極秘密偵と、化かし合い
【グラ・ヴァル遺跡館】に清々しい朝の光が差し込む頃。
昨夜、思わぬことから舞い込んできた第一号の宿泊客——流浪冒険者チームの三人組は、驚くほどすっきりとした顔で目を覚ましていた。
「あぁ……!生きててよかった……!身体中の毒気も疲労も綺麗さっぱり消えてやがる……っ!」
「あんなに爆睡できたのは何年ぶりだ!?まさに天国だったぜ!」
彼らは大感激で涙を浮かべると、約束通り【金貨3枚】と、各地の最新情勢が記された羊皮紙をフロントに差し出した。
「旦那、最高の夜をありがとうよ!俺たちはこれから中立都市ルクシアへ向かうが、出会う冒険者仲間全員にこのオアシス宿の凄さを触れ回ってやるからな!」
「ははっ、気をつけてな!旅の無事を祈ってるよ」
レオとミニアが見送る中、彼らは爽やかな笑顔で荒野の彼方へと旅立っていった。
『フフン、当然の反応だな。我が結界と主の【魔導自動井戸】、そして至高の料理が揃っておるのだからな』
愛らしい「モフモフ黒狼」の姿となったヴェルフが、誇らしげに胸を張る。その首元を、ミニアが「ヴェルフ様、今朝も毛並みがツヤツヤですニャ〜」とブラッシングすると、ヴェルフは『む、むふぅ……そこは耳の裏だからくすぐったい……』と気持ちよさそうに目を細めた。
そんな和やかな空気が流れたのも束の間——。
ポーン……!
レオの脳内に、クロニクルの無機質なシステム音声が警戒アラートを響かせた。
(≪警告。北東4キロ地点より、殺気を極限まで遮蔽した高度な隠密部隊の接近を検知。行動パターンおよび魔力波形より、聖王国『ゲッセル伯爵家』の極秘密偵隊『影蜘蛛』と推定されます≫)
(ついに来たか、ゲッセル伯爵の密偵……!)
レオの瞳に、鋭い知略の光が宿る。
「ミニア、ヴェルフ。王都の刺客のお出ましだ。地下都市【グラン・ゼノア】のことは指一本分も漏らさねえ。地上のこの【遺跡館】で、思いっきり『最高のおもてなし』をしてやろうぜ」
「はいニャ!敵の密偵さんを、最高におもてなししてハメてやるニャ!」
『くくく、密偵ごときが我が主の知略に勝てると思うなよ?』
ヴェルフもモフモフした姿のまま尾を力強く振った。
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数十分後。
【グラ・ヴァル遺跡館】の重厚な扉が、ギイと静かな音を立てて開いた。
足を踏み入れてきたのは、薄汚れた旅人のマントを羽織った鋭い目つきの男——ゲッセル伯爵家が誇る極秘密偵隊長ギルバートと、二人の部下であった。
ギルバートは油断なく周囲に視線を走らせ、心底警戒していた。
`(妙だ……。こんな猛毒の荒野の真ん中に、なぜこれほど見事な石造りの館が存在する?先遣隊や暗黒騎士隊が消息不明になった原因が、ここに隠されているはずだ……!)`
探りを入れる気満々で殺気を殺していたギルバートだったが、次の瞬間——正面から聞こえた明るい声に肩を跳ねさせた。
「いらっしゃいませニャ!長旅でお疲れですね、どうぞおくつろぎくださいニャ!」
猫耳の少女ミニアが飛び切りの笑顔で手招きし、奥からは質素ながら品のある青年レオが、ガラス杯に入った透明な水を持って歩み寄ってきた。
「喉が渇いているでしょう。まずは冷たい水でもどうぞ」
「……あ、あぁ。かたじけない」
ギルバートは身構えつつ、毒検知の指輪を密かに光らせながらグラスを受け取った。当然、指輪は一切反応しない。
息を殺して一口含んだ——その瞬間!
「〜〜〜〜〜〜っ!????」
ギルバートの目玉が飛び出しかけた。
(つ、冷たくて美味い……っ!?なんだこの、体中に染み渡る清らかな喉越しは……っ!?王都の最高級貴族すら口にできないレベルの絶品水だと……っ!?)
