漆
お久しぶりです
芸能事務所『ミーサーク』の応接室には、生活安全課に所属している姓田巽刑事の姿があった。
その隣には、同業者である葉月と忠治の姿もあり、二人は対面している燈愛と姓田に視線を向けていた。
「それでは鮎川さん、こちらが今回の検査結果です」
姓田は、黒色のビジネスバッグからA4サイズの封筒を取り出し、燈愛に渡した。
燈愛は受け取った封筒を開封し、中に入れられた、荒木薫の薬物検査結果に目を通していく。
「…………黒川巡査長と大宮警部補は、このことを?」
「こちらに来る前、ひととおり読ませていただきました。そして――今私達が調べている事件の核心にも近づくことができました」
葉月は目の前で不安そうに自分を見る燈愛にはっきりと告げた。
「核心に?」
首をかしげながら、燈愛は葉月を見やる。
「自殺したと思われる筒井実緒ですが、私が少年事件課に所属している時に補導した少女だったんです。その子は援助交際と覚せい剤の売買のスケープゴートにさせられていたんです」
「スケープゴート……」
オウム返しするように、燈愛は口にする。葉月は応えるようにうなずいてみせた。
「なるほど、つまりは誰かをかばっての身代わりか、もしくは知らないうちに巻きこまれていたか。……しかし、いちおう私も生活安全課に所属しているからわかるのだが、黒川巡査長が所属していたのはあくまで少年事件課だ。亡くなった筒井実緒は援助交際で補導されたはずだが?」
「補導したのが私なだけで、詳しいことは少年育成課に任せていましたから。ただ――ふたつめに言った覚せい剤の売買に関してはスケープゴートであったことを、今回の事件で知ったんです」
「スケープゴートというのは濡れ衣っていう意味があるけど、その子が薬をしていたという可能性はなかったの?」
葉月の言葉に対し、燈愛は疑問をぶつける。
「燈愛さんは聞いたことがありませんか? 覚せい剤やシンナーをした人の遺体が焼却されたさい、骨が残らないというのを」
そう聞き返され、燈愛はうなずいてみせる。
覚せい剤やシンナー、果ては癌の後遺症によって、骨の細胞はボロボロとなり、最後には骨の形すら遺されない。
「つまり、亡くなった筒井実緒の遺体は遺族によって火葬されています。その遺骨は[きちんと残っている]。もし薬の常習犯だとしたらそもそも骨が残ることがない」
忠治の問いかけに、葉月は応えるようにうなずいてみせた。
「それに付け加える形になりますけど、薬が切れれば当然禁断症状が出ますし、そもそも私が補導した時はまだ肌や目に異常が見られませんでした。援助交際も片手で足りるくらいしかしていなかったそうです」
「しかしどうして覚せい剤の売買の濡れ衣を被せられていたんだ?」
「おそらく、擦り替えでしょうな」
「擦り替え……?」
燈愛は片眉をしかめ、姓田に視線を向け直す。
「麻取の中でも問題視されていることなんですけど、海外旅行をしている日本人が知らないうちに薬を海外から持ち運んだというのが何件もあるんですよ。トランクケースの外側と内革の間に薬を忍ばせたり、ティーパックの袋の中に入れて、それを観光客の荷物の中に忍ばせたりしてね。おみやげ用に購入した商品の中に忍ばせるなんて事例は結構ありましてね」
「それに対して持ち運んだ人に罪罰は?」
「薬物取締法に引っかかりますがね、いちおう尿検査と血液検査をして、実際に売買をしていないという証拠が出ればまずその人にたいしてのお咎めはありません。いちおう海外のドコドコに行ったという詳細は取り調べますけどね」
つまりは、クロならば問答無用でお縄なのだなと、姓田以外の、その場にいる三人の頭によぎった。
「でも、以前希望さんのところで、純さんから組員である斎藤英雄がその子に薬の売買をしていたみたいなことを言っていましたけど」
葉月が、その時のことを思い出した形で姓田に告げた。
「だが、筒井実緒の遺骨が綺麗に残っている以上、彼女が覚せい剤をしていなかったことのなによりの証拠だ。そうなると斎藤英雄の狂言だった可能性がある」
「あれ? 純さんに対してはなにも言わないんですね」
葉月が首をかしげ、姓田にたずねる。
姓田は表向きは生活安全課にある、公安部の指揮を任されている生活安全総務課に所属しているが、実際は組織犯罪対策第二課という、麻薬や銃器の密輸に関する国際的な捜査や調整が主な仕事である。
「いちおうこちらとしては面識があるからね」
それを聞いて、葉月はふと瑠璃のことが頭に浮かんだ。
表と裏の世界に関係なく、顔が広い黒川家だ。
