肆
「今日はごちそうさまでした」
秋玲は車の運転席に乗っている純に向かって頭を下げた。
食事を終え、稲妻神社まで送ってもらったのである。
「いえ、今日の目的は大宮警部補に教えることでしたからね」
「組員の方が薬を売買していたことをですか?」
「ええ。それにあそこではあぁ言いましたが、そのアイドルだという荒木薫については、斎藤は口を閉ざしていてね」
「そうなんですか?」
それはつまりは証拠があったということなのだろうと、秋玲は思った。
「あいつはなにか、それを使ってそのアイドルを強請ろうとした。ですが薬を売ったのは斉藤ではない気がするんですよ」
「でも薬を……」
秋玲は言葉を飲み殺した。
薬の売買において、その大本は斉藤で間違いはない。
しかし、果たして荒木薫がその斉藤から薬を買ったのか。
純の疑念はそこにあった。
「薬の売買はかなり根っこが深いですからね、こちらも気をつけてはみますし、ナニか判れば大宮警部補に報せるつもりではいます」
「それでしたら、姓田巽という刑事が麻薬取締官をしていますから、彼にも教えたほうが」
「その方は信頼できますか?」
「できますよ」
迷いなどなくはっきりと答える秋玲を見て、純は思わず吹き出してしまった。
「あれ? 私可笑しいことを言いましたか?」
それを見て、秋玲はキョトンとした目で純を見据える。
「いやいや失敬。すみません。あまりにも即答だったものでつい」
純は目の前の曇りのない瞳を見て、目の前の妖狐は人を疑うことを、自分が想像している以上に知らないのだろうと思った。
だから、危ういのだ。
「白ねぇ」
神社の方から妹の声が聞こえ、秋玲はそちらに目をやった。
「それではオレはこれで」
「あ、はい。ありがとうございました」
秋玲が深々と頭を下げている中、純が運転する車は駐車場を出ていき、ヘッドライトとテールライトが行き交う闇夜へと消えていった。
「あれ? わたしもしかしてお邪魔だった?」
姉のところへとやってきた聖子が、すこしばかり困惑した表情でたずねた。
「ううん大丈夫。ちょっと話していただけだから」
秋玲は手に持っていた、小料理屋での手土産を聖子に渡した。
「おみやげ。希望さんから手鞠寿司だって」
「おぉ、希望ねぇところのお寿司ってバカに出来ないんだよね。今すぐ食べよう早く家の中に入って食べよう」
自分の腕を引っ張る妹を微笑ましく見ながら、秋玲はすこしばかり気になることがあった。
「あのね、聖子ちゃん? ちょっと聞きたいんだけど」
「なに?」
「聖子ちゃんが好きなアイドルにギャルソンっているでしょ? その荒木薫ってどんな人?」
「単純に言うと、チャラい」
「チャラい?」
「まぁ白ねぇにわかりやすく言うとうつけもの。いつもバカな言動で周りを困らせているんだけど、どうも違う気がするだよね」
「違うって?」
「うーん、アイドルだからってのはあるんだけど、歌唱力と踊りはメンバーの中で一番いいんだけど、でもグループってどっちかというとお互いを引き立て合うみたいなところがあるでしょ?」
「その荒木薫にはそれがなかったってこと?」
「多分ね、トーク番組でメンバーのプライベートの話があっても、どういうわけか誰も荒木薫については話そうとしないのよ」
「あんまりプライベートのことをみんなに話したり、一緒に遊んだりしないからかな?」
「どうだろうね? って、こんなところで話してたらいくら夏だからってお寿司凍るよ」
たしかにそのとおりだと、秋玲は苦笑を浮かべた。
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「それで、希望さんのところで食事をしてきたんだ」
帰宅してきた父親に視線を配りながら、湊はテーブルの上に置かれた、秋玲がお土産にともらったものと同様の、希望特性の野菜の手鞠寿司に手を差し伸べていた。
「湊さま、皐月さまが手を洗ったのかって言ってますよ」
遊火にそう言われながら、キッチンの方から母親の視線に気付いた湊は、テーブルの上に置いてあるウェットティッシュを取り出し、それで手を拭いてから、ふたたびお寿司に手を伸ばし、口に運んだ。
