並ばされた。
千代さんは谷風寮の全景が写る位置まで移動し、デジカメを構える。千代さんから見て健太の右隣に佐代里、左隣に友子。友子の左隣に秋香。佐代里は文治郎を抱きかかえているという構図だ。
「そんじゃ、撮るよ。はいチーズ」
千代さんはそう告げてから約三秒後にシャッターを押した。これにて撮影完了。
「きれいに撮れてるね。さすがお婆ちゃん」
佐代里は千代さんの側へ駆け寄り、保存された画像を見て感心する。
佐代里と文治郎は爽やかな笑顔。他の三人は普段通りの素の表情であった。
「おら、最新式の機材も難なくこなせるからね。さて、もうすぐ夕飯時だ。健太ちゃんのために、出前を取っておいたよ。近くの〝ウリ坊寿司〟っていうお店で」
「ありがとう、ございます。僕なんかのために」
千代さんの計らいに、健太は深く感謝した。
すでに、ダイニングテーブルの上に夕食が並べられてあった。
大きな舟形のお皿に乗せられた鯛やマグロ、イカ、ウニ、貝柱、伊勢海老などの刺身盛り合わせ。他に、大皿に盛られた中華料理、フライドチキンなども用意されていた。
時計回りに健太、佐代里、友子、秋香、千代さんという座席配置で、健太と秋香が向かい合う形となった。
文治郎は床に並べられた鯖缶と市販のキャットフードの前に座る。
「それでは手を合わせて」
千代さんがそう告げると、寮生の三人はすぐに両手を合わせた。
「あっ……」
健太はワンテンポ遅れてしまった。
「健太ちゃん、そう慌てんでもええんよ」
千代さんは優しく微笑む。
「ではおあがり」
「「「いただきます」」」
こう告げると寮生三人、
「いっ、いただき、ます」
ミャーォン。
そして健太と文治郎、千代さんも食事に手をつけ始める。
「健太ちゃん、遠慮せずにどんどん食べな」
「はっ、はい」
健太は当然のように緊張していた。女の子達に囲まれて食事をするのは、彼の人生初めての体験だからという理由が一番大きい。
「健太お兄さん、これどうぞ」
友子は、健太の前に並べられていた小皿に餃子とシューマイを入れてあげた。
「あっ、どうも」
健太は軽く会釈して、ありがたく受け取る。
「健太くん、大トロだよ。すごく美味しいよ」
佐代里もよそってくれた。
「あっ、ありがとう」
（えっと、刺身醤油。あっ、すぐ前にあった）
健太は左手を伸ばし、刺身醤油の瓶を取ろうとした。
「あっ、ごめんね」
その際、同じく取ろうとしていた秋香の手の甲に触れてしまった。慌てて謝る。
「！！」
秋香はびくっとなって、反射的に手を引っ込めた。さらにその子は俯いてしまった。
（どうしよう、嫌われちゃったかな？）
健太はとても気まずい気分に陥った。
「健太ちゃん、飲み物どれでも好きなのを選んで飲みな」
「はい」
ダイニングテーブルの上には烏龍茶、オレンジジュース、メロンソーダ、レモンサイダー、コカコーラのペットボトルも置かれてあった。
健太は慎重な動作で烏龍茶のペットボトルを手に取り、コップに注ぎ入れる。
「ねえ、健太くん、管理人さんになる前は無職だったんでしょ？」
「えっ、まあ、お恥ずかしながら」
佐代里からの突然の問いかけに、健太はびくりと反応する。思わず烏龍茶をこぼしそうになった。
「私、そのおかげで今日は助かったよ」
「へっ！？ どういうことで、しょうか？」
健太はぽかんとなった。
「五時限目の化学の授業中、二酸化硫黄は何色か答えなさいって当てられたんだけど、私、居眠りしてて寝惚けてて、健太くんのことが頭に浮かんじゃって、思わず無色って答えちゃったの。そしたら当たってて。先生に褒められちゃった」
佐代里は満面の笑みを浮かべながら伝えた。
「そっ、それは、どうも……」
健太はどう突っ込めばいいのか分からなかった。
「私、黄色だと思ってたんだけどなぁ」
「それは単体の硫黄の色よ。二酸化硫黄は無色なの。期末テストでも出題されると思うから、しっかり覚えておくようにね」
友子は爽やかな表情で忠告する。
「はーい」
佐代里はてへっと笑った。
（無色、無職か。同音異義語なんだけど、なんというか、痛い言葉だな）
健太は何とも言えない複雑な気分に陥る。彼はこの後も、千代さん、佐代里、友子と少しだけ会話しながら食事を進めていった。
千代さんはよく噛んで食べていたためか、みんなの中で一番後に食べ終えた。食後の煎茶を啜って一息ついて、
「では手を合わせて」
この合図。寮生の三人はすぐに手を合わせる。
「あっと……」
健太はまたもワンテンポ遅れてしまった。
「健太ちゃん、慌てなくていいよ。ごちそうさま」
千代さんはにこやかに微笑みかける。
「「「ごちそうさまでした」」」
寮生三人、
「ごっ、ごちそう、さま、でした」
健太もワンテンポ遅れて食後の挨拶。
文治郎はすでにどこかへ消えていた。
「じゃぁ、お皿持っていくね」
佐代里は使った食器類を何枚か重ねて両手で持ち、台所の流し台へ運んでいく。友子と秋香も同じようにした。
夕飯後の食器洗いは、いつも寮生の三人が担当しているそうだ。毎日美味しい料理を作ってくれる千代さんに感謝の意を込めて、という理由らしい。
「僕も、後片付けを手伝います」
「おう、気が利くね、健太ちゃん」
健太は今回、出たゴミをポリ袋に捨てる作業を担当した。
「あっ、あのう、僕、見取図を確認して疑問に思ったのですが、ここには、男湯は、ないのでしょうか？」
それを終えた後、健太は恐る恐る千代さんに尋ねてみた。
「おう、今は女湯オンリーさ。旅館だった頃は、男湯もあったんだけどね。寮にする際、女湯にまとめて広くしたのさ。ついでにトイレもね。だから健太ちゃんも堂々と女湯を使いな」
千代さんは大きく笑う。
「……」
健太はこの寮が女性専用に改築されている点を、当然のように不安に思った。
「健太くん、お風呂先にどうぞ。廊下突き進んで一番奥の別館だよ」
佐代里はロビー奥を手で指し示す。
「寝巻きも用意してあるよ。脱衣場にタオルとセットで置いてあるから」
千代さんは伝える。
「ありがとう、ございます。僕、寝巻き、持って来ているのですが」
「まあ、今日はあれを着な。荷解きはあとにして」
「はい」
健太はやや重い足取りで廊下を進み、別館の大浴場へと向かっていった。
あっ、蛍だ。山が近いだけはあるね。
途中、中庭の前を通りかかった所で何匹か光っているのを見つけ、ちょっぴり感激。
別館の出入口を通り抜けたあと、
本当に、入って、いいんだよな？
女湯と書かれた暖簾の前で一旦立ち止まり、ゆっくりとした動作で恐る恐る脱衣場に足を踏み入れる。
脱衣場には全自動洗濯機も設置されており、洗面台も三つ並んでいた。脱いだ服は、洗濯機横に置かれてある籠に入れるようにと張り紙に書かれてある。健太は脱ぎ終えると手拭いで大事な部分を隠し、ガラガラッと扉を引いて浴室に入り、シャワー手前の風呂イスに腰掛けた。休まずシャンプーを押し出し、頭を擦る。その最中、
「健太くん、お背中流してあげるよ」
入口扉がガラガラと開かれた。
「うわっ！ あっ、あの……」
佐代里が浴室に入って来たのだ。佐代里は服を着たままだったものの、健太は当然のように慌てる。
「私、実家でもお父さんによくやってたよ」
佐代里は手に持っていたタオルにボディーソープを染み込ませると、健太の背中に押し当てごしごし擦っていく。真剣な表情だった。
「……」
健太の頬はだんだん赤みを増していき、心拍数は急上昇する。
早く出て行って欲しいな、と心の中で思っていた。
「健太くん、気持ちいい？」
「はっ、はい」
「ここのお湯は温泉成分も入ってるから打ち身、切り傷、捻挫などにもよく効くよ。じゃぁ健太くん、ごゆっくりくつろいでね」
佐代里は健太の背中にお湯をかけると、こう伝えて嬉しそうに浴室から出て行った。
（やっ、やっと出て行ってくれた）
健太はホッと一安心する。そのあともまた戻ってくるかもしれないと、不安な心境で髪の毛と体を洗い流していき、湯船には五分ほど浸かった。
浴室をあとにすると、そそくさ体を拭きトランクスを穿いてＴシャツを着た。休まず千代さんが用意してくれていた藍染め浴衣の寝巻きを着込み、ロビーへと戻っていく。
「健太ちゃん、サイズもピッタリだね。とってもよく似合ってるよ」
千代さんに微笑み顔でじーっと見つめられ、
「そっ、そうでしょうか？」
健太は少し照れてしまう。
「健太お兄さん、お風呂上りの一杯どうぞ」
友子は冷たい麦茶を用意してくれていた。
「ありがとう、ございます」
健太は軽くお辞儀する。
「健太くん、湯加減どうだった？」
佐代里からの質問に、
「ちょうど良かったです」
