第二十話 ビジネスパートナーにハニートラップは不要です。
「ここにサインすればいいの?」
「はい。両方にお願いします」
ベルカのペンが羊皮紙を滑り、見覚えのない字を描いて止まった。
日本語で書かれた契約書は、ベルカにも読めている。
会話だけでなく、言語も同期されているらしい。
こちらの言語体系はどうなっているんだろうか。
「ありがとうございます。それでは今後の取引はこの内容で進めさせていただきますね」
「えぇ、よろしく」
俺が握手を求めて掌を差し出すと、ベルカは少し頬を染めながら握り返してくれた。
成約すれば、俺は必ず握手をするようにしている。
しかし、女性相手には控えた方がいいかもしれない。
「ベルカえぇんか?佐藤はん、貰った物やからって、ベルカに分け前を渡さんつもりやで」
余計なことを言うぬいぐるみである。
「いいわよ。あげたのは本当だし、それに売れたことが嬉しくて、もう十分だから」
ベルカが白狐専務をぎゅっと抱きしめる。
「えぇ娘やなぁ!ベルカ!」
チラチラこちらを見るのは、やめていただきたい。
俺は金貨一枚をベルカへと差し出した。
「えっ本当にいいのよ!受け取れないわ!」
「たまには、ええとこあるやないか!」
二人が同時に叫ぶので、煩くて仕方ない。
「これは分け前ではありません。絹のベールの金額です。はじめからお渡しするつもりでしたので、ご査収ください」
俺は木綿の反物を机の上に出す。
「代わりにこの木綿の反物を銀貨三十枚で、ご購入お願いします。今後皿の包装にはこちらを使いますので」
ベルカがきょとんと眼を見開き、白狐専務が呆れたように睨みつける。
商売だ。
当然である。
ちなみにこの反物は、銀貨二十枚で購入している。
俺にしては良心的と言えるだろう。
ベルカの高い笑い声が部屋を満たした。
「本当ちゃっかりしてるわね!いいわ、買うわ」
さぁでは最後の商談といこう。
そろそろ俺も疲れてきた。
「ここからの話は提案ですが、ティーセットは作れますか」
「ティーセット?作ったことないから何とも言えないけど、どうして?」
「実は皿は第三王女ロザリア様にご購入いただいたんです。今後のことを考えればティーセットは良い新商品になるかと思いまして」
ベルカが口を魚のようにパクパクしている。
美人が台無しである。
「皿は十分に在庫がありますし、ティーセットの製作に時間を割いていただきたい。かつ、金額が高くなりすぎたので、五枚セットだけではなく、ペアも販売しようと思っております。箱の方の製作もお願いします」
「そんな、まくし立てるなや!魔王か?!」
白狐専務のツッコミに再びベルカが笑い声をあげる。
どうやら、ベルカはこのぬいぐるみがツボらしい。
なかなかに趣味が悪い。
「いいわ。頑張ってみるわ」
笑い過ぎて目尻に涙を溜めながら、ベルカが了承した。
本日のタスク、すべて完了である。
俺は再び工房の一室に泊めてもらうことになる。
王都アステリアで購入しておいた羊皮紙を取り出した。
本日手に入れた情報をまとめていく。
・魔法がある
使われているところはあまり見ないので限定的な利用なのか
・転移者は珍しくない
・言語体系に疑問
・銅貨一枚が十円程度
「なんやそれ。なんで「転移者が珍しくない」なんてわかるんや?」
白狐専務の声が頭上から降って来る。
「私が「転移者」であることを伝えても、皆さん受け入れているようだったので、同じような人間がいるのでしょう。白狐専務、一つお伺いしたいのですが、『魔法』とはどうやったら使えるようになりますか」
「佐藤はんはもう使ってるやないか。『万能地図』つまり、わい自身が佐藤はんのいわゆる魔法スキルやで」
なんとなく、そんな気はしていたが……
俺はがくりと両肩を落とす。
「なんやねん、その反応!ほんま失礼なヤツやで!」
『万能地図』には当然東京はない。
つまり、『魔法で帰る』は不可能と思っておいた方がいいだろう。
もう一つ方法があるとすれば、『転移者』の存在だ。
もしかしたら、情報交換ができるかもしれない。
その時、扉がノックされた。
扉の向こうには、ベルカが立っている。
口を開かないまま、瞳は俯き、頬は赤い。
何となく、まずい空気だ。
「何か御用ですか」
事務的な冷たい声で返す。
わずかに迷惑そうなニュアンスを足してもみる。
ベルカは少し口の端を尖らせて、上目遣いで睨んでくる。
これは睨んでいると言えるだろうか。
これはまずい。
そう思った時には、もう手遅れだった。
ベルカの腕は俺の腰へとまわり、身体を寄せた。
甘い香りが鼻に届き、回された腕は柔らかい。
正直に言おう。
十歳近く年下の美女に、抱きしめられて嬉しくない男がいるだろうか。
いない。
断言してもいい!
だが、俺はこんな……ハニートラップなんかに……負けは……負けはしない……
くっ……
思わず抱きしめそうな腕に力を込めて、肩に手を置いた。
身体をゆっくりと引き剥す。
「ベルカさん、お互いにこのビジネス関係は命綱です。こういうことは仕事に差し支えますので、俺に応えることはできません」
先ほどと同じようにベルカが睨みつけてくる。
ふんっと振り返った。
「わかってるし……」
小さく呟いて、自分の部屋へと帰っていく。
振り返ることはなかった。
俺は大きく息を吐き出し、扉を閉めた。
「佐藤はん、さっき自分のこと「俺」って言っとたで」
少年のニヤつく声。
この白狐、今度ヘルハウンドのおもちゃとして、王女様に差し出してやろうか。




