【1】細い煙の匂いは懐かしく
2046年8月18日 20:46
_______________________
「なにしてんの、お前」
男はコンビニアルバイトから帰宅後、風呂の用意をしに自室に入る。そんな折に、男はーー悠夜は一人の少女へ声をかけた。
「……暇なんでゲームと調べ物をしてます」
一人の少女。
悠夜以外の誰にも見えず、けれど少女自身物には触れることができ、だから壁をすり抜けると言うことが出来るのかといえばできない。それでいて魔法が使え、自身を堕天使と言い張る少女。
そんな少女ーーレモンは、暇を強調するように声を発しながら、せかせかとPCとスマホを器用にいじり続けていた。
「……」
今調べているのはPCゲームの、ノートギルドオンライン、略称NGOという、悠夜が昔からやっていた、美麗且つ戦闘システムがアクティブタイムバトルのハイクオリティ鬼畜ゲー。
半年前辺りからこのゲームにハマり出していたレモンに、自身のデータを消して一から始めさせたのが運の尽きだったのだろう。
今では片手さえ空いていればゲームをやる始末。
両手がある今、パソコンを二画面にして作業をすればいい話を、態々スマホで攻略情報を探している。
画面を縮小したくないという意思が見え隠れしていた。
そんなレモンの姿を見た悠夜は、怒り心頭に発する勢いで、けれど怒気は孕む程度に抑えて。
「部屋、片付けろって言ったよな」
「……こっから動いたら負けだと思っているんで」
「え、喧嘩売ってるの?」
悠夜はレモンの肩に手を置いて、にらみを利かす。日頃の疲れも相まって、ストレスが表に出始めていた。
しかし、レモンは何かを言うことも、抵抗をすることもせず、指を動かし続けた。
その眼は何かに取り憑かれているよう。
悠夜は心の中で舌打ちをして、スマホを取り上げると何の躊躇いもなく遠隔処理でパソコンを強制終了させた。
「ぁ……」
そうしてぷつんと切れた画面。
そこに映る、レモン自身の顔。
それを見て、レモンは叫声を上げながら恨みの目を悠夜に向けては、唾が飛びそうな勢いで抗議の声を張り上げた。
「ぁあ! 何するんですかっ!! 返して下さい!」
まるで自分のものだったかのように言うレモンだったがそんな事はない。
悠夜はその言い草にも腹が立ち「はぁ!?」と怒鳴り返した。
「何言ってんだよお前、このスマホもパソコンも俺のだろが、ふざけんな。てか片付ける約束で貸したの忘れてんのか」
「忘れてませんが!」
「おう、堂々と言うな堂々とぉ……はぁ。他の家事はちゃんとやる癖に何でここだけやんねぇんだよ」
大きく溜息を吐く悠夜の言葉はレモンの耳の隣を吹き抜けていく。そんな感じで虚しく聞き入れてくれないのが最近のレモンであった。
(場合によっては飯も作ってくれるし、大掃除の時だってこいつが一番成果を上げてたのに…ほんまに……)
兎に角、交えていた約束を破られたのだから、悠夜にこそ正当性があった。
だから悠夜は、レモンの威勢を無視して「そ、う、じっ」と、声色を深めて言った。
「……嫌です…」
「掃除しろ」
「嫌…」
「良いからやれ」
「…いやです」
口を窄めては食い下がるレモンに呆れて、悠夜は最大限譲歩をすることにした。
「はぁ……手伝ってやるからやれ」
「……」
「…あじゃあもう良いわ、スマホ貸さんしパソコンは完全にスマホからの起動にするわ」
「それはやです……はい……」
「じゃあやれ」
「…はい……」
レモンが悠夜宅に住み始めて早1年、お互いのプライバシーを共有する以上先ずは双方綺麗にしておく、という盟約というか約束事が悠夜とレモンの間にあった。
しかし、時間が経過する毎に現れ始めるレモンが持つ真性の怠がり具合。自身のテリトリー内だと認識するとすぐに自堕落になる、それがレモンだった。
正に堕天使。
共有することによって起こる様々な衝突の中で、この汚部屋案件の率がダントツで高かった。
「はぁ……」
レモンはトボトボと、あーあーと、怠そうにとっ散らかした評論本やライトノベルをまとめては、本棚へと片していく。
「ほい、ごみ袋」