健太は満足げな表情を浮かべて答えた。
「それはよかったよ。じゃ私達も、入ってくるね」
「では健太お兄さん、またのちほど」
自室にいる秋香を呼びに行き、寮生三人大浴場へ。いつもいっしょに入っているのだ。
「健太ちゃん、覗きに行かないのかい？ 絶好のチャンスだよ」
千代さんはにこにこ顔で問い詰めて来た。
「すっ、するわけありませんよ」
健太は慌て気味にやや強く主張する。
「おう、おらの思った通りの紳士だねえ」
千代さんはハハハッと笑う。
「僕、荷物の荷解きをしてきます」
健太は居た堪れなくなったのか、早足に彼に割り当てられた２０４号室へ向かっていった。
机、布団、収納ケースといった必需品は元から用意されてあったため、彼が持って来た荷物は中くらいのダンボール三箱分だけで済んだ。そのため引越し業者に頼まず、宅配便で済ますことが出来たのだ。主に衣服と書籍が詰められてある。
その他の小さな荷物はビジネスバッグに詰めて健太が自分で運んだ。
五分ほどで荷解きを済ませた健太は、ビジネスバッグからノートパソコンを取り出し、机の上にそっと置く。
（無線ＬＡＮと光ネットも使えるみたいだな）
続いてＡＣアダプタをノートパソコンとコンセントに接続した。ノートパソコンは大学時代にレポートや卒論の作成、そして就職活動で大変重宝したものだ。
健太は繋がるかどうかを確かめるため電源を入れて、無線ＬＡＮの設定をしたのちインターネットエクスプローラを起動させた。
（確かに繋がってる。メールも何件か入ってるな）
Ｗｉｎｄｏｗｓ Ｌｉｖｅ Ｍａｉｌも起動させ、届いたメールの中身を開いてみた。
（一週間くらい前にネットの応募フォームからエントリーした、アルミ製品の製造工場と、食品メーカー、広告代理店、老人ホーム、四社からの不採用通知か。僕の就職活動は、もう一応終わったんだ）
健太はそのメールを得意げな気分で削除した。今までは不採用通知を眺める度沈んだ気分になっていたが、今回はとても清清しい気分だった。既に就職先を決めているからだ。
（松鴬のホームページも見てみるか）
健太は検索窓に『松鴬』と打ち込み、Ｅｎｔｅｒキーを押す。
するとトップに私立松鴬女子中学校・高等学校という文字で表示されたテキストリンクが現れた。それをクリックして、そこのホームページを開く。
トップページから、健太は進路状況という項目を開いてみた。
（過去五年間の進学実績について、東大は一人しかいないけど、京大は毎年二、三名の合格者が出てるな。阪大は十名以上、神大には二〇名以上通ってる。その他国公立大合格者数も一学年二五〇人くらいってことを考慮すると、けっこう多い。確かになかなかの名門校だな。合格者数は関学、関大、甲南、甲南女子が特に多いな。次はカリキュラムの項目を見てみるか）
そこをクリックしようとしたら、
「健太ちゃん、ちょいとお盆片付けるのを手伝ってくれないかい？」
階段下から千代さんの叫び声が聞こえて来た。
「分かりました」
健太はすぐに返事をし、パソコンの電源を落としてロビーへと向かう。
そのあと千代さんに台所へ案内された。
「健太ちゃんは背が高いし、これをあそこに置いてくれないかね。おらじゃ、手が届かないんでね」
千代さんは食器棚を見上げながらお願いする。彼女の背丈は一四五センチほどだった。
「僕は、成人男性としては小柄な方ですよ」
健太は照れくさそうに言いながらお盆を受け取り、床からの高さが一八〇センチほどの所にある収納スペースにしまってあげた。
「さっぱりしたー、アイス、アイスーッ」
ちょうどその時、風呂から上がった佐代里がここへ駆け寄ってくる。
「うわぁっ！」
健太は思わず目を背けた。
「こりゃこりゃ、佐代里ちゃん。バスタオル一枚で歩いちゃいけないよ」
千代さんは微笑みながら優しく注意した。
「あっ、いっけなーい。今日からは健太くんがいるんだった」
佐代里はてへりと笑い、くるりと踵を変えて脱衣場の方へ戻っていく。
「うわぁっ！」
健太は咄嗟に目を床に向ける。佐代里の桃のようなぷりんっとしたお尻が丸見えになっていたのだ。
「さっきはごめんね、健太くん」
一分ほど後、パジャマに着替えた佐代里は再び戻ってくる。
「健太お兄さん、佐代里さんがご迷惑をおかけしたみたいで申し訳ないです」
「……」
友子と秋香もそれからすぐに台所にやって来た。この二人は最初からパジャマを着込んでいた。
（なんか、女の子特有の匂いが……）
寮生三人の体から漂ってくる、ラベンダーやミントのシャンプーや石鹸の香りが、健太の鼻腔をくすぐっていた。
「健太くん、ここの寮には、取って置きの場所があるの。私について来て」
佐代里は親しげに話しかけてくる。
「べつに、いいですけど……」
健太は招かれるままに大浴場へと足を進める。大浴場の浴室には、健太はさっき入浴したさいは特に気にならなかったが裏庭へ通じる横開きの扉があったのだ。二人は出てすぐの所に並べられてあった草履を履いた。
「裏庭もけっこう広いんだね」
「旅館時代は、ここに露天風呂があったらしいですよ」
「どうりで」
「健太くん、前方に石段があるでしょ。あそこを上っていけば、神戸の夜景が見られる絶景スポットに辿り着くんです」
佐代里は手で指し示す。浴室を出てさらに北へ二〇メートルほど進んだ所にそれはあった。
佐代里を先頭に一段ずつ登っていく。数メートル置きにある外灯が足元を照らしてくれているおかげで、二人は夜道を難なく歩くことが出来た。
「ハァハァ……なんか、登山、してるみたい。勾配がきつい」
二百五十段くらい登った頃には、健太はかなり息が切れていた。
「六甲山の中だからね。もうあと少しだよ。頑張って健太くん」
佐代里はまだ、余裕の表情だった。体力はけっこうあるらしい。
「さあ着いたよ、健太くん」
三百段くらい上がった所に、展望台があった。
辿り着くと、二人は南方向を向いて立ち止まる。
「……すごい。神戸の夜景、写真では何度も見たことあるけど、本物は違う」
健太はハッと息を呑んだ。
眼下に広がる宝石のように煌く街並み。右手には赤色に輝くポートタワー。正面遠くには人工島群が見え、その一つ、神戸空港に飛行機が着陸していく様子も確認することが出来た。さらに東遠方に大阪方面の夜景も窺えた。
「ここは、私のお気に入りスポットなんです。寮のお部屋からも一応見えるけど、ここの方がずっと見晴らしが良いので」
佐代里はとても嬉しそうにそう言うや、健太の手をぎゅっと握り締めた。
「あっ、あのう……」
健太はびくりと反応した。彼の頬は瞬く間に赤みを増し、心拍数もどんどん上がっていく。
「風がすごく気持ちいいね」
「そっ、そうだね」
「健太くん、この素晴らしい夜景を眺めると、疲れも吹き飛んだでしょ？」
「まっ、まあ、確かに……」
「夜景もいいけど、昼間の景観もすごく良いよ」
「そっ、そう？」
「それじゃ、そろそろ寮へ戻ろう」
「はっ、はい」
健太と佐代里は手を繋いで並ぶようにして歩き、石段をゆっくりと降りていった。
僕にこんなにも快く接してくれた女の子は、初めてだよ。
健太は嬉しさ七割、恥ずかしさ三割といった気分だった。
＊
谷風寮ロビーに帰り着くと、
「健太ちゃん、神戸の夜景は美しかろう？」
千代さんからさっそく感想を訊かれる。
「はい。写真で見るのとはまた違って、絶景でした」
健太は満足そうな表情で答えた。
「私は健太くんとデート出来てすごく楽しかったぁっ♪」
佐代里は満面の笑みで嬉しそうに千代さんに伝える。
「デッ、デートって……」
健太の表情はやや引き攣った。
「そうかい、そうかい。ところで佐代里ちゃん、キスはしてあげたのかい？」
千代さんは囁くような声で佐代里に耳打ちする。
「あっ、忘れてたよ。ごめんね健太くん。私とデートしてくれたお礼だよ」
佐代里はそう言うと健太の側へずいっと寄り、何の躊躇いも無く健太のほっぺたに、チュッとキスをした。
柔らかい感触が一瞬、健太の頬に伝わる。
「…………あっ、あの、はっ、旗谷さん……」
健太の頬は瞬く間に熟れたいちごのごとく真っ赤になり、併せて心拍数も急上昇する。あまりに突然のことで放心状態になってしまったようだ。
「この様子じゃ健太ちゃん、女の子にキスされたのは初めてだったようだね」
千代さんはにんまり微笑む。
「私も、男の子にしたのは、健太くんが初めてかな。友子ちゃんや秋香ちゃんには何回かやったことがあるけど」
佐代里はてへりと笑う。
「おーい、健太ちゃーん」
「……えっ、あっ、なっ、何でしょうか？」
千代さんに大声で呼ばれ、健太はようやく我に帰った。
