弐
「あの純さん、ココって」
秋玲は目の前のちいさな料亭を見上げながら、隣にいる純に声をかけた。
「小洒落たバーのほうが良かったですか? こちらとしてはそれでもよろしかったのですが」
「でも連れてきたのは純さんですよ?」
純の言葉に秋玲は彼を見据える。
連れて来られた場所は、知り合いもなにも姪である皐月の友人、風花希望の夫婦が営んでいる小料理屋[八重楽生礼]であった。
「知り合いに知られて困ることでも?」
「ありませんけど」
柔らかな口調の中にも、どこか陰がある純の言葉に、秋玲は彼が自分をここに連れてきた真意が知りたかった。
秋玲自身、純に連れて行かれるのならば、郊外のレストランでないにしろ見知った人が来る可能性が低い場所だと思っていたのだが、連れられた場所は知り合いどころか、
「ここ警察の人も来ますよ?」
という心配があった。
「少なくともオレはお天道さまに顔向けできないほどのことはやってませんよ。少なくともオレ自身はね」
その言葉に、秋玲はさらに険しくも怪訝な目を純に向けた。
「すみません、まだ準備……あら? 秋玲さんと純さんでしたか」
カウンターで調理の準備をしていた希望と、その夫であり料理長である涼の二人が、入ってきた秋玲と純を一瞥した。
「ご予約していた榊原です。お時間早くすみません」
「いえいえ、それで料理はこちらのお任せでよろしかったでしょうか? さきほど生きのいい肉が入りましてね」
「秋玲さんの大好物くらいこちらも把握しています。当然いなりずしもとびっきりのものをご用意してますよ」
いなりずしという単語を聞くや、秋玲は身体をビシッとさせた。
「ははは……本当にお好きですね。さすがは狐の妖怪と言うべきでしょうか」
純の言葉に、希望は怪訝な表情で、
「あの、どうしてそのことを?」
と秋玲を見ながらたずねた。
その当人は、恥ずかしげに俯いており、それを見て希望はすでに彼女は正体を知られていることを自覚しているのだとわかった。
「いや、実は春先の事なのですが、子安神社の境内を仲間たちと掃除をしている時に……」
「わぁああああああああっ?」
と、純の言葉を遮るように、秋玲は大声をはりあげた。
その表情は紅葉が散りばめられたかのように紅潮している。
「どうかしたの?」
「忘れて! 純さんっ! 本当にそれ忘れてくださいぃいいいいっ!」
秋玲は目を回しながら必死に純の言葉を遮る。
その行動がなんとも滑稽で、希望と涼は笑いをこらえる。
「うん、秋玲さん落ち着いて。っていうか耳と尻尾が出てる」
そう言われ、秋玲はハッとした表情で飛び出た白狐の耳を両手で隠した。
「狐の尻尾だ」「もふもふだ」
いつの間にか秋玲のうしろにいた和佳と弥奈が、秋玲の尻尾に触れる。
「ぴゃうっっ?」
あまりにも突然のことで、秋玲はさらに身をピンとさせる。
「こぉらぁぁぁ? 動物の尻尾っていうのはデリケートなところなんだから、強く握っちゃダメでしょ?」
声を低くし、希望は双子の姉妹を一喝する。
「「ママこわい」」
双子は震えた声で母親を見上げた。
「怖いなら、怒られるようなことしないの。ほらおやつにクッキー焼いてあるから家に入ってなさい」
一瞬のことではあったが、優しい希望の声を聞き、双子はお互いを見るや、秋玲に向かって、
「「ごめんなさい」」
と頭を下げた。
「ううん、いいよ。突然のことでびっくりしただけだし、尻尾を出した私も悪いから」
そう言いながら、秋玲は双子それぞれの頭を優しく撫でた。
「許してくれた」「白ねぇやっぱり優しい」
双子はちいさく頭を下げると、店の奥にあるドアから家の中へと入っていく。
「おやつを食べるのはいいが、ちゃんと宿題もしろよぉ」
父親からそう言われ、
「「はーいっ!」」
と双子は返事をしたが、はてさてこの風の子たちが学校の宿題をちゃんと熟したのかどうかはまた別の話であった。
「それより……」