姓田は瑠璃から榊原純のことをある程度は調べてほしいとお願いされていたのである。
「あぁ、用意周到というべきか」
自分だって、相手が人道を踏み外してはいないにしても、世間体を考えれば、自分の娘が組長と付き合っていては心配で仕方がない。
もちろん葉月とて、何度も面識があるため、純の性格上間違ったことはしないだろうという核心はあった。
榊原組の組長は、あくまで斎藤雄山という男であり、純は組長の息子であるだけで、周りがそれを祭り上げているだけである。
純本人はそもそも組長ということ自体にはさほど興味がない。
しかし父親の背中を間近で見ていた純にとっては、父のような威厳ある人物と同様に、黒川拓蔵や瑠璃のような、周りから慕われている人に憧れの眼差しがあった。
だからこそ、間違ったことがあれば、たとえ仲間であろうと警察に通報する。
それが榊原純という男であった。
「もう一度、改めて筒井さんのご遺族に、亡くなられる以前までのことを聞いてみます」
「カサブタを剥がすような気がするけど、六月二九日以前までの行動を調べ……」
忠治がそう命じようとした時、彼の携帯にメールの着信があった。
「誰からですか?」
「……飯塚巡査からだ。斎藤英雄に事情聴取をしたが、筒井さんとの覚せい剤の売買には完全否定している」
「証拠があればどうにかできますけど、そんなのを残すような……」
葉月はふと、今回の事件のスタート地点を思い浮かべた。
この事件は、そもそもギャルソンのメンバーである荒木薫が、会員制の公式ファンサイトの掲示板に殺害予告を書かれ、さらにそれを書き込んだ人物が、死んだ筒井実緒の名前で書き込まれている。
そして筒井実緒は榊原組の組員である斎藤英雄と繋がりがあった。
いや、そもそもが……掲示板に書き込まれた文章がパソコンからということ自体に疑問を持たなければいけなかったのだ。
「燈愛さん、ファンサイトって、スマホからでも観覧は可能なんですか?」
「え、ええ、いちおう会員であればどんな媒体でも見れるわ。でも掲示板だけはいたずら防止や防犯のためにパソコン媒体からじゃないと見れないように設定されているはずよ」
突然の問いかけに、燈愛はギョッとし、葉月を見据える。
「黒川巡査長、なにか気付いたことでも?」
「可能……かもしれません。私、高校生の時に浜路ちゃんが一時期はまってたスマホ用のブラウザゲームを一緒にしたことがありましたから」
葉月の言葉に、「でも、スマホ用ってパソコンからじゃできないんじゃないかな?」
と忠治は聞き返した。
「それが可能なんです。ブラウザソフトによってはできませんけど、ブラウザソフトの設定で通信デバイスをスマホの機種にすれば、パソコンからでもスマホ用のHPを観覧することやスマホやガラケー専用のブラウザゲームをすることができるんです。もちろん全部が可能というわけではありませんけど」
「なるほど、たしかにその方法なら携帯の使用料はパソコンのプロバイダ料になるし、そもそも今のパソコン通信のほとんどは定額制でデータ使用量も無制限だ。スマホのようにパケット料金を超過することはない」
「スマホの場合、大きなデータを落とすさいWi-Fiの使用を勧めたりしますけど、それでも超過すると通信速度が落ちますし、そもそも掲示板に書き込まれているプロパイダ情報も、Wi-Fiを使えば、パソコンを使ってのネットワーク状態になっていたんだと思います。おそらく殺害予告を書き込んだ犯人は、今私が言ったことと同じことをした」
「スマホでもPC版サイトが見れるように設定することはできる。黒川巡査長が言っていた方法が可能ならば、この方法を使ったという可能性がないとは言い切れなくなったな」
「それでも……犯人はどうして亡くなった筒井さんの会員IDやパスワードを知っていたの?」
燈愛から痛いところを突かれ、葉月は眉をしかめた。
「今言ったことも、もしかしたらという可能性でしたから。これで事件を混乱させてしまっては元も子もありませんから」
葉月は「すみません」と、皆に頭を下げた。
「だが臆することなく自分の考えが言えることはなによりの好評価だ。やはり幼い頃から事件の調査に協力しているだけに年季が違うな」
それは褒められているのだろうかと、葉月は発言した姓田を見据えた。どことなくバカにされた気がしたのだ。
「だけど葉月ちゃん、高山さん……大威徳明王さまにも同じような考えをいわれたことがあったけど、そもそもその人の携帯を遺族が遺品として持っていなかったらの話でしょ?」