「健太ちゃんに谷風寮管理人としての適性能力を測るために、一つ重大な任務を与えるよ」
千代さんから突然告げられる。
「どういった、任務なのでしょうか？」
健太の心拍数は依然高いままだった。
「そうだねえ……これは、佐代里ちゃんから発表した方がいいかな？」
千代さんがそう言うと、
「健太くん、お勉強お助けしてね。私、勉強大の苦手なの。高校入ってからはますます成績下がっちゃって。私、この間の中間テスト数学と化学で赤点採っちゃったの」
佐代里は照れくさそうに打ち明けた。そのあと、一学期中間テストの個人成績表を自分のお部屋から持って来て健太に手渡す。そのプリントには各科目の平均点と個人の得点と偏差値、学年順位が記載されていた。
「化学が平均５６点の２７点。数Ⅱが６０の２８、数Ｂが６３の２４か。高校一年生なのに、もう数ⅡＢ習ってるんだね」
健太はちょっとした疑問を浮かべた。
「松鴬では、数学と英語については中学三年生から高校課程に入るんです。わたし達の学年で数学ⅠＡを習ってますよ」
「そういうことでしたか。中高一貫だから、進度が速いんだね」
先ほどトイレから出て来た友子の説明で、健太はすぐに納得出来た。
「そうなんだよ。私、速過ぎて授業についていけないよう」
佐代里は悲しげな表情で嘆く。
「大学受験のことを考えますと、早めに全過程を済ませるに越したことは無いと思うのですが……」
健太は意見する。佐代里は他の科目についても世界史Ａ以外は平均点を下回っていた。
「というわけで健太ちゃん、佐代里ちゃんが期末テストで赤点を回避させることが出来るように、勉強の手助けをしてやってくれないかね」
「はい。分かり、ました」
健太は引き受けるも、
（僕に、旗谷さんに勉強教えることなんて出来るのかな？）
脳裏に一抹の不安がよぎった。
「友子ちゃんは、すごく頭いいんだよ。これ見て」
佐代里は、友子の先日行われた中間テスト個人成績表も見せてくる。
「あっ、こら、佐代里さん。勝手に持ち出したらダメでしょ」
友子は優しく注意する。友子の中間テスト総合得点は、五〇〇点満点中四九七点。もちろん学年トップだ。国語が九七点で、他の四教科は全て満点だった。
「すご過ぎる……」
それを見て、健太は驚愕した。
「友子ちゃんは、私が中学の頃、九〇〇点満点の期末で取ってた点数よりも高い点取ってくるんだよ。私も友子ちゃんの天才的頭脳が欲しいよぅ」
悔しそうに嘆き、佐代里は友子の頭をなでる。
「わたしはちゃんと真面目に勉強してるもん。佐代里さんは、勉強量が全然足りてないと思うの」
「そうかなあ？ 私、一日三〇分は机に向かってるよ」
疑問を浮かべる佐代里に、
「少な過ぎ。高校生の自宅での勉強量は学年プラス三時間が基本よ」
友子は呆れ顔で再度指摘する。
「そんなに出来ないよぅ。あっ、もう十時とっくに過ぎてるよ。今日は眠いからもう寝よ。健太くん、いっしょに寝よう。私、いつも友子ちゃんと秋香ちゃんといっしょに同じ部屋で寝てるんだ。毎日が修学旅行気分ですごく楽しいよ」
「僕、それは、無理ですよ」
佐代里の要求を、健太は即、かたくなに拒んだ。
「お願い、お願い、健太くん」
「でっ、でもですね……」
「健太ちゃん、いっしょに寝てあげな」
千代さんは健太の肩をポンッと叩き、笑顔で説得する。
「でっ、ですが……」
「健太お兄さん、親睦を深めるためにも私達といっしょに寝ましょう！」
友子も強く要求してくる。
「秋香ちゃん、健太くんいっしょに寝てくれる方がいいよね？」
「……」
佐代里からの問いかけに、秋香はこくりと頷いた。
ミャーォン。
文治郎もなぜか鳴き声を上げた。
「ほらね、健太くん。友子ちゃんも秋香ちゃんもいっしょに寝たいって言ってるよ」
「…………分かり、ました」
佐代里ににこにこ顔で言われ、健太はとうとう引き受けてしまった。
「やったぁ！」
佐代里は大喜びで健太のお部屋へ駆け込み、押し入れに仕舞われてあったお布団を取り出し自分のお部屋へ運び入れる。
お布団は入口付近から一番奥の窓際に向かって一列に並べて敷いた。昨日までは川の字に敷いて、秋香を真ん中、その両隣に佐代里と友子が挟むという配置にしていたらしい。
「僕は、一番端っこで」
「ダメだよ、健太くん。健太くんはここっ！」
佐代里は強制的に、窓際から二番目の布団を指定する。
「佐代里お姉ちゃん、あたし、ここ」
「健太くんのお隣がいいんだね？」
佐代里が確認すると、秋香はこくりと頷いた。秋香は、廊下に近い方の布団を指差したのだ。
「……」
健太はどう反応すればいいのか分からなかった。
「わたし、窓際ね」
「あーん、私も窓際で健太くんのお隣がいい！」
友子の希望に、佐代里も譲らず。
「健太お兄さん、わたしと佐代里さん、どちらにお隣になって欲しいですか？」
「……えっ、えっと……」
健太は返答に窮する。
「健太くん、私だよね？」
「わたしですよね？」
佐代里と友子に腕を引っ張られる。健太は今、両手に花の状態だ。
「あの、布団を、一列に並べるのではなく、山の字に敷けば、いいのでは、ないでしょうか？ それで、僕が、下側の一の字の部分に寝れば、皆さん平等に僕の隣になるかと……」
「それはいいアイディアですね」
「健太くん、天才！」
健太の咄嗟の思いつきに友子と佐代里は大賛成した。佐代里が布団を並べ替え、事態はあっさり収まる。昨日までの配置の枕元に健太の布団を横向きにして敷くという配置だ。
（旗谷さんのお部屋、やっぱ女の子らしいな）
この部屋をよく見渡してみて、健太はそんな第一印象を抱いた。
水色のカーテン、本棚には少女マンガなどが合わせて百冊くらい並べられてある。学習机の周りにはオルゴールやビーズアクセサリー、可愛らしいぬいぐるみなどがたくさん飾られてあり、女子高生のお部屋にしては幼い雰囲気だった。
「おやすみーっ、健太くん」
「おやすみなさい、健太お兄さん」
「……」
寮生三人が布団に潜ったあとに、
「おっ、おやすみ」
健太は長い紐を引いて電気を消してあげ、自身もお布団に潜り込んだ。
それから三〇分ほどして、
「……眠れない」
健太は天井を見つめながら硬い表情で呟く。
寮生三人はもう、すやすや寝息を吐きながらぐっすりと眠っていた。
健太が眠り付けたのは、布団に入ってから一時間以上が経ってからだった。
ともあれ、健太の谷風寮管理人仮就任初日の夜は静かに更けていく。
☆
翌朝、午前六時半頃に目を覚ました健太は、まず自分のお部屋に向かい、実家から持って来た私服に着替えた。次に脱衣場へ向かい顔を洗ってから台所へ。
「おはよう、ございます。おばあちゃん」
先に起きて朝食の準備をしていた白割烹着姿の千代さんに、緊張気味に挨拶する。
千代さんは、いつも五時頃には起きるそうだ。
「おはよう健太ちゃん。昨夜はよく眠れたかい？」
「いやぁ、それほどは……その、ですね、朝起きたら、武士さんが、僕の布団に潜り込んでいて……かなり焦りました」
健太は一度あくびをしてから打ち明けた。
「ハッハッハ、あの子、一番しっかり者だけど、案外甘えん坊さんだからね。今でも一人じゃ寝られないんだよ。まだ秋ちゃんが来てない頃、佐代里ちゃんが野外活動へ行っていない時なんか、おらといっしょに寝てたんよ。まあ、これからもあるだろうけど、そのうち慣れてくるさ」
千代さんは大きく笑いながら言う。
「そうでしょうか？ 僕は不安です。あのう、おばあちゃん。僕も、何か、お手伝いしましょうか？」
「おう、やってくれるのかい。本当に健太ちゃんはいい子だねえ」
「いえいえ」
健太は謙遜した。
「そんじゃあ、これをつけてくれないかい」
千代さんは黒の割烹着を手渡す。
「分かりました」
健太はすぐに装着した。
「よう似合ってるよ」
千代さんは優しく微笑みかける。
「そうで、しょうか？」
「健太ちゃん、卵焼きは作れるかい？」
「まあ、一応は……」
健太はそう言うと、調理台に出されてあった卵をボールに割り入れ、塩、コショウをまぶし菜箸でかき混ぜる。続いてガスコンロに火を付けて四角いフライパンにサラダ油を引き、溶き卵も垂らしていく。
「なかなかいい筋をしてるね、健太ちゃん」
千代さんは並行して他のメニューも作りながら、楽しそうに観察していた。
「いえいえ。僕は高校時代、家庭科で赤点を取ったことがあるものですから」
健太はまたも謙遜する。
卵焼きは六人分完成させた。佐代里のお弁当の分も作っているからだ。中学部では給食があるため、作る必要は無いと千代さんは説明する。
