第五話 移動を制すものは物流を制す。
「わいやったら、そのタスク三分の一の時間でクリアできんのになぁ」
少年のような声が、鞄の中から誘惑する。
「三分の……一」
なんと魅力的な囁きだろうか。
が、しかし早ければいいわけでもない。
ここは冷静に一度話を聞いてみるべきだろう。
専務はいつの間に声を発せるようになったのか。
俺は再びiPadを取り出し……モフッ
モフッ……?
指先に触れたのは、iPadの硬質な質感ではなく、小動物の柔らかな感触だった。
嫌な予感が胸をよぎる。
恐る恐る掴んだ手を取り出すと、目の前には白狐専務が実体化しているではないか。
鞄の中を改めて確認したが、iPadはなくなっている。
時短とは?!と叫び出したい気持ちを呑み込んで、俺は努めて冷静に専務へと話しかける。
そう、営業マンたる者、どんな時も、まずはヒアリングだ。
「専務、大変お伺いしにくいのですが、私のiPadはどちらでしょうか」
白狐専務は宙返りして、俺の掌へ着地する。
ちょうど片手に乗る大きさだ。
見た目は生き物よりぬいぐるみに近い。
「わいや!!」
先ほどと同じ少年のような声。
投げ捨てたい気持ちを更に呑み込み、俺は眉間の皺を揉み解した。
ここで、確認すべきことはたったひとつ。
「専務、タスクが三分の一になる方法を具体的に教えていただけますか」
専務は顎が外れそうなほど口を開いている。
随分表情豊かなぬいぐるみである。
芸でも仕込めば稼げるかもしれない。
「少し慣れてきたわ。あんたさん、ここから川まで歩くつもりやろ。『万能地図』には移動機能が搭載されとるんや!」
「では早急にiPadに戻ってください」
「人の心とかないんか?!」
白狐専務は額の赤い石に両手を添える。
菱形の石は光を投影した。
そこには『万能地図』のアプリ画面が表示されている。
「行きたい場所を長押ししてみい」
俺は、灰藍川のすぐ側へ指を動かす。
不思議なことに空中に投影されたその画面に触れることができた。
言われた通り長押しすると、ポップアップが現れる。
【この場所まで移動しますか?】
▷YES
NO
もちろんYESだ。
俺が迷いなくタップすると、掌に乗っていた白狐専務があっという間に三メートルほどの巨体に変わる。
大きくなっても二頭身のため顔が異常にでかい。
その大きな口が開かれ、俺は一飲みにされてしまう。
……The END
そう、思ったがどうやら何ともないらしい。
目の前には、八十年代のようなカラフルなネオンが輪っかを作りどこまでも続いている。
真空管に入れられた手紙のように空間を滑り移動する。
いちいち演出が古いのは、何なのだろうか。
目の前に小さな白い光が現れ、俺の体はそこへ吸い込まれていく。
次の瞬間、視界が白く弾けた。
足裏に不安定な小石の感触、耳には涼しげなせせらぎが響く。
目を開けると、そこには細く穏やかな川が流れていた。
俺は腕時計を確認する。
約十秒、まさに現代人なら誰でも欲しい、『どこでもドア』ではないだろうか。
「ほらみい、三分の一どころじゃない時短になったやろ」
頭上から響く少年の声。
白狐専務の口から入り、今専務は俺の頭上にいる……
「まさに素晴らしい出来栄えです」
知らなくていいことは、知らないままにしておく。
これも大人のマナーと言えるだろう。
俺は川沿いをくるりと見渡して、足元の石を一つ摘み上げる。
石は角が丸まりほとんど円形に近い。
研磨された石を見ればここが河口であるとわかる。
ここなら確かに砂金も粘土も見つかりそうだ。
「専務、急ではありますが、オークの里に戻りたいと思います。『万能地図』を開いていただけますでしょうか」
「しゃーないなぁ!ホンマ手のかかるやつやで」
得意げな声が響き、俺の眼前に『万能地図』の画面が現れる。
大変扱いやすくて助かっている。
俺はオークの里を長押しして、先ほどと同じようにYESを選択する。
あっという間にオークの里へと帰ってきた。
あの強烈な匂いを覚悟して息を止める。
降り立った地面は硬く適度に湿っている。
革靴が滑るあの嫌な感覚がない。
目を開けると……
何ということでしょう。
糞尿は綺麗に片付けられ、剥き出しの大地が歓喜を上げている。
俺は力強くガッツポーズをした。
遠くから堂々と歩いてくるモノクルオークは、「どんなものだ」と言い出しそうな得意げな顔をしている。
ここは気持ちよく褒めて、懐に入らせていただくことにしよう。
俺は悠然と歩くモノクルオークに駆け寄り、会釈する。
「いやはや感銘を受けました。このように早急に片付いてしまうとは、オーク様の統率力あってこそでございます」
俺が心から感動していると声色と表情で伝えれば、モノクルオークの低い鼻がどんどん高くなる。
「いや、貴殿の助言あってのこと。我々だけでは絶滅するまで、改善などしなかったことだろう。この功績はオーク・キング様にも報告している」
さすが二番手まで上り詰めた男……いや、オークだ。
社交辞令に動じることなく、冷静な状況分析の上、俺にまで配慮してくれている。
このモノクルオーク……できる。
今、俺とモノクルオークの間に『信頼』が確かに芽生えていた。