希望は純を一瞥する。
「どうして秋玲さんが狐の妖怪だって知ったんですか?」
「希望さん、私すごい恥ずかしいんですけど」
「希望、当人は聞かれたくないようだが?」
「でも本人が妖怪だって知られている以上、どうして知ったのかをこちらも知っておかないと、後々大変なことになるかもしれませんから」
妻にそう言われ、涼は眉をしかめた。
「そんな小難しい話じゃないですよ。偶然秋玲さんの着替えを見てしまっただけで、その時に油断していたのか綺麗な耳と尻尾を見ましてな、逃げることすら忘れてしまうくらい呆然としてしまったんです」
それこそほとんどの妖狐奇譚において、妻となった妖狐が、夫なり子に、不意に正体がバレてしまうという場面と同じだと、希望は呆れてものが言えなかった。
「妖怪だと知った自分を食い殺すかもしれないって思ったんじゃないんですか? それで足が竦んだとか」
希望はからかうように純を見据えた。
「いえいえ、本当に綺麗だって思ったんです」
「恥ずかしげもなく言えるものですな。言われてる本人は先程からあの様子だというに」
涼は秋玲を一瞥する。
店の座敷へと上がる段差に腰を下ろしていた秋玲は恥ずかしさに身を悶えさせ、顔は深緋色に染まっていた。
「それに今日ここに来たのは、秋玲さんとのデートもあったのですが――」
「それ以外になにか目的でも?」
希望にそう訊かれ、純はゆっくりと顔を、それこそ先ほどまでの柔らかい顔とは比べ物にならないほど険しい顔を見せた。
「それは……こちらを利用されていて、なおかつ信頼できる方たちが来た時にでも――」
と言い残し、その時までは他愛もない話はしても、本来の目的については、口を重く噤んでいた。
♪
「大宮警部補」
警視庁刑事部一課にある大宮班の班長机に坐っていた忠治は、声をかけてきた飯塚を一瞥した。
「どうかしたのかい?」
「最近これといって事件がありませんね」
「ない方が平和だけどね。それともあったほうがいいのかい?」
そう聞き返され、飯塚は首を振った。
「先日起きた事件も短時間で解決出来ましたし、いまのところこちらに回されるほどの殺人事件が発生していませんからね」
飯塚は手に持った書類を忠治の机の上に置く。
「これは?」
「事件とは関係のないことなのですが、つい先日報道されたことがすこし気になったんです」
その書類には、[ギャルソン単独ライブ]の見出しが記されていた。
「気になること?」
「はい。まだ明白ということではないのですが、そのメンバーの一人である荒木薫に薬物の噂があるそうなんです」
「薬物か……ただでさえ今有名なアイドルグループのメンバーだ。すこしデリケートな話になるね」
「はい、上昇部の方も間違いがあってはいけないということもあって調査に消極的のようです」
飯塚を見ながら、忠治は彼女の正体に疑問があった。
彼女を敵として見るべきなのか、同僚として見るべきかいまだに判断しかねていた。
「たしかこのアイドルグループって燈愛さんが社長をしている……」
「燈愛さん? あの失礼ですが大宮警部補はその社長とお知り合いだったんですか?」
「あっと、いや僕は間接的にだけどね」
忠治は視線を、部所で岡崎と話し合っていた葉月に向けた。
「……そういえば、葉月さんが知り合いでしたね」
飯塚はキッと目付きを険しくし、葉月を見据える。
「葉月巡査がどうかしたかい?」
「いえ……彼女を通じてすこしお聞きしたいことがありましてね」
飯塚はスッと葉月の方へと近寄り、
「ごめんなさい黒川巡査長、ちょっとよろしいかしら?」
と声をかけた。
「……なんですか? 飯塚巡査」
葉月が彼女を見やった時であった。
「あ、飯塚さんは今日の夕方なにか用事はあるかい?」
と、岡崎が飯塚にたずねた。
「特に用事はありませんが、どうかされたんですか?」
「いや、ちょっと仕事が終わったらいつもの店で食事をと思ってね」