二人で協力して出来上がったメニューの数々をお皿やお茶碗、お椀に盛り付け、ロビーにあるダイニングテーブルへと運ぶ。
千代さんは文治郎の朝食メニュー、鯖の缶詰も蓋を開けて床に並べた。
ミャーォ。
すると蓋を開ける音に反応したのか、すぐさま文治郎が管理人室から飛び出して来て駆け寄って来た。文治郎が夜寝る時は、千代さんと同じ管理人室にいるらしい。
食事と、お箸とスプーンも並び終えほどなくして午前七時、谷風寮での起床時刻となった。佐代里のお部屋から、ヒンカラカラカラ♪ ヒンカラカラカラ♪ と駒鳥の鳴き声な目覚まし時計の鳴り響く音が聞こえてくる。
「佐代里さん、起きてーっ！」
その音が止むと、すぐさま友子の声がこだました。
「まだ眠いよぅ。あと一分だけでも」
「ダメ、ダメ。秋香さんはもう起き上がってるよ。ほらっ！」
「あーん」
佐代里がぐずっている様子が、ロビーからも分かった。
「確かに武士さん、しっかりしていますね」
健太は感心する。それから数分のち、
「おっはよう、健太くん、お婆ちゃん」
「おはようございます。健太お兄さん、千代お婆さん」
「おはよー」
三人とも身支度を済ませて、ロビーにやって来た。
「おう、おはよう」
「おはよう、ございます」
千代さんと健太は挨拶を返す。皆は昨日と同じ配置で椅子に座った。
「あっ、あの、小野川さんは、今日は、学校お休みなのかな？」
気になったことがあり、健太は秋香に、少し緊張しながら初めて話しかけてみた。
「！！ うっ、うん。中学部の二年生は、今日はお休みなんだ」
秋香はびくっと反応した。制服姿の佐代里と友子に対し、秋香は私服姿だったのだ。
「違うでしょ、秋香さん。健太お兄さん、この子は今、不登校になっちゃってるの。一年生の二学期頃からほとんど教室へ行ってないのよ。二年生になってからは始業式の日に行ったきりで」
友子は困り顔で伝える。
「そうなんですか……」
健太は訊いてはいけない事を訊いてしまったのだという罪悪感に駆られた。
「まあまあ、友ちゃん。秋ちゃんも時たまは保健室登校してるんだし。では、おあがり」
昨日の夕食時と同じく千代さんからの食前の挨拶があり、朝食タイムが始まる。
「秋香ちゃんも何とか教室まで行けるようになれるよう努力してるよ。そういや今日の卵焼き、いつもと少し味が違うような。お婆ちゃん、お塩多めに入れた？」
佐代里はきょとんとした表情で突っ込んだ。
「今日の卵焼きは、健太ちゃんが作ってくれたのさ」
千代さんは伝える。
「あの、その、まあ、ほんの、少しだけですが……」
健太は照れてしまったのか下を俯く。
「そうなんだ！ 健太くん、お婆ちゃんに匹敵するくらいすごく美味しかったよ。また作ってね」
「健太お兄さん、ぜひともお願いします」
「はっ、はいっ」
佐代里と友子に褒められ、健太の頬の赤みはより一層増した。
「それじゃ、お婆ちゃん、健太くん、秋香ちゃん、文ちゃん、行って来まーすっ！」
「行って来ます」
佐代里と友子は午前八時頃に谷風寮を出た。ここから学校へは約一キロ、徒歩一五分ほどらしい。
「では食器洗いを始めるかね。健太ちゃんは、脱衣場に置いてある洗濯物を洗濯機に入れて回してくれないかい？」
「はい」
健太は返事をすると、足早に脱衣場へ向かっていった。
「あっ、あのう、おばあちゃん。ちょっと、困ったことが……」
しかし数十秒後、すぐに戻って来た。台所でお皿洗い真最中の千代さんに伝える。
「秋ちゃん、あとはやってくれないかい？」
「はーい」
秋香は笑顔で対応した。
こうして千代さんも脱衣場へ。
「あれ、なのですが……」
健太は洗濯籠を指し示す。
籠の中には、動物の絵柄がプリントされたものと、水玉模様のショーツが入れられてあったのだ。そして真っ白なブラジャーが二枚。さらに汗がいっぱいしみ込んだ夏用体操服上下も、一着あった。それは友子のものであることがゼッケンから分かった。
昨晩最初に風呂に入った健太の洗濯物は、一番下に埋もれてしまっていた。
「ハッハッハ、健太ちゃんも男の子だねえ。さすがに女の子の洗濯物はまずいかね」
千代さんはそう言うと、寮生三人の他、健太の分も合わせて洗濯物を両手で抱え込み、洗濯機の中へ入れた。そしてテキパキとした動作で洗剤を入れ蛇口を回し、スタートボタンを押す。
「ありがとう、ござい、ました」
健太はその手際の良さに舌を巻きながら、お礼を言った。
「こりゃ悪かったね。でもあの子達、きっと健太ちゃんに触られること気にしてないだろうから、健太ちゃんも堂々と触ればいいさ」
千代さんは笑顔で言い張る。
「いえいえ、そのようなことは絶対出来ません」
健太は照れくさそうに宣言した。
「紳士だねえ」
千代さんは再び笑う。
同じ頃。
「おはようございまーすっ、旗谷先輩、トモちゃん」
通学路を進んでいた佐代里と友子は、真津美に陽気な声で挨拶された。面長でおでこが広く、ポニーテールに束ねたしなやかな黒髪が特徴的な子だ。
「おっはよー、真津美ちゃん」
「おはよう、真津美さん」
佐代里と友子は爽やかな声で返す。真津美と通学途中で会うことはわりとよくあることなのだ。
「ねえ、昨日新しい管理人さん来たんでしょ。旗谷先輩とトモちゃんと、あとアキちゃんのとこって、すごくこぢんまりとした寮だから賑やかになったんじゃない？」
「うーん、あまり変わらないかな。楞野健太さんっていうお方なんだけど、寡黙な人なの」
「身長は？」
「一六〇センチ台半ばくらいよ」
「ワタシ一六四だから、同じくらいかぁ。男の方だからあまり高くはないのね、お歳は？」
「二七才よ」
好奇心旺盛に尋ねてくる真津美の質問に、友子は淡々と答えていく。
「ずいぶん若い人なのね。寡黙ってことは、肉食系か草食系かでいったら、やっぱ草食系になるのかな？」
「うーん、どうなんだろう？ ……どちらにも属しない、無職系かなあ。本人もそうおっしゃっていたので」
この質問には友子は眉間に皺を寄せ、ちょっぴり自信無さそうに答えた。
「無色ぅ！！ なんか純粋な人っぽい」
真津美は目をきらきら輝かせた。
「当たってるよ。健太くんはとても純粋な人だよ」
佐代里はにこにこ顔で言う。
「お会いしたいなぁ」
真津美は二人のお顔を交互に見つめ、強く要求してくる。
「もちろんいいよ。ぜひ会いに来てね」
「わたしはべつにいいんだけど……健太お兄さんがどう思われるか」
快く承諾した佐代里に対し、友子は少し躊躇いがあった。
「やったあ！ おめかししていこうかなぁ」
それをよそに真津美は大喜びする。行く気満々な様子だ。
☆
八時五〇分頃、谷風寮。
脱衣場の洗濯機からピー、ピー、ピーと、終了を知らせるアラームが鳴り響く。
「健太ちゃん、これをハンガーにかけてくれないかい？」
千代さんは蓋を開けると寮生三人の下着類を中から取り出し、健太の目の前にかざす。
「おっ、おばあちゃん、それは、ですね……」
健太は咄嗟にそれから目を背けた。
「本当に純粋な子だねぇ。でも健太ちゃん、これが触れないようじゃ、ここの寮の管理人は務まらないよ。気にせず触ってごらんよ」
千代さんは健太の目の前に近づけ、笑顔で勧めてくる。
「わっ、分かり、ました」
応じなければ試用期間中にでも解雇されるかもしれない、と危惧した健太は強い罪悪感に駆られながらも、手に掴んだ。
「――っ！」
瞬間、彼の心拍数は急激に上がった。ここの仮管理人になるまでずっと、女の子とは無縁の人生を歩んで来た健太にとって刺激がかなり強過ぎたようである。
「顔、赤くなってるね」
千代さんは笑顔のまま指摘する。
「そりゃ、なりますって」
健太は機敏な動作でそれらをハンガーに吊るしていった。
その間に千代さんは寮生三人の靴下など他の洗濯物、自分の分と健太の分をテキパキと吊るし終えていた。
このあと裏庭にある物干し竿に掛けていく。もちろん秋香と千代さんも手伝ってくれた。
「今日はいい天気だねぇ」
千代さんは澄み渡る青空を見上げながら柔和な表情で呟く。
「そっ、そうですね。それに、けっこう、暑いです」
健太は緊張気味に反応した。
「あっ！ そろそろ始まる時間だ」
秋香はスカートポケットからスマホを取り出すや否やそう呟いて、裏庭からロビーへ駆け寄る。ソファーに座り込むと、ローテーブル上に置かれてあったリモコンを手に取りテレビのスイッチを入れ、チャンネルを合わせた。
テレビ画面左上には、８：５９という表示。何かの番組のＥＤが流れている最中だった。それが終わり九時ちょうどになると、今度は乳幼児向けの教育系テレビ番組が始まった。
秋香は瞬きもほとんどせず、熱心に見入る。