「うぅん、やっぱり希望さんところの手鞠寿司美味しい。薄くスライスした大根のシャキシャキ感もさることながら、時間が経っているのに固くなく口の中でほころぶ寿司飯。更に紫蘇の香りがいい塩梅になってる」
「ははは、でもいいのかい? 夕食も食べているのに」
「大丈夫。それとこれとは別腹だから。でも今日のママさんの料理だって、野菜たっぷりのグリーンカレーだったから、ちょっと酸味のあるもの食べたかったんだ」
それを聞いて、
「あれ? 福神漬けとかはなかったのかい?」
と、いつも付け合せとして出されているはずなのだが、と忠治は首をかしげた。
「いやあったんですけど……ほら湊さまがお好きですから、カレーの時は大さじ二杯くらい入れますからね」
それはもはや付け合せというレベルではないぞと、忠治は遊火の言葉を聞きながらそう思った。
「それで、パパさんはもう今日はお仕事ないんだよね?」
「パパさんの仕事は警察官だからね。今日はという言葉はないさ。事件が起きて呼ばれさえすれば、いつでも出ないといけない」
「それじゃぁ、ビールも飲めませんね」
「まぁね。今日だって僕や純くん以外……」
忠治の耳に電子音が響き渡るや、点けっぱなしにされていたテレビに視線を向けた。
「『臨時ニュース?』」
人の声は聞こえずとも、それ以外の音は鮮明に聞こえていた皐月は、キッチンからリビングにあるテレビを覗き見た。
テレビには緊急ニュースが入っており、
【アイドルグループ『ギャルソン』のメンバーの一人、荒木薫(22)が、覚醒剤取締法違反の容疑として警察庁が書類送検】
とテロップで報道されていた。
「ってあれ? たしかギャルソンって、聖子おばさんが好きなアイドルグループ」
なにが起きたのかわからないといった表情で、湊は両親と遊火を見渡す。
「忠治さま? どうかされましたか?」
「いや、遊火ちゃん、皐月に葉月ちゃんか燈愛さんからなにか聞いていないか訊ねてくれないかい?」
主人にそう言われ、遊火は皐月に問いかけるや、その皐月は首を振った。
「ね、ねぇパパさん? 今日なにかあったの?」
不安気な表情で詰め寄る娘を見て、さて話すべきかと、忠治は父親としてではなく、一人の警察官として悩んだ。
「『なにかが起こる前に、なにが起きようとしているのかを話したほうが後悔しないと思いますよ』と、皐月さまは仰っていますよ」
ジッと自分を見ている妻に、無害な妖怪を通じてそう言われてしまっては、たしかにそうだと忠治は思った。
皐月の耳に、人間の声は届いていない。
本当ならばお互いに話すことさえできない夫婦である。
だがその悩みを、通訳という形で遊火がバイパスとなって繋げてくれている。
お互いを思っているからこそ喧嘩をする。
喧嘩をするからこそ、相手をちゃんと見つめられる。
忠治は、耳が聴こえない皐月がどれだけ不安を抱えているのか、想像を絶するものだと思っていた。
昔、これはまだ湊が幼いころの話であるが、聾者である皐月が、周りから罵声とはいかずとも、傷つけられる言葉を言われているという噂を心配して、言葉を伝えている遊火に、一度そのことをたずねたさいに言われたことがある。
『人がなにを話したのか、もしかしたら自分を傷つける言葉を言われたのではないか。ですが、皐月さまはなにかを言われたことよりも、なにを言われたのかがわからないことのほうが恐ろしいと。だから掻い摘んで人の会話を伝えていても、人が言った言葉を包み隠さず、自分に話してほしいと、湊さまが産まれて、皐月さまの耳が聞こえなくなった時にそうお願いされたんです』
と伝えられ、忠治は自分の考えの愚かさに悔やんだ。
それは……拷問であろう。
だが、しかしだからこそ、その覚悟を持っている妻が目の前にいるのだから、なにも隠すことではないのだ。
これは……義妹である葉月に、鮎川燈愛が助けを求めた。
ただそれだけのことだ。
もちろん、周りの人間に皐月や湊が口を滑らせるとは信じられない。
もちろん、純を裏切るかもしれない。
だが、彼は自分を、そもそも敵対する警察官を信頼してくれたのだ。
ならば自分は妻と娘を信じよう。
「二人とも、聞いてくれないか?」
忠治は、皐月と湊を自分の前に並ばせ、八重楽生礼で純から聞いた話をした。