「別に構いませんが……私も一緒でいいんでしょうか?」
珍しく不安気な表情で自分を見る飯塚を見ながら、
「私は別に構いませんけど」
と葉月は口にした。
「それとも私が一緒だと嫌ですか?」
「あ、いえ……皆さんが言っているいつものって言うのは福嗣町の繁華街にある八重楽生礼という小料理屋ですよね?」
「まぁいつも贔屓にしている場所……」
葉月が店の説明をしようとした時、彼女の携帯が鳴り響いた。
「…………っ?」
着信相手をみるや、葉月は怪訝な表情を浮かべた。
「黒川巡査長、どうかされましたか?」
飯塚の言葉に耳を貸さず、葉月は電話を出るや、
「もしもし」
と、電話先の相手の応対を待った。
「もしもし……久しぶりね、葉月さん」
「お久しぶりです……燈愛さん」
電話先の鮎川燈愛に、葉月は深々と頭を下げた。
「燈愛って……鮎川燈愛?」
葉月が電話している相手が鮎川燈愛だと知るや、飯塚はギョッとする。
「珍しいですね、燈愛さんから電話があるなんて」
「急なことでごめんなさい。ただ葉月ちゃんにしか頼むことができないことだったから」
「別に気にしなくていいですよ。それで要件はなんですか?」
葉月は、電話に応対しながらも、視線で忠治たちに合図をし、携帯をスピーカーモードにして、忠治たちにも鮎川燈愛との会話が聞こえるようにした。
「すみません燈愛さん、大宮警部補たちにも今の会話を聞こえるようにしています」
その言葉に、飯塚は疑問を持った。
電話先の人物は葉月を頼って電話をしている。
それならば本来その人だけに聞いてほしいと思うものだが、葉月の行為はそれを裏切っていた。
「ううん、構わないよ。葉月さん――いえ、葉月ちゃんの力は誰かの声に頼ることだからね」
燈愛の声は、葉月の行動を見据えたように、疑問すら持っていないといった声色であった。
「それより鮎川さん。葉月ちゃんに個人的な用事であったとしても、今の時間彼女が捜査に出ていたと知っていてのことですか?」
「はい。今現在の葉月ちゃんの立場を知ってのことです」
大宮の問いかけに、燈愛はそう応える。
「私の立場?」
「葉月ちゃんは今警察官だったわよね。それでちょっとお願いがあるの……うちの事務所にギャルソンっていうアイドルグループがいるのは知ってるわよね?」
「あ、はい。聖子ちゃんがファンですから」
ギャルソンの言葉が出るや、忠治と飯塚は目を見開いた。
「ふたりともどうかしたんですか?」
「あの燈愛さん……葉月ちゃんに直接電話してきたのはどういうことでしょうか?」
忠治のただならぬ険しい声色に、葉月と岡崎は喉を鳴らした。
「実は今から半月ほど前の、七月七日に事務所が管理しているギャルソンのファンサイトに送られたメールに、メンバーの一人に対する殺害予告メールが届いたんです」
「殺害予告? その対象のメンバーは誰ですか?」
「荒木薫という二二歳のメンバ-です」
それを聞くや、大宮は飯塚を見やる。
「薬の噂が出ているメンバーですね」
「でも、たしかギャルソンのファンサイトって会員制でしたよね? それに殺害予告は立派な脅迫罪になりますから、別に私個人に連絡をしなくても」
葉月は怪訝な表情で燈愛にそうたずねた。
「葉月ちゃんたちにしか頼めないことなの」
「どういうことですか?」
「さっき葉月ちゃんが言っていたとおり、ギャルソンのファンサイトはファンクラブのメンバーしか見れないということは、メールもそのメンバーしか送れないの。その会員の人がメールを送る一週間前……六月二九日に亡くなっていたと、警察から連絡があったの」
「亡くなってる? それじゃぁ誰かがPCなりなにかしらサイトが見れる媒体をハッキングしたということでしょうか?」
「それもないと思うわ。そういうことをした誰かが悪用しないよう、ファンサイトはサイバーセキュリティーに管理してもらっているし、システムでクッキー不可にしているんです」