「あのう、小野川さんは、こういう番組が好きなのでしょうか？」
「うん！ 大好き♪」
ロビーへ戻って来た健太が話しかけると、秋香はえくぼ交じりの笑みを浮かべ、嬉しそうに答えてくれた。
「そっか。僕はこういう系の番組見たの、二〇年振りくらいかも」
健太もソファーに腰掛け、視聴してみることにした。
（何だかなぁ……）
十五分ほどの番組を見終えて、健太は何とも言えない心境に陥る。
先ほどやっていた番組は、『羊飼いと狼』という有名なイソップ寓話のアニメ版だった。「狼が来たぞーっ」と嘘をついて周囲の大人を惑わせた羊飼いの少年のお話で、物語の最後に本当に狼が襲ってくるが大人に信じてもらえず、少年（羊とされている場合もある）はオオカミに食べられてしまう。誰もが幼い頃、一度は聞かせてもらったことがあるであろう。嘘をついていると、いつかは信じてもらえなくなるよ。だからいつも正直に生きることが大切ですよ。という教訓を子供達に伝えるのがこの物語の趣旨だ。
ところが就職活動においては、正直者がバカを見ることが多いのだ。
健太は〝嘘つきは内定の始まり〟といってもあながち間違いではないとも考えている。
（来週のお話は、『金の斧』なんだよな……面接では本音をバカ正直に答えるやつより、バレないように上手く嘘をついて、面接官に気に入られるよう自分を偽ることが出来るやつの方があっさり内定を取れるからな。テニスサークルの部長を務めていて部員達を優勝に導きましたとか、飲み会の幹事をやっていたとか、アルバイト先の店の売り上げアップに貢献したとか、御社が第一志望ですっていうのは嘘の典型例だよ。もちろん本当のやつもいるけど、それは少数だろう。そういやドラ○ンボールの昔の映画で、○飯を塾に入れるための父兄面接の待ち時間に、本当は強いやつと戦うことが趣味なのに、チ○から読書とスポーツだって答えろって命令された悟○が「面接ってのは嘘つき大会なのかよ」って不満を呟いていたシーンがあったような覚えが……確かにこう答えた方が当然、面接官に好印象を与えられるからなぁ）
物思いに耽っていたところ、
「ねーえ、無職お兄ちゃん」
「！！ なっ、何かな？」
いきなり秋香に話しかけられ、健太は少し動揺した。
「あたしのお部屋に来て」
秋香は服をぐいっと引っ張ってくる。健太は招かれるままに、秋香のお部屋へ足を踏み入れた。
出入口扉側から見て一番奥、窓際に設置されてある学習机の上はきちんと整理されており、教科書やプリント類、ノートはきれいに並べられていた。オルゴールやビーズアクセサリー。クマやウサギ、リスといった可愛らしい動物のぬいぐるみもいくつか飾られてあり、カーテンはピンク系の水玉模様。女の子のお部屋らしさが佐代里のお部屋以上に感じられた。
幅七〇センチ奥行き三〇センチ、高さ一．五メートルほどある本棚には幼稚園児から小学生向けの少女漫画誌や少女コミック、児童図書、絵本、アニメ雑誌、ライトノベルなどが合わせて二百冊以上は並べられてある。普通の女子中学生が好みそうなティーン向けファッション誌は一つも見当たらなかった。
「小野川さんは、読書が、好きなんだね？」
健太はお部屋を見渡しながら尋ねてみた。
「うん。読むのも大好きだけど……じつはあたし、趣味で小説を書いてるんだ。あたし、ちっちゃい頃から物語を作るのが大好きで」
秋香は俯き加減で、照れくさそうに打ち明けた。
「そっ、そうだったんだ」
健太は意外に思ったようだ。
「おかしいかな？」
「いやいや、そんなことないよ。じっ、じつは、僕も……」
「えっ！？ 無職お兄ちゃんも小説書いてるの？」
秋香は目を大きく見開いた。
「うっ、うん。ちょっと、待っててね」
そう言うと健太は、ここのお隣にある自分のお部屋へ向かっていった。
十五秒ほどで戻ってくる。
「これは、僕が、今までに集めて来た物だよ」
そして秋香にある物を見せてあげた。
それは、一部の文学新人賞に応募すると送られてくる、選評シートであった。
「わーっ、すごーい。たくさんあるぅ。編集さんや下読みさんからのコメントが書かれてあるんでしょ。あたしもいっぱい欲しいなぁ」
秋香は笑みを浮かべ、興奮気味に叫ぶ。
「いやぁ、これをたくさん貰うということは……」
健太は気まずそうに呟いた。
選評シートも不採用通知の一種ではある。だが、素っ気ない定型文で書かれた企業等からのそれとは違い、書かれてある文が一人一人異なる。文字一字一字にありがたみが感じられるのだ。また、選評シートはどこからも雇ってもらえず、社会から冷たくあしらわれ続けて来た健太にとって唯一無二の親友であり、社会との接点であり、心の支えであり、かけがえのない宝物だった。
「なんか、酷評ばかりだね。あたしもこんな風に書かれるのかなぁ？」
秋香はちょっぴり落ち込んでしまった。
「まあ、いい作品を書けば、褒め言葉も多くなると思うよ」
健太はやや罰の悪そうな表情で言う。
「あたしの書いた小説、ちょっとだけ見せてあげるね」
秋香は満面の笑みを浮かべながら、ノートパソコンを立ち上げた。
「これ、先月の童話賞に投稿したやつ。エビさんと、天敵のタコさんが、仲良くなっていくお話なんだけど……」
マイドキュメントに保存されていたテキストデータを開き、照れくさそうに伝えた。
「素敵なお話だね。とても面白いよ」
健太は全ページ目を通してみて、率直な感想を述べる。
「ほっ、本当？ お世辞じゃない？」
秋香は上目遣いで尋ねてくる。
「うん、僕も時たま、童話賞に応募してるけど、こんなにいい作品は書けないから。小野川さんはすごい文才があるよ」
「ありがとう、無職お兄ちゃん。あたしが小説書いてること、褒めてくれて嬉しい。学校ではバカにしてくる子も多かったから。無職お兄ちゃんは、あたしの書いた小説を褒めてくれた小学校の時の先生に似てるの」
秋香はそう打ち明け、健太の背中に抱きついた。
「そっ、そうなんだ」
健太はちょっぴり焦る。
「あたし、絵も描いてるよ」
秋香は続けて学習机の本棚からＢ４サイズのスケッチブックを取り出し、中身を見せてくれた。
ライオン、ゾウ、キリン、ウサギ、リスといった動物の絵を中心に、メルヘンチックに描かれていた。
「とっても上手だよ」
健太はじっくり見て褒めてあげる。
「ありがとう、無職お兄ちゃん」
秋香は急に照れくさくなったのか、スケッチブックをぱたりと閉じた。
「あたし、今度はラノベの新人賞に初めて応募するつもりなんだ。長編小説に初挑戦するの。まだ四百字詰め原稿用紙換算で三百枚以上も書ける自信は無いけどね。無職お兄ちゃん、何かいいアイディアない？」
続けてやや興奮気味に問いかける。
「うーん、ラノベにおいて学園物やファンタジー物、退魔物、ＶＲＭＭＯ物、異世界召喚物はありふれ過ぎてるし、吸血鬼、ゾンビ、妖精、亜人獣人、魔王魔女、生徒会、勇者、執事、メイド、アンドロイド、異星人美少女キャラなんかが登場するというのもまた、使い古されているかと……主人公の設定も、平凡な男子中高生で、ツンデレ風の幼馴染ヒロインと、やたらからんでくる男友達がいるっていうのは、定番過ぎると思うし」
「確かにそうだよね。そういう設定は使わない方が無難だよね」
「いやぁ、そういうのがダメってことはないと思うけど、既存の作品に負けないほど、相当面白くしないといけないと思います。僕は、独自性を強く出すことが重要だと思うな。今までのラノベには見られなかったような、新しいタイプの作品を生み出すことが、新人賞では求められているのではないかと……主人公に関しても、中高生向けだからといって、中高生を主人公にしなきゃいけないっていう、決まりはないと思うよ。まあ、その場合も、読者が感情移入しやすい、共感を持てる、憧れを抱けるキャラクター像であることが、大切だろうけど」
健太は自信無さそうに長々とアドバイスしてあげた。
「つまり、斬新なアイディアを出して、今までに無いようなタイプの作品を書くことが、受賞への近道なんだね。九月末締切りのやつを目指して頑張るぞーっ！」
秋香は投稿用次回作に向けて考えを廻らせる。
「では、邪魔にならないように、僕はこれで……」
「見ててもいいんだけど、気を遣ってくれてありがとう」
「いやいや、どういたしまして」
健太は静かに秋香の部屋から出て行き、自分のお部屋へ。