「…ありがとうございます」
どこまでも不服そうな声色で、それでいて怠そうで、苦々しい顔で対応する。これぞ渋対応。
それでも強制されているからにはせっせと片付けられていくジャンクフードの袋やティッシュといったごみ。
だが未だそこに足場という概念は存在しない。
(しっかし、臭いが籠ってるな……)
終末のような部屋を片付ける中で、悠夜はそんな臭いという不快感を改めて感じ取った。
(窓開けるか)
一日中冷房を点け、その中で滞留する諸々の臭いや埃の多い空気。
空気が悪いとはこの事で、悠夜は足の踏み場のない床を渡り歩いて冷房の電源を切り、窓を素早く開ける。
すると、ヌルーッと部屋の冷たい空気が外に流れ、夏の夜の生暖かい空気が部屋を侵食し始めた。
気持ちは…言い訳ではない。
これもこれでクッソまずい空気だ。
そんな行為にレモンは「せめて、冷房だけわぁ」と悠夜に項垂れ落ちてきたが、悠夜にとっては知ったこっちゃない話。
逆に暑苦しいからレモンには離れて欲しかった。
(てか少しくらいは電子機器を休まさせてやれよ)
悠夜はレモンを適当にあしらい、自分が散らかした訳でも無いモノを押し入れや収納棚に投入していく。
(あー……それにしても開けたら開けたで暑いな…)
窓を開けて数十分。
床一面が粗方片付き、掃除機をかけるという段階に移行したところでかなりの汗が吹き出ていることに気がついた。
吸い込む空気はねっとりとしていて、湿気がやたらと重たい感じだ。悠夜は室内気温の異常性に、堪らず息を吐いた。
(まるで猛獣だな、この暑さ)
冷房代がもったいないことは理解している。
しかし時間が経つ程に意思が徐々に食われていくのも本当の事で、そんな理性と生物の本能に悠夜は嬲られている気分だった。
そうして逃げ場のない苦しさに少し顔を歪める悠夜であったが、ある時「そうだ」と声を漏らして頷いた。
(魔法でなんとかしよう)
悠夜は先ず水の魔法でーーシーリングライトに当たらないよう気をつけつつーー天井に膜を張り、水の温度を氷点下以下に落としていく。
そうしてどんどん氷化していく水の膜は、冷たく硬化すると共に冷気を多量に帯び始め、その冷やされた空気達はゆっくりと落下を開始した。
「ふぅ、ちょうどいいんじゃ無い? これ」
これで冷房、とはいか無いが冷蔵庫を開けっぱなしにしている状態を再現できた。
満足げに天井を見上げる悠夜。
「えー、もっと涼しい方がいいです」
しかし、レモンはそう言って厚かましく文句をつけてくる。
「まだ2ついっぺんに魔法発動できねぇんだわ。やりたいなら勝手にやれよ」
「嫌ですよめんどくさい」
「じゃあ諦めろ」
氷魔法と風魔法を使えば擬似冷房は作る事ができるだろう、が今の悠夜には無理をしたところで完成し得ないことは目に見えていた。
魔力的にも制御能力的にも。
なので悠夜自身も確かに冷房の方がいいとは思っているのだが、この氷魔法ーー正確に言えば水魔法を使った半開き冷蔵庫状態で我慢している。
そうして張られた氷から下る冷気達の恩恵に肖る事で何とか掃除を続ける事が出来てはいるのだが、問題のレモンが。
「ふぁ"ぁ〜もぉ動きたく無い働きたく無い掃除したくなーい」
途中でバックれてベッドに向かってはそう言いながら倒れ落ちた。
少しバウンドするベッドとレモン。
掃除機を一通り掛け終えて電源を切り、フゥウン……と小さくなっていく掃除機の音を隣に、悠夜はレモンの堕落具合に苦言を呈そうと思った。
けれど、そこまで考えて口の中で留めた。
悠夜は目の前に居る少女が、本当に少女である事を思い出したのだ。言動が変にませていることもあり、忘れてしまっていただけで。
(子供なんだよな、こいつ)
そう言う視点からみるとするのなら、今のレモンの姿は元々子供が持っている反発意識から、と想像できる。
そんな風にして考えると、ある意味年相応のようにも見えた。
「はい、これクローゼットに直して」
「…へー…………い…」
悠夜はただ、でもレモンに最後の責任は全うしてもらおうと掃除機を渡す。
(これで後は拭き掃除だけだな)
