【3】細い煙の匂いは懐かしく
そうして気持ちを少し斜めに切り替えた悠夜は、外行きの服に着替えるとスマホをポケットに落とし込み、自転車で20分ちょい先にある24hAR簡易教習場に赴いた。
AR簡易教習所というのは、デジタル免許証専用の更新施設。
悠夜にとって初めて使う場所だが、案外分かりやすく指示がまとめられていた為、その順に合わせて部屋を移動し、最後にARゴーグルをつけて仮想車を20分ほど、試験復習の一環として運転する。
それから点数的にも技術的にも合格した悠夜は、届いたメールに記載されているURLからPDF書類を3枚ほどコンビニでコピーする。
デジタル免許証の方はさっき更新を完了した。しかし、プレートの方はこの書類を使っての手続きをこっからしなければならない。
なんなら最終ちゃんとした教習所にも行かないとダメらしい。悠夜はめんどくさいなぁと思いながらもちゃっかりコンビニついでに切手と封筒、ペン、後アイスクリームを一個でんじーを使って購入した。
その後、一通りコンビニのイートインスペースで書き終えた悠夜は書類入りの封筒を完成させてポストに投函し、家に向かって自転を漕いだ。
ヒューッと顔面に掛かる生温い、重たい空気。
やっぱり夏は好かない。
アイスクリームのクラー効果はもう切れていた。
そうして家に着き、玄関で靴を脱いで上がろうとしていると、悠夜は丁度ニ階から降りてきた花奈と鉢合わせた。
「あらお帰り、どこ行ってたの」
そう言う花奈の手には、幾つかの供物が乗った盆があった。
(……なんてまぁ、リアルタイムな事で)
「…教習所。明日父さんの墓参りに行くから」
「……え、まじ」
「ああまじまじ、ちゃんと土下座してくる」
そんな悠夜の言葉を聞いた花奈は「ならちょっと待ってて」と悠夜に待機を要請し、リビングに盆を置くと急いで一階の自室へ駆けて行った。
ガサガサと、本当に急ぎめの音が聞こえてくる。
それから少しして花奈は「お待たせー」と言いながら小走りで悠夜に駆け寄り、5,000円札を手渡した。
「これ。…良い供物を手向けてあげなさい」
「いや花じゃないのかよ」
悠夜が少し笑いながらそう言うと、花奈は迫真顔で言った。
「実は雅俊ってあんこよりこしあん派でね」
「待ってそれただの好み」
「実は雅俊って正月休みよりもおせち派でーー」
「ーー言い換えたようだけど余計分からん。なに、花より団子って言いたいの?」
「愚直〜。風情がないわねー」
「風情!?」
この会話の一体どこに赴きと言った、深々したものがあるのかよく分からない。けれど、何にしてもと悠夜は言う。
「まぁそれはおいといてお金、別に良いよ。貯金がある」
悠夜はそう言って渡された紙幣を返そうとする。がしかし、花奈は頑としてその申し入れを受け入れようとしなかった。
やがて押し問答に負けた悠夜は潔く「ありがとう」と言ってお金を受け取る。
「あ、そうそう。墓地って何処にあるの?」
「…ん? 場所ならナビに登録してるから大丈夫よ」
「…ぁー、そっか」
そりゃそうだ、と悠夜は少し視線を落とした。
「あ、でもそうね。お墓の場所は言ったことは無かったわね。えーと…確か真ん中から……えー…何列目だっけ…いや、分かんない。真ん中らへん。そこ探して」
「その案内いっちゃんしたらあかんやつやろ」
そうして話も終わり離れようとした時、悠夜はふと思った。
「なぁ、母さん」
「ん? なに?」
悠夜は雅俊の死に目に立たなかった。ずっと、それは火葬されるよりも前の段階でさえもなのだ。
だからこそ、ちょっと気になった。
「父さんの、死に顔…その。どお、だった?」
それに花奈は少し柔らかな笑顔で答えた。
「綺麗で、逞しい顔をしていたわ」
「……っそか。ありがと…」
悠夜はそれからニ階にある和室へ赴いた。
そこは生前父雅俊が使っていた部屋なのだが、今では物がすっかり片付けられてしまっている。