（僕も中高生の頃、遅くても大学生の頃から執筆投稿活動を始めていれば良かったな。そうしていれば今頃、もっと文章力が身に付いていたと思う。就職活動で不採用通知をたくさん受け取って来てやり切れない思いになって、ある日突然思い立って、執筆活動に目覚めて新人賞へ毎月のように投稿し始めたんだよな、僕。何一つとして褒められるべき点がない自分にとっての免罪符というか。自分を高く評価してくれる居場所を見つけるためというか……僕が学生だった頃は、まさか自分が文学新人賞に投稿するようになるなんて、全く思いもしなかったよ。ラノベを初めて読んだのも、大学を卒業してからだし）
ちょっぴり後悔の念を抱きながら思いを巡らしたのだった。
正午過ぎ。
「秋ちゃん、健太ちゃん。お昼ご飯出来たよ。食べに来な」
一階から千代さんの声がかかると、自室にいた健太と秋香は同じようなタイミングでロビーへ降りていく。
ダイニングテーブルに、親子丼が三皿並べられていた。
向かい合うようにして座った健太と秋香、
「ではおあがり」
「いただきまーすっ！」
「いただき、ます」
千代さんからの合図で箸を手に取り、食事を進める。
「あっ、小野川さん。ほっぺたに、ご飯粒が」
「あっ、いっけない」
健太に指摘されると秋香は照れくさそうに呟き、自分の手で取った。
「秋ちゃん、いつも以上にいい笑顔だね。健太ちゃんのこと、好きかい？」
「うん！ 大好きぃーっ！」
千代さんの問いかけに、秋香はとても嬉しそうに答えた。
「うぐっ……ケホッ、ケホッ」
健太はむせてしまったようだ。
「無職お兄ちゃん、大丈夫？」
秋香は健太のお顔を覗き込んで、心配そうに尋ねる。
「だっ、大丈夫です」
健太は苦しそうに答える。
「ハッハッハ」
千代さんは微笑ましく健太を眺めた。
ちょうどその時。
ピロピロピロリン♪ ピロピロピロリン♪
と、秋香の所有するスマホの着信音が鳴り響いた。
「鈴菜からメールだ」
件名を見て、秋香は嬉しそうに叫ぶ。
「お友達？」
健太は尋ねてみる。
「うん！」
「秋ちゃんと、中学入った頃から仲の良い子だよ」
千代さんは加えて説明してくれた。
秋香はわくわくしながらメールの中身を開く。
《やっほー、アキちゃん(^_^) 元気？ 今日、調理実習でカスタードプリン作ったよ♪》
画像も添付されていた。
《元気だよ、スズナ(*^_^*)》
秋香はすぐに返信した。
鈴菜は毎日のように、秋香に学校であった出来事とかを伝えてくれるらしい。
《プリントけっこう溜まってるよ。渡したいから、今日遊びに行っていい？ 新管理人さんにもお会いしたいし》
十数秒後、その子からまたメールが届く。
《もちろんオッケー(*^。^*)》
またすぐに返信した。
それからさらに数分後、
ルルルルルルルルゥ♪ ルルルルルルルルゥ♪
今度はロビーの壁際に設置されてある固定電話の着信音が鳴り響く。
「秋ちゃん、先生からだよ」
ディスプレイに表示された電話番号を見て、千代さんは伝える。
「はーい」
秋香は嬉しそうに駆け寄り、受話器を手に取った。
「もしもし」
『あっ、小野川さん。先生よ、元気にしてる？』
「はい。とっても元気です」
『なんだかいつもよりいいお声してるね。そういえば確か昨日、新しい管理人さんが来たんでしょ？』
「はい。すごくいい人でした」
『それはよかったわね。先生もそのお方にご挨拶したいから、今日お伺いしてもいいかな？』
「はい。もちろんいいですよ」
『楽しみにしてるわ。じゃあね、小野川さん』
電話の相手は秋香の担任、上之原先生だった。
「無職お兄ちゃん、今日の夕方、鈴菜と担任の上之原先生が来るって」
受話器を置いたあと、秋香は健太に向かってこう伝えた。
「えっ！？」
健太はびくりと反応した。
「健太ちゃん、やっぱ人と会うのは苦手かね？」
「そっ、そりゃあもう。なんか気まずいなあ。スーツに着替えたほうが良さそうだ」
「そんな堅苦しい格好する必要は無いさ」
千代さんはにこにこしながらアドバイスした。
「普段着のままの無職お兄ちゃんでも十分格好いいよ」
「そっ、そうですかね……」
秋香に称えられ、健太は難しい表情を浮かべた。
□
昼食後、健太は千代さんに呼ばれ談話室へ。ここも和室だった。十畳の広さで、大きめの漆塗りローテーブルと、それを囲むように座布団が八つ置かれてある。テーブルの上には、比較的新しいノートパソコンが一台。
「健太ちゃん、パソコンに詳しいみたいだね。大学でプログラミング演習とか、データベース基礎論とかいうのを履修しているし」
「いえいえ。僕、それらの講義ほとんど理解出来ませんでしたから」
「ハッハッハ、健太ちゃんったら控えめだね、良の評価を取ってるのに。健太ちゃん、パソコンで家計簿を付けてくれないかい？ 今までずっと手書きでやって来たけど、パソコンの方が便利だと思って、家計簿ソフトをダウンロードしてたんだよ。先月分と今月分だけでいいから、写してくれないかね」
千代さんは機嫌良さそうに、これまで使っていた家計簿手帳を健太に手渡す。
「それくらいなら、一応、出来ると思います」
健太は自信なさげに答え、パソコン前の座布団に腰掛けた。
起動中のソフト表示画面に、家計簿手帳の数値を見ながら水道光熱費や日用品費、通信費、交際費、食費、寮生から徴収した家賃などの収入支出額を慎重に入力していく。最近はずっと黒字が続いている。提携寮にしたことで、学校等から助成金や寄付金などが支給されるようになったためだ。谷風寮では、寮生が一人でも入寮してくれれば黒字となり運営は十分成り立つらしい。
「おう、ばっちりじゃないか。やるねえ健太ちゃん」
千代さんはとても喜んでいた。
「いえいえ、それほどでも。僕、簿記三級ですら三回連続で落ちて、結局取得を諦めてしまったので」
健太は謙遜の態度を示した。
「こぢんまりとした寮だからお金もあまり動かないし、簿記の知識は特に必要ないさ。家計簿の記入は、これから健太ちゃんに任せるよ」
「えっ！ いいんですか？ 僕なんかがこのような、寮にとって非常に重要な業務に携わってしまって」
「もちろんさ。健太ちゃんはとても優秀な子なんだから、もっと自分に自信を持ちなよ。次は裏庭の草むしりをしてくれないかね？」
「はい、分かりました」
千代さんから次の作業を頼まれると、健太は快く引き受ける。彼は仕事を与えてもらえることのありがたみを、今までどこからも雇ってもらえなかったこともあって人一倍強く感じているのだ。
健太は台所の戸棚から軍手とゴミ袋を取り出し、裏庭へと向かった。
「ん？」
雑草を抜いている最中、健太はぴくりと反応した。木の陰から、ガサゴソガサゴソと物音がして来たのだ。
（どっ、泥棒？）
健太はびくびくしながら、林へと恐る恐る歩み寄る。
そこにいたのは、全身がブラウンヘヤーに覆われ、四本足、扁平なお鼻をしていた野生動物。
「イッ、イノシシ！？」
正体が分かると健太は仰天した。
イノシシは健太の声に反応したのか、ピクッと反応し健太の方を向いた。
そしてトコトコ追いかけて来たのだ。
「うわぁっ！」
健太は時折後ろを振り返りながら、必死に逃げ惑う。
イノシシはフゥフゥ鼻息を荒げながら、健太を追いかける。
健太は大浴場を通り抜け、廊下を駆け抜けロビーの方へ。イノシシもあとに続く。
「おや、健太ちゃん」
ロビーの掃き掃除をしていた千代さんは、健太の方を振り向いた。
「おばあちゃん、イッ、イノシシが……」
健太は逃げ惑いながらすぐ後ろにいるイノシシを手で指し示す。
「おやま、また遊びに来たのかい」
千代さんは爽やかな笑顔だった。
「あっ、あの、おばあちゃん。なんとかして、いただけないでしょうか？」
健太とイノシシはダイニングテーブルの周りを何週も走る。
「おらに任せな」
千代さんは冷静に、竹箒をイノシシのお鼻目掛けて突きつけた。
イノシシはビクッと反応し、ピタッと動きを止めた。
「山へ帰りな」
千代さんがそう命令すると、イノシシは理解出来たのかくるりとターンし、大人しくロビーから出て行き裏庭の方へ向かっていった。
「ハァハァハァ……あっ、ありがとう、ござい、ました。まさかイノシシが、出るとは」
健太は息を切らす。彼の目は点になっていた。
「ここではイノシシなんて日常茶飯事さ」
千代さんは豪快に笑いながら言う。
「イノシシにはエサをあげちゃダメみたいだよ。あたし、あげたくなっちゃうけどな」
秋香は残念そうに呟く。
六甲山地の麓にあるこの場所では、イノシシの出没は珍しくないらしい。
健太は、次に任された風呂掃除と花の水遣りも快くこなしていく。
全ての作業を終えた頃には、午後四時を少し回っていた。
「健太ちゃん、すまなかったねぇ。重労働させ過ぎてしまって」
「いえいえ、とても充実した作業でした」
申し訳なさそうにしていた千代さんに、健太は満足げな表情で伝え、ソファーに腰掛ける。