「そうなんですよね。いちおう確認のために昨日ご遺族の方のところに行って遺品を見せてもらいました。その中には彼女のスマホもありました。スマホの中にはちゃんとSIMカードが入ってましたよ」
「通信履歴は?」
「電話とメールが何通か。亡くなったあとはそれを知らない企業からのダイレクトメールが主でしたね。家族が携帯の通信契約を切っているので、スマホの中にそれが保存されたままの状態だったみたいです」
「そうなると、そもそもスマホから掲示板に書き込むことはまず不可能ということか」
「改めて考えるとそうなんですよね。あぁもうっ! 昔の私だったら遺体の写真からその人が最後に聞いた声を聴くことができたのにっ!」
葉月は出されたお茶をがぶ飲みする。
「げぇほっ! げぇほっ!」
水分を塊のようにして喉を通らせようとし、激しく咳き込む。
「葉月ちゃん落ち着いて、ほらティッシュ」
燈愛は手近にあったティッシュ箱からティッシュを二、三枚取り出し、それを葉月に渡す。
「すみません、私まだまだ未熟ですね。本当なら死んだ人の声なんて聞こえないのが当たり前なのに、その力を使って忠治さんやお姉ちゃんたちの手伝いをしていたから……今はもうそういう力がないことなんて自分が一番わかってないといけないのに」
葉月はティッシュで自分の口元を拭く。
「んっ? 死んだ人の声なんて聞こえないのが当たり前」
忠治は不意に葉月へと視線を向けた。
「姓田刑事、なにか引っかかることでも?」
「うむ。私は今回の事件については触りくらいしかわからないが、そもそもなぜ筒井実緒という少女は自殺しなければいけなかったんだ?」
「自殺……というのも、どこか腑に落ちない点があるんです」
「遺体処理をした警察官に連絡を取ったが、どうやら首を吊ってのことだったようだ。遺書は――なかったらしい」
「今となっては確認する当てもないですしね。警察が来た時にはすでに天井に吊るされていた遺体を下ろした後だったみたいですから」
そう言った葉月の言葉に、
「それも聞いてはいたのだな」
と、姓田はたずねる。
「母親が娘の遺体を発見したその日の朝、普通なら七時前には起きてきていたはずなのに、まったく下に降りてくる気配がなかった。心配になった母親が部屋を訪ねると鍵が閉まっていて、仕方なく鍵を壊した後……」
「娘が自らの手で縊殺した姿を発見したと」
姓田はすこし考え、
「自傷した形跡は?」
「なかった……んっ?」
姓田の質問に、忠治は怪訝な表情を見せる。
「どうかしたんですか?」
「…………妙だな。いやそう思い込んでしまっている可能性もあるが」
「自傷した痕がないことがですか? たしかに自殺するような人はなにかしらサインを送っていたりしていますけど」
「自傷もそのひとつと考えられるが……いや、少し待ってくれ? そもそもどうして彼女は何の前触れもなく死んでいるんだ? リストカットの痕もない。ましてや薬物の反応すらない」
考えれば考えるほど不審な点が多い。
「社長、ただいま戻りました」
事務所に現れたのは、――大谷英太と阿部陸斗。中谷優人……そして荒木薫の四人だった。
「おかえりなさい。選材写真はいいの撮れたの?」
「もちろん、社長が用意してくれた有名なカメラマンさんでしたからね。バッチシ今度の写真集も作れるじゃないかってくらい張り切ってきました」
手をグッドの形にして、中谷優人は応える。
「優人、客人の前だ。すみません、粗相なやつで」
リーダーである大谷英太が阿部陸斗を小突き、葉月たちに頭を下げた。
「別に気にしていません」
葉月はチラリと荒木薫を見据えた。
「どうかしましたか?」
「いえ……、荒木さん、すこしよろしいでしょうか?」
荒木薫はメンバーと社長を一瞥する。
「別に取って喰おうとは思っていません。すこし話を聞きたいだけですから」
葉月はやんわりとした声で言った。
「ここじゃダメなんでしょうか? 今回、オレが覚せい剤をしていたかもしれないという噂のせいで、メンバーに色々と迷惑をかけてしまいました。そのことに関してでしたら、ここで話されてもいいのではないでしょうか?」
荒木薫はジッと葉月を見つめた。
「……わかりました。ではおたずねします。あなたと亡くなった筒井実緒。そしてお二人に薬を売っていたという斎藤英雄はどういった関係だったんですか?」
その言葉に、荒木薫の顔は一瞬にして蒼くなった。
「葉月ちゃん、それってどういう?」
「斎藤秀雄に薬の売買を持ちかけられていた二人には、まったく薬の反応がなかった。それは二人が薬をしていなかったなによりの証拠です」
