第二十三話 ドラゴンは男のロマンです。
――グラステラ公国
硫黄の匂いが鼻を突き、異常な埃っぽさが喉を襲う。
俺は咳き込みながら目を開ける。
射るような日射に掌をかざした。
目の前は一面の灰。
道も、屋根も、木窓でさえ灰が高く積もっている。
鞄の中からマスクを取り出して、鉱山へと足を進めた。
歩くたびに灰が舞い上がり、足跡を残していく。
「なんや?どうなってるんや」
「半年ほど前に鉱山が噴火したそうですよ」
街は静まり返っているが、布擦れの音や木の軋む音が僅かに聞こえる。
潜んでいる。
「よぉおっさん。見ない顔だな」
後ろから響いたのは、軽薄そうな青年の声。
『おっさん』と呼ばれる筋合いはない。
ないので、聞こえなかったことにしよう。
俺は足早に鉱山へと急ぐ。
「おい!無視すんなよ」
青年が俺の鞄へと手をかける。
力いっぱい引っ張られて、渋々振り返ると、そこにいたのは青年だけでは無かった。
老若男女問わず、皆、鍬や包丁、棍棒――中にはしゃもじを持っている者までいた。
その誰もが、頬はコケ、骨が付き出していた。
なるほど、村全体が酷い飢餓で、迷い込んだ者を襲っているというわけだ。
この青年も、年齢の割に力が弱い。
とは言え俺は『慈善活動家』ではないので、引っ張られた鞄を青年へと押し付ける。
引っ張る力が抜け、青年は盛大に尻餅をつく。
拍子に鞄が自由になり、改めて持ち直す。
その間も、じりじりと村人たちは距離を詰めてくる。
「専務、『万能地図』を起動してください」
「お……おう!」
呆けている場合ではない。
『万能地図』が目の前に表示された、その時。
大きな影が俺を覆い隠す。
迫っていた村人たちが、急に踵を返し逃げ出した。
振り返ったその先には――
――赤竜がそこに居た。
赤い硬質な鱗に全身を覆われ、見える範囲の空をすべて覆い隠している。
鋭い爪は俺の胴体ほどの大きさがあり、牙の間からは火山のような湯気が立ち上る。
天空を睨む金色の眼光には、王者の風格を宿していた。
「な!なにやっとんねん?!逃げるで佐藤はん!!」
白狐専務が俺の髪の毛を必死に引っ張ってくる。
そろそろ毛根が気になる年なので、やめていただきたい。
「大変です。専務」
「なんやねん!!まさか腰抜けたとか言わんやろうな?!『万能地図』タップするだけや!できるやろう!!」
「俺の『心の少年』が喜んでます」
「しらぁぁぁん!!!帰って!!!」
ドラゴンである。
これを眼前にして喜ばない男がいるだろうか。
ドラクエを何度周回しただろう。
「佐藤はん!ほんまにドラゴンはあかんって!死ぬ気か?!」
「死ぬ気はないのですが、目に焼き付けておかないと損しそうな気がしまして」
「お前!絶対酔っ払ってるやろ!?二度と酒飲むなや!あほんだらぁ!!」
それは断るが、酔っぱらっていることも否定はしない。
『万能地図』の翻訳機能とかで話せないだろうか。
俺は『万能地図』に指を伸ばす。
『ドラゴン』の項目を探すべく、言語選択項目を開いてスクロールした。
「なにやっとんねん!!!ぼけがぁああああ!!」
白狐専務が後頭部に頭突きするが、クッションで叩かれたくらいの衝撃しかない。
威嚇のためなのかドラゴンが頭上で火を噴いた。
何故、今俺のiPadはこのぬいぐるみなのだろうか。
写真が撮りたい。
『ドラゴン』の項目をタップする。
「逃げないの?」
存外に可愛らしい声が、空高くから降って来る。
ドラゴンの声が白狐専務より高いなど、少しがっかりではある。
しかし、話ができるなら、言うべきことは一つだ。
「撫でてもいいですか」
白狐専務が再び俺に頭突きをする。
「魔王でもその挑戦はせーへんで!」
もう諦めたのか、白狐専務は頭上でぐったりと項垂れてしまった。
仕方がない。
興味が尽きないのだ。
何故かドラゴンの金色の瞳が揺れている。
困惑しているようにも見えるが、取りあえず攻撃されそうな雰囲気はない。
ないので、久しぶりにちゃんと自己紹介でもしておこう。
俺は名刺ケースを取り出した。
「私は、商業ギルドで行商をしております。佐藤健一と申します」
俺はできるだけ高い位置まで名刺を差し出した。
「そんなもん。ドラゴンがどうやって受け取んねん」
ドラゴンが動揺しているのか、ものすごい勢いで首を左右に振る。
たったそれだけで、強風が巻き起こり、周りの灰が舞い上がった。
「ほらみぃ。ドラゴンまで対応に困っとるやないか」
灰のせいで視界が閉ざされる。
次に重いものが地面に叩きつけられ、さらに灰が舞い上がる。
地面が大きく揺れ、俺の体が一瞬宙に浮かび、街の方からは何かが崩れる音が響く。
強風が収まるころ、身体についた灰を払い落としながら、何とか目を開いた。
目前に赤竜の瞳があった。
顎を地面につけて寝そべっている。
爪は身体の内側に隠され、口を閉じている。
まるで、危なくないよと言っているようだ。
口の端だけを小さく開いて、言葉を発する。
その風で、灰が飛ばされ俺の身体は綺麗になった。
「撫でてもいいよ」
意外と物わかりのいいドラゴンである。