その時、秋香もソファーに腰掛けていて、教育系の子ども向けテレビ番組を楽しそうに眺めていた。
千代さんからおやつに振る舞ってもらった高級芋羊羹を、健太は秋香といっしょに味わいながらしばしくつろいでいると、ピンポーン♪ と玄関チャイムが鳴らされた。
「はいはい」
千代さんが玄関扉を開け、対応する。
「こんばんは」
「小野川さん。来たわよ」
二人の来客に、
「おやおや、いらっしゃい」
千代さんはぺこりとお辞儀する。
「いらっしゃーい！」
秋香はすぐさま立ち上がり、嬉しそうに玄関へ駆け寄る。
来客は、上之原先生と鈴菜であった。
「健太ちゃん、こちらが上之原先生だ。もう一人がお友達の鈴菜ちゃん」
「ワタクシ、二年三組担任の上之原祥子と申します。はじめまして」
「はじめまして、アタシ、二星鈴菜です」
上之原先生と鈴菜は健太の方を向いて、ぺこりとお辞儀した。
「はじめ、まして。僕、この度、この谷風寮の、新しい管理人を勤めさせていただくことに、なりました。楞野健太と、申し、ます」
健太は舌を噛みそうになりながら挨拶し、深々と頭を下げた。
「かなり若いお方で、とても誠実そうなお方ですね」
上之原先生は健太のことを褒めてくれる。四〇歳くらいの女性。小顔でぱっちりした瞳、濡れ羽色に美しく輝く髪をフリルボブにしており、とてもお淑やかそうな感じのお方であった。
「いえいえ、そんなことは……」
健太はいつもの癖で謙遜してしまう。
「このお方が新しい管理人さんかぁ」
鈴菜は健太のお顔をまじまじと見つめる。鈴菜は秋香より五センチほど背が高く、丸っこいお顔をしていて、後ろ髪はピンクのシニヨンネットで蕪のような丸い形にまとめられていた。
「あっ、どっ、どうも」
健太は軽く一礼する。
「文豪っぽさを感じます！」
鈴菜は興奮気味に突っ込む。
「あっ、そっ、その」
「そう思うでしょ？ 鈴菜。無職お兄ちゃんは、あたしや鈴菜と同じで小説書いてるもん」
秋香は嬉しそうに伝える。
「そうなんですか！ 趣味が合いますね」
「いやぁ、僕、全然結果は出せてないですし」
「アタシも同じですよ。小学三年生の頃から童話賞や児童文学賞を中心に投稿しているんですけど、一次選考すら通ったことがなくて」
鈴菜は屈託ない笑顔でしゃべる。
（かわいい）
と、健太は思った。鈴菜から感じられる初々しさに惚れてしまったのだ。
「文筆活動は素晴らしい趣味ですね。ワタクシも何か書いてみようかしら。ところで小野川さん、課題はちゃんと仕上げてるかな？」
「はい。当然出来てます」
上之原先生からの質問に、秋香は笑顔でそう答えると一旦自分の部屋へ向かい、言われた物を取りに行った。
「宿題を提出させているんですね」
健太はちょっぴり感心していた。
「はい。公立校とは違い、中学でも退学処分となってしまいますので」
上之原先生は不登校の秋香のために、各教科の問題集や課題プリントを提出させているとのこと。そのため秋香の学力は特に問題ないらしい。技術・家庭科、美術、音楽といった副教科の課題もさせており、定期テストは保健室で受けさせているとのことだった。
「はい、先生。どうぞ」
秋香は戻ってくると、上之原先生に言われた提出物を手渡す。
「ありがとう。小野川さん、一時限だけでもいいから、出席してくれたら嬉しいな」
「教室内には、入りたくないです」
上之原先生がそう伝えると、秋香は暗い表情を浮かべてしまった。
「そっか。ごめんね。それじゃ、先生はそろそろお暇致するね」
上之原先生はちょっぴり寂しそうに挨拶して帰っていく。
鈴菜はこのあと二十分ほど、ロビーで秋香といろいろおしゃべりしてから帰ったのであった。
それからさらに一時間ほどして、
「健太お兄さん、ただいま」
「健太兄さん、はじめましてーっ。ワタシ、トモちゃんの親友の、安福真津美でーす」
友子が、真津美を連れて帰って来た。
「あっ、どっ、どうも」
元気よく挨拶され、健太はまたも緊張気味になった。
「おう！ 健太兄さん、芥川龍之介さんを少し格好悪くしたような風貌をしていますね」
真津美は目をきらきら輝かせながら健太のお顔を見つめる。
「あっ、そ、その」
「真津美さん、失礼なことは言っちゃダメよ」
友子は軽く注意する。
「分かってまーす♪ 旗谷先輩やトモちゃんの言ってた通り、すごくいい人そうですね。あのう、健太兄さん、似顔絵描いてもよろしいですか？」
真津美は通学鞄からスケッチブックを取り出し、お願いする。
「べつに、かまわないですけど……」
「やった！」
健太が戸惑いつつも承諾すると真津美は大喜びし、４Ｂ鉛筆も取り出した。スケッチブックを開き、４Ｂ鉛筆を走らせる。
三〇秒ほどのち、
「はい、完成しました。どうぞ」
真津美は描いていたページをビリッと千切り、健太に手渡した。
「えっ、もう出来たの！？ しかもかなり上手い」
健太は自分の似顔絵を見て、驚き顔になった。
「真津美さんは、美術部に入ってるの」
「あっ、どうりで」
「健太兄さん、ありがとうございました。それでは健太兄さん。またお会いしましょう」
真津美は満面の笑顔でお礼を言って、ここをあとにした。
「明るい子だね」
健太は素の表情でコメントする。
「休み時間中はけっこううるさいよ、あの子」
友子は苦笑いしながら伝えた。
それから少し時間が流れ、午後六時ちょっと過ぎ。
「ただいまぁー。南京町でゴマ団子とシューマイ買って来たよー」
佐代里が帰ってくる。部活動には入っていないが帰りに三宮や元町へ寄ってお買い物をしてくることもたまにあり、その時はいつもこのくらいの時間に帰ってくるらしい。
寮生の三人が帰宅したところで、千代さんは夕飯を作り始める。
佐代里が買って来た食材もダイニングテーブルに並べていった。
こうして今日も夕食の団欒が始まる。
☆
夜九時頃。
「健太くぅん、明日までに提出の宿題がいっぱいあるの。手伝ってぇー」
佐代里がげんなりとした表情を浮かべながら健太のお部屋へ押し入って来て、こんな要求をしてくる。
「それは、かまわないけど」
健太は快く引き受けた。
「私、数学の問題全然分からなくて。２７ページの問い六から問い八までが宿題なの」
佐代里は数学ⅡＢの問題集の該当箇所付近を指で押さえる。
（それほど難しい問題ではないな）
健太はそこを眺めてみて、出来ると感じた。
数学Ⅱの、図形と方程式に関する問題であった。
健太はシャープペンシルを手に取ると、佐代里の数学用ノートに問題をすらすらと解いていく。大学でも数学を深く学んで来た健太にとって、高校数学の基礎レベルの問題を解くことはた易いことであった。
「すごーい。健太くんは〝筆記の達人さん〟だね」
「いやぁ、べつにそんなことは……」
「次はこれ、数Ｂの小テスト、間違えた問題を全部直して提出になってるの。健太くん、私二問しか合ってないから大変だよぅ」
続いて佐代里はそのプリントと数Ｂ用ノートを取り出し、健太に手渡す。
小テストは一問一点の十点満点だった。分野は数列に関するものだ。
佐代里の取得した点数は、わずか二点。
（これは、さっきよりも基礎的で簡単だな）
健太は、佐代里の使っている数Ｂ用ノートにすらすらと解答を記述していく。
「あのう、健太お兄さん、あまり佐代里さんを甘やかさない方が……」
友子もお部屋に入って来て、口を挟んだ。
「それも、そうですね」
健太はハッと気付き、手の動きがぴたりと止まる。
「あぁーん、友子ちゃん、余計なこと言わないでぇ。健太くぅん、お願ぁーい」
「分かり、ました」
佐代里にせがまれ、心優しき健太は断り切れず問題の続きを解いていく。
「もう、健太お兄さんったら」
その様子を目にした友子は困惑顔。
「ありがとう健太くん。助かったよ」
数学の宿題を完成させたのを確認すると佐代里は礼を言って、健太の手を握り締める。
「いやぁ、これくらいは……」
健太の頬は少し赤く染まった。
「佐代里さん、数学が出来ないと本当に困るよ」
友子は忠告する。
「大丈夫だよ。私、二年生から文系クラスに進むし、大学は受験で数学使わない文系学部行くもん」
佐代里はのほほんとした表情で主張した。
「それでも、数学ⅡＢまでは、しっかりと学んでおいた方がいいと僕は思います。集合や数列、確率、順列と組み合わせなどは、就職筆記試験で使われるＳＰＩや、数的推理にわりと多く出題されているので」
「健太くんがそう言うなら……私、数学も頑張る！」
「健太お兄さんのご意見は説得力がありますね」
友子は感心する。
「いえ、僕、ごく普通のことを言ったと思うのですが……」