本当にこの部屋には漆黒に輝く仏壇以外には何もなくーー多分押し入れを探せば何かしらはあるだろうが、一瞥する限りはなにもなくーーそれが相待って、仏壇の存在感が強く、威圧感マシマシで鎮座しているように悠夜は感じた。
「……」
悠夜の父雅俊が亡くなって早5年の歳月が経っている。経ってしまっている、気づいたら5年が経っていた。悠夜が感じる虚しさはその多すぎる空白の時間の所為なのだろうと考えて。
「よいしょっと…」
仏壇の手前に敷かれている座布団の上に座り込み、鐘を鳴らした。
ーーーッ………と耳に纏わりつく、心地よい鐘の音色。
心の準備をする為にその音を深く聞き入る。
そして悠夜はその音を聞きながら呼吸を落ち着かせ、そして両手を拝み合わせた。
(父さん。明日会いに行く……)
しんみりと、静まり返る畳の空間。
部屋に漂っていた線香の濃い匂いが、悠夜の鼻を弄んだ。
悠夜はそれから数分手を合わせ続け、線香をつけなかった為自室へと直ぐに戻った。
「あっお帰りですっ悠夜さんっ!」
「ーーっぉ……ぶねぇ……」
ドアを開けて早々、ドロップキックが飛び込んできた。目前に迫る足裏。それをギリギリのところで認識しドアを閉める事に成功する。
その際ドアを蹴破るような破壊音が鳴り響かなかった。レモン自身もギリギリの所でなにかしらして躱したのだろうと思考する。
レモンの事だから体を捻り、魔法か何かを使って躱したんではなかろうかなんて。
悠夜は少し間を置いてからドアをゆっくりと開ける。そして真っ先に上方へ目をやったが、良かったレモンは居ない。
それからちゃんと部屋に目を配らせれば、パソコンの前でレモンが待機していた事に気がついた。
そんなレモンに悠夜は呆れながら言う。
「ほんま、あぶねぇからさっきのもうやるなよ」
「はい…善処しまリセット」
「しばくぞ、リセットすんな」
悠夜はそう言いながら部屋着に着替えベッドに腰を落ち着かせると「もー寝るぞ」と部屋の電気を消す事を宣告した。
「え…? まだ23時半なんですけど」
いつもは帰ってきたら鍛錬やらなんやらとやって、何だかんだ2時くらいに寝ようとなっている。
そして朝6時に目が覚めて早朝トレーニングをし、11時くらいからバイトに行って。
そんなサイクルだからか、不思議そうにレモンが聞いてきたのだ。
悠夜はそんなレモンに対して、少しだけ目線をずらしながら「……明日、墓参り行くから」と言った。
「ぁ……。…私の説得の甲斐、ありましたね…」
「あぁ…そうだなリセット」
「その使い方は違います」
「えそうなの」
それからお互いベッドへ直ぐに入った。
共用の、大きめのタオルケットを被り、電気を消してしまえば残る明かりは冷房の作動中を表すランプと月明かりくらい。
悠夜はそこから眠りに落ちるまでの間に明日の予定を組み立てる。そうして数分かもっとか。
悠夜が暗所の天井を見つめていると、レモンが悠夜の隣へ更にモゾモゾと近づき、自身の少し冷たい足を悠夜の脚に絡ませた。
「……消そうか?」
そう悠夜は問いかけるが、レモンは体をさらに縮込めさせて「大丈夫です」と言った。
「…消したら暑いので」
「……じゃあ温度を上げようか?」
「いや、それはそれで暑いので」
「なんだお前、めんどくさ」
すると、レモンは悠夜の脇腹をぎゅっと摘んだ。
悠夜はその少しの痛みに耐えきれず、早々に「悪い悪い」と謝罪すると、レモンは掠れた声で「分かってくれて良かったです」と呟いた。
「分かったから離してくれよ、痛い」
「しりまリセット」
「流行ってんなリセット」
そうして痛みから解放されると沈黙が続き、予定も固まったところで夢と現実の境界線が歪み始めた。そして気づかないうちに意識がプツン途絶えてしまう。
意思の介入が全くできないふわふわとした物語。
悠夜は、瞼の裏に写った幽かな雅俊の面影を懐かしく感じながら、幽玄の旅路へと足を踏み入れていった。