あまりの水質に冷徹な表情が完全に瓦解した。それを見たミニアが、追い打ちをかけるようにニコニコと微笑む。
「お客さま、奥に温かい『足湯スペース』と特製スープもご用意できますニャ!」
「あ、足湯……?スープ……?」
案内されるがまま、地下の温泉から引き込んだ温かな湯に足を浸し、出された絶品肉スープを口にした密偵たち。
「あぁぁぁ……っ!!身体の底から毒気と疲労が抜けていく……っ!!」
「隊長、ここ……天国ですよ……っ!」
プロの密偵としての緊張感は、圧倒的快適さの前に跡形もなく吹き飛んでいた。
ふにゃけた顔になりかけたギルバートは、必死に首を振って正気を取り戻すと、咳払いをしてレオへ探りを入れ始めた。
「……ゲフン。失礼、実に素晴らしい宿だ。ところで旦那……このあたりで、重装甲を纏った騎士団や兵たちの姿を見なかったか?」
来た、とレオは心の中で笑った。
事前に入念な打ち合わせを済ませていたレオは、困ったように首をひねってみせた。
「騎士団ですか?いえ、見かけていませんね……ただ、数日前に北西の『猛毒地帯』の方角から、空を割るような凄まじい魔獣の咆哮が聞こえましたが……」
「なっ……魔獣の咆哮!?」
「ええ。あのあたりの毒気は人間が立ち入れないほど酷いですから、もし踏み込んだのなら……無事では済まないでしょうね」
そこへ、膝の上でミニアに撫でられていたモフモフ黒狼ヴェルフが、だるそうに鼻を鳴らした。
『ふん。愚か者が死の領域に踏み込み、魔獣の餌食になったのであろうな』
「ひっ……!神聖な気配を纏う魔狼……!?」
鉄鋼樹の『浄化の風』とヴェルフの微弱な隠蔽結界、そしてレオたちの完璧な演技。
それらが完璧に噛み合った結果、密偵ギルバートの脳内で「一つの完璧な勘違い」が完成した。
(そうか……!ここは偶然にも清らかな湧き水が出ただけの、奇跡の個人オアシス宿!我々が探していた暗黒騎士隊は、奥の猛毒地帯で凶悪な魔獣に遭って全滅したのだ……っ!)
「そうだったのか……!貴重な情報を感謝する、旦那!」
100%勘違いしたギルバートは、すっかり毒気を抜かれ、大感動した面持ちで重い革袋をデスクに置いた。
「疑うような真似をしてすまなかった!これは命の洗濯をさせてもらった正当な代金だ!」
ジャラリと出されたのは、なんと【金貨5枚】。
「大至急、伯爵閣下へ『騎士隊は魔獣に全滅。荒野には奇跡のオアシス宿が存在するのみ』と報告せねばならん!世話になった!」
ギルバートたちは大満足の笑顔を浮かべ、掴まされた偽情報を手にして、一目散に王都へ向かって撤退していった。
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「やりましたニャ、レオ様!敵の密偵さんをボロを出さずに完封して、金貨5枚までもらえちゃいましたニャ!」
静まり返った館内で、ミニアが立ち耳をピコピコと跳ねさせて大はしゃぎする。
「ああ、地上はカモフラージュの遺跡館。地下は絶対の楽園【グラン・ゼノア】。この二重構造の作戦は完璧だな」
レオが手応えに口元を緩めた、その直後だった。
ポーン……!
クロニクルの澄んだ音声が脳内に響いた。
(≪報告。東方より『ガラン商隊』の接近を検知。あわせて大都市ルクシアで開催される『競り市招待状』を所持している模様です≫)
「ガランさんが来たか!オークション招待状まで持ってきてくれるなんて、面白くなってきたぞ!」
王都の追っ手を笑いながら完封したレオたちは、更なる商業発展と外の世界での大騒動の予感を胸に、信頼の商人を出迎える準備を始めるのだった。