悠夜は用意していた雑巾を水魔法で濡らし、フローリング用の薬を吹き掛け丁寧に床を磨いていく。
そうして数分、不快感を取り除くために精一杯床を拭き、最後に空拭きをして漸く掃除が終わった。
「よしっ……」
辺りを見渡し、収納場所にきちんと物が収められているという事に快感を覚えたのか、悠夜はとても気持ちよさそうに深呼吸をしていた。
(いやー物が片付いてるってのは衛生的にも好ましいなぁー)
掃除機もかけ、雑巾で汚れを丁寧に拭きとったということもあり、足裏に何かがくっついたり、何かベタベタした感覚に苛まれるということがなくなっていた。
ひと汗かいた悠夜は、ふぃーと満足気な息を吐いて風呂場へと向かう。
(今日はシャワーにしよ)
そう悠夜は決めて全身を洗い終えると、スッキリ顔で脱衣所を後にし、かなり遅れて夕食を摂った。
今日も今日とておいしい料理に舌鼓。悠夜はごちそうさまと一言添えて食器を洗い終えると花奈と多少談笑してから自室へと戻った。
そしてドアを目の前にする悠夜なのだが、閉められたドアの隙間から冷気を少し感じて、まぁ程度空気を入れ替えられたので良いか、と思いドアノブを落とす、の、だが。
「レモン…何してんの…」
戦慄した悠夜の表情。
そこには冷房の真下で大の字に寝転がり、その風を幸せそうに享受するレモンの姿が、あったのだ。
レモンは悠夜の反応を前に、冷房に向かって拝むように手をすり合わせ感謝を述べた。
「ありがたやぁ…ありがたやぁ……」
「いや…お前は金を払ってる方に頭を下げろよ」
「たやぁーたやぁー」
「なんだよ、有り難みの言葉が薄れてんだけど」
「やぁー! やぁー!
「それただのヤジだから」
言葉に合わせて腕を上げ下げするレモン。そしてバタッと腕を急に落とすと「はぁ"〜さいっこー」とこれまた幸せそうに呟いて目を瞑り、静まり返った。
(喋んなきゃ可愛いんだけどなぁ)
透き通るような紫白髪を持つ少女。
今は髪の毛一本一本が床の上で菊のような広がりをみせており、美しく、画と見間違う程の容姿も、また、美しいの一言に尽きていた。
加えて、この涼しさによって表情が崩壊しているのか、その表情も含めて良く映えていた。
そうしてお互い好きなように時間をつぶしていると「ぁ、そうでした」と何かを思い出したのか、レモンがそう言って悠夜に顔を向ける。
「私悠夜さんに話したい事があるんでした」
「…? 話したい事?」
「はい。まぁ込み入った話とかでは無くて…魔法の鍛錬についてですかね。それについてちょっと提言させていただこうと……」
レモンはそう言いながら机の引き出しから木箱を取り出すレモン。
見覚えのない箱の感じに一瞬盗んできたのかと身構えたが、もうする必要が無くなったのでしないと言っていたレモンの言葉が頭をよぎる。
そしてその中にあった2枚の紙を取り出すと、悠夜が寝転ぶベッドの上にポンっと置いて言った。
「水田行きましょう、水田」
「は、はぁ? 水田? ……なんで水田?」
何故水田か、その意図を掴めずに悠夜はレモンに視線を送る。けれど、差し出された紙の方を見れば、その真意を伺う事ができた。
手に取り「なになに…?」と腰を上げながら目を通すにつれて目を丸くする悠夜。
1つ目の紙の内容は、悠夜の父雅俊から今後五頭身まで所有を許可された連なる五つの山の所有権利証。
そして2つ目が、昔父雅俊が作っていた輝泉米の特A認定その文字と判子が押された認可証だった。
「なんで、これを……」
「お父様の部屋の押し入れから持ってきました」
そうしたレモンの言動に悠夜は目線を落とすと、別の感情に顔を歪め「入るのは構わないと思うけど物は漁るなよ」と、レモンに注意を入れた。
「……はい、すみません…気をつけます」
「あぁ気をつけてくれ」
はぁと疲れたようなため息が悠夜の口から吐き出される。
そして小さく小さく「…まぁ俺が言えた事じゃないんだけどさ」と、自虐的に悠夜は一人ごちった。
引っかかる物言い。それは2人しかいない静かな部屋で聞こえないはずもなかった。でもそれでも、レモンはそれにまだ触れようとはしなかった。