健太は照れくささからか少し俯き加減になった。
「ねえ、健太くん、次は古文の宿題やって。徒然草を現代語訳にするの」
佐代里は国語総合の教科書と、古文用のノートをそんな健太の目の前にかざした。
「こらこら佐代里さん」
友子は笑顔で注意する。
「古文は、ちょっと……僕、国語は苦手科目でして。マーク模試ですら、いつも二〇〇点満点中五〇点くらいしか取れてなかったので。古文漢文に至っては記号のまぐれ当たりを狙っていたものですから。僕も高校時代、こういった宿題が出た時は、進●ゼミに付いている教材を、自分で考えずに丸写していたものでした」
佐代里のこの要求には、健太は表情を曇らせた。
「あーん、困ったよぅー」
「申し訳ございません。お役に立て無くて」
「健太お兄さん、謝る必要は無いですよ。佐代里さんがご迷惑お掛けしてすみません。わたしがちゃんとやらせますから」
「わぁーん、健太くぅーん」
佐代里は友子に腕を引っ張られ、友子のお部屋へと連れて行かれた。
それから一時間ほどのち、
「やっと解放されたよう。なんとか出来てよかった。健太くん、いっしょに寝よう」
佐代里はくたびれた様子で友子のお部屋から出て来て、友子といっしょに自分のお部屋へ。昨日と同じ配置で四枚のお布団を敷いた。
「眠い、眠い」
ほどなくして秋香がやって来て、お布団に潜り込んだ。
「友子ちゃんは、まだ寝ないの？」
「わたしはまだ、やることがあるので」
「じゃ、おやすみ友子ちゃん」
「おやすみ、友子お姉ちゃん」
「おやすみなさーい」
友子は笑顔でそう言って、自分のお部屋へ向かう。その前に、
「健太お兄さん、ちょっとだけわたしとお付き合いしてくれませんか？」
健太のお部屋へ立ち寄った。
「いいけど」
健太は快く引き受けてあげる。彼が友子のお部屋へ足を踏み入れたのは今回が初めてだ。
学習机の上はきちんと片付いていて、その本立てには動物・昆虫・恐竜・乗り物・天体・植物などの図鑑や学習参考書、教養系の読み物が多数並べられてある。智陽が学業優秀な理由が頷けた。コーヒーの木やサボテンなどのミニ観葉植物も窓際にいくつか飾られてあり、中央付近にある小さなローテーブル上にはテレビゲーム機が置かれてあり、二四インチ小型液晶テレビもそれと向かい合うように配置されていた。
友子はテレビ下にある収納ケースを引き出す。中にはゲームソフトが五〇本くらい詰められていた。テレビゲーム機用と携帯型ゲーム機用両方あり、ＲＰＧ、アクション、音ゲー、学習用、パズルなどなど様々なジャンルが揃えられてあった。
「こちらへどうぞ」
友子に招かれ、健太はテーブル横に敷かれてある座布団に腰掛ける。
「武士さんは、ゲームが好きなんだね」
「はい。特にアクションとＲＰＧが大好きです。千代お婆さんも時たまテレビゲームをプレイされますよ」
「へぇ。意外だ。あのお齢で」
健太は少し驚いたようだ。
「ボケ防止に最適だからだっておっしゃられてたよ。健太お兄さん、これ、いっしょにやりましょう。先週発売されたばかりのやつなんです」
友子が取り出したゲームソフトのジャンルはアクションだった。テレビゲーム機にセットし、電源を入れる。
「いいけど」
健太はあまり乗り気ではなかったが引き受けてあげ、コントローラを握る。
「難しいな」
４‐４面の半分くらい進んだ所で落とし穴に落ち、ミスしてしまった。
「わたしもこの面、全然クリア出来ないんですよ。でもそれが魅力的です」
このゲームを三〇分ほど楽しんだ後、友子は別のソフトに取り替えた。
セーブデータを選択すると、宿の画面が表示された。
「これは、ＲＰＧだね」
「はい。健太お兄さん、ＲＰＧは面白いですよね？ 村人達と会話し、旅のヒントを得て進めていくのが魅力的なんです。頭を使いますし」
「そっ、そうだね。就職活動も、ＲＰＧみたいなものだよ。『内定通知』という伝説の宝を求めて冒険の旅に出る、《スーツと履歴書のファンタジー系ＲＰＧ》という感じかな」
健太は緊張気味に話す。
「剣と魔法という、ファンタジー世界においてありきたり過ぎる物は一切出てこない斬新かつ異色な設定ですね」
「モンスターは、面接官になるな。そしてお城イコール会社」
「アハハ、言えてますね。面接官といえば、健太お兄さんは、面接が苦手なんですよね？」
友子は唐突に尋ねる。
「はい。それはもう」
健太は暗い表情で打ち明けた。
「わたしも、面接はすごく苦手なんですよ。中学入試の時、極度の緊張で頭の中が真っ白になっちゃって、訊かれたことにほとんど何も答えられなくて、帰りに泣いちゃったよ。配点比重が低かったのでなんとか受かりましたけど」
「中学入試でも面接が課されるんだね……よく考えたら、推薦やＡＯで、大学入試までに面接を経験して来た人もけっこう多いんだよな。幼稚園受験の時から面接を受けてる子もいるし。僕は一般入試しか受けたことがないので、就職活動の時が初めての面接でした」
「わたしも大学は一般入試で受けるつもりですよ。面接は絶対避けたいです。あとわたし、体育も大の苦手なんです」
「それは僕も同じです。通知表、中学時代は５段階の２、高校時代は１０段階の３か４しか取ったことがありませんから。大学でも必修の健康スポーツ科目について、演習は優だったのですが、実習はぎりぎりの可でしたし」
「わたしも、期末の保体のペーパーテストではいつも満点近く取ってますけど、実技はどうしてもダメなんです。気が合いますね」
友子はにっこり微笑む。
「そっ、そうだね」
健太は少しだけ照れてしまった。
「佐代里さんと秋香さんも体育苦手みたいですよ。その秋香さんのことなんだけど、わたし、学校行ってないこと、すごく心配で。小学校の時にいじめられて、皆と同じ中学に行きたくないから、私立の松鴬を受験したってわたしや佐代里さん、千代お婆さんに泣きながら話してくれたの。けど秋香さん、そこでもやっぱりクラスに馴染めなかったみたいで、不登校になってしまって」
友子は困り顔で話題を切り替えた。
「中学生くらいの年頃の人間関係は複雑ですからね。その、小中高大通じて、不登校経験全く無しで過ごしたところで、就職する際全く評価してもらえないので……その、学校なんてとどのつまり、行っても行かなくても、長い目で見ればそう大差は、ないのではないかと思います。なので、まあ、行きたくなければ、無理して学校なんか行く必要は、ないんじゃ、ないかな」
健太は緊張しているのか時々言葉を詰まらせながら意見を述べる。
「でも、やっぱり行かないよりは、行った方が絶対いいと思うの。月に一、二回程度、二、三時限目の時間帯に保健室に登校して、ちょっとだけ過ごしてるみたいだけど、やっぱり教室で皆といっしょに授業を受けて、学校行事に参加してもらいたいなって思うの」
「確かに、おっしゃる通りです。学校行事はその時しか体験出来ませんから。まあ、でも、二星鈴菜さんという、仲の良いお友達もいるようですし、あまり心配することは無いと思います。学校の課題もきちんと仕上げているみたいですし。その、保健室へ登校する回数を、少しずつ増やしていくなどして、やがて、教室へ入れるようになれれば、いいのでは、ないかと、僕は、考えております」
「確かにいきなり教室へ入れというのは、秋香さんには酷ですね。でも、二学期までにはちゃんと教室へ入れるようになって欲しいなって、わたしは思うよ」
二人はそんな会話を交わしたあと、このゲームを一時間ほどプレイしたのであった。
「あっ、もう０時半過ぎてますね。健太お兄さん、夜分遅くまでお付き合いして下さり、誠にありがとうございました」
「いえいえ、どういたしまして」
二人はゲームと部屋の電源を切って佐代里のお部屋へ向かい、布団に潜る。
それから三分ほど後、
「あの、健太お兄さん。起きてますかー？」
友子がまた、話しかけて来た。
「はい。何でしょうか？」
健太はすぐに応答する。
「一つ大事なことを言い忘れていました。千代お婆さん、健太お兄さんがここに来てくれたこと、すごく嬉しがってたよ」
「そうですか。それは、光栄です」
「千代お婆さんにとって、健太お兄さんは宝物のような存在だとおっしゃってましたから」
「僕なんかが、ですか？」
「はい。それには、ある理由があるからなんだそうです」
「どういった、理由なのでしょか？」
「ごめんなさい、わたしも分からないです。でも、今年ももうすぐやって来る、あの日に教えてくれるそうです。では、健太お兄さん、おやすみなさい」
「おっ、おやすみ」
友子から暗に伝えられた事、健太は当然のように気がかりになった。