「だったらそれでいいじゃんかよ? どうしてそこでかおるんがでてくんの?」
中谷優人が首をかしげ、おちゃらけるようにして荒木薫と葉月を交互に見渡した。
「荒木さん、すみませんがスマホを見ることはできますでしょうか?」
「えっと、今私用のスマホは持たせないようにしていて、会社やメンバー以外の番号は受信しないよう設定したやつを持たせているのよ」
「えぇ、燈愛さんの言う通り、荒木さんが使えるのはその仕事用の携帯だけだと思います。でも……以前使っていたものはまだ持っているんじゃないんですか? しかも持っていなければいけない状態になってしまっている」
「…………っ」
「ちょ、ちょっと待ってください。話が見えません。どうして薫の携帯が事件と関係しているんですか?」
「携帯がじゃなくて、その携帯の中身です」
「携帯の中身?」
「筒井実緒さんは援助交際をしていました。ですがしていたわりに犯した回数は片手で足りるくらい……これって少なすぎるんですよ」
「その子があまりそういうのに乗り気じゃなかったとかじゃない? ほら女の子を買う人ってオッサンとか金持ちくらいじゃない」
阿部陸斗が葉月に聞き返す。
「その少女は私に補導されたことがあったの。彼女……援助交際をしているような娘の雰囲気じゃなかった」
「雰囲気じゃなかった?」
姓田は葉月を見やり、「つまり彼女は誰かから命令されて援助交際をしていた……ということか」
「おそらくそうだと思います。というよりはせざるを得ない状況下にあった」
「しかしどうしてその筒井実緒という女の子は、援助交際をしないといけなかったんですか?」
大谷英太の言葉に、葉月と荒木薫以外の、その場にいる全員が腑に落ちない表情を見せていた。
「その証拠をあなたが持っているんじゃないの?」
葉月はジッと荒木薫を見つめた。
「証拠を……彼が?」
忠治もただことではないと察し、荒木薫に近づく。
「済まないが、その携帯を見せてくれないか。大丈夫、もしなにかあっても警察が全力でキミを……」
「守りっこねぇだろ」
荒木はキッと忠治を睨みつける。
「警察に、どれだけ話してもまったく相手にしなかったくせに……いまさら、アイツやオレを守るだぁ?」
「薫、おまえなに言ってんだよ?」
「…………やっぱり、二人は二人で関係があったみたいだね」
「まさか誘導したのか?」
葉月の言葉に、姓田はギョッとした声を上げる。
「誘導なんてしていませんよ。犯罪を犯した人間は必ず吐露をする。でも後ろめたさを感じている人が懺悔をすることだってある。それを利用したようなものです」
同じようなことじゃないだろうかと姓田は思ったが、なるほどこれが黒川というものなのだなと苦笑した。
「薫、あなたと筒井実緒さんのあいだになにがあったの?」
「社長。これだけは信じてください。オレはアイツの事を大事な妹だった――」
荒木薫はその場に跪き、燈愛に頭を下げた。
「大事な妹……? でも筒井実緒さんとあなたは兄妹でもなんでもないじゃないか」
「おそらくですが、その兄妹ではなく親しい関係という意味でではないでしょうか」
葉月にそう言われ、忠治はそう言う意味かと納得する。
「まぁ、それが恋愛関係となれば話は別ですけど」
「さすがにあいつはまだ高校生だったけど、まぁ好きじゃなかったとなれば嘘になるな。よくアイツから学校で好きな奴ができたって言われた時、胸が苦しくなっていたし」
荒木薫はスッと立ち上がり、ショルダーバッグの中に手を入れた。
「刑事さん……もし、もしもですよ……本当にオレや実緒をまもると断言してくれるんだったら、アイツを地獄に送ってやってください」
バッグから取り出したスマートフォンを葉月に渡す。
その時、荒木薫の手は震えていた。怒りと恐怖が入り混じった複雑な色。
「大丈夫。安心して――たとえどんなことがあろうとあなたは私たちが守るから」
葉月はスマートフォンの電源をつけ、荒木薫にパスコードを教えてもらい、中身を拝見した。
「…………っ!」
そして筒井実緒を殺した犯人の、いや犯人などとは言いがたい……鬼の所業に言葉をうしなった。
目の前で震えている青年の、なんともいえぬ隠し切れない憤怒の表情。
この狂気をずっと隠し持っていたのだ。
メンバーに迷惑をかけないよう、必死になって今まで隠してきた。
「葉月ちゃん……」
それを覗き見る形で映像を見ていた忠治が彼女を肩を優しく叩く。
その手は怒りで震えていた。
「やつは虎穴の中だ。もはや逃げることも、いや言い逃れもできない」