燈愛は岡崎の問いかけにそう応える。
クッキーというのは、ネット上で一度書き込んだ文章やパスワードなどの情報をPCやスマホなどの端末内に保存しておくことで、次に利用するさい、再入力しなければいけないという手間を省く機能である。
傍から見れば便利ではあるが、逆に言えば個人情報が漏洩されてしまうという危険性がある。
パスワード漏洩のほとんどが、このクッキーを保存した状態のままにしていることと、パスワードを簡単なものにしていることにあった。
「ということは、ファンサイトを見るにはいちいちパスワードなりアカウントIDを入力しないといけないということですか」
「そういうことになりますね」
「ですがそのメンバーが……あぁいや違うか」
飯塚は言葉を殺した。今言おうとしたことが自分の中で間違いだと気付いたからだ。
「殺害予告を送ってきたとされるファンが亡くなったのがメールが発送された一週間前。ということは普通ならハッキングされたものを使って殺害予告を送るにしても、犯人はそれを知らないというのはどうなんでしょうか?」
「こちらは警察を通して知ったことですが、メールはPCを媒体にしていて、そのご家族に聴き込みをしたそうなんですけど、PC自体は亡くなった翌日にはすでに廃棄しているそうなんです」
形を残したくないという遺族の気持ちもわからなくはないが、まさか亡くなった人のアカウントで殺害予告があるとは想像すらしていなかったであろう。
「遺族の方々にもPCから殺害予告があったと連絡をしましたが、なにせ一週間後のことで気味悪がっているし、こちらがやったのではという疑いまでされている始末で」
「別の話題で目を逸らさせるという魂胆ですか」
飯塚の言葉に、葉月は彼女を睨む。
「メンバーの一人が薬をやっているという話は聞いていない?」
「――聞いてはいますけど、まだ確定しているわけではなりませんよね?」
「火のないところに煙は立たないと思うけど」
あぁ言えば、こう言う。まさに喧嘩腰の態度である飯塚の言葉に、葉月は怒りを露わにする。
「ふ、二人とも落ち着いて。とにかく燈愛さんからの以来はその殺害予告を送ってきた犯人を見つけてほしいってことでいいんでしょうか?」
「でも、こういうのって私たちの仕事じゃないと思いますよ。殺害予告もそうですが、アイドルに対してなら企業恐喝に当てはまりますので、特捜の仕事だと思いますけど」
飯塚の言うとおり、本来ならばこれは忠治たちのような強行の仕事ではない。
それは電話先の燈愛も重々承知の上であった。
「片手間でもよろしいのでしたらその亡くなられたファンのお名前をお教えいただけないでしょうか」
「わかりました。一週間前に亡くなったのは[筒井実緒]という十八歳の大学生です」
「燈愛さん、すみません。オレも昔からの知り合いですから手を貸してあげたいとは思っているんですが」
「刑事さんたちが謝ることじゃないですよ。ただ、もしかしたらというちょっとした期待をもっていたということは本当ですけどね」
燈愛はそう言うと、「では失礼します」と、静かに電話を切った。
「……どうかしたのかい? 葉月ちゃん」
燈愛の電話を聞き終えてから、葉月はそれこそ上の空であり、忠治から声をかけられるまで、ジッと自分の携帯を見つめていた。
「飯塚刑事、すみませんが少年事件課に行って、さっき燈愛さんが言っていた少女の名前を調べてくれませんか?」
「どういうこと?」
「私が前期まで少年課にいた事はご存知ですよね。その時に私がではありませんけど、同じ名前の少女を補導したことがあったんです」
「補導? その少女はいったいなにを?」
「簡単にいえば援助交際ですね。その相手にちょっと問題がありまして」
葉月はためいきをつき、忠治を見る。
「そろそろ行こう。燈愛さんからの依頼に対してはできれば事件が起きる前に解決したいものだけど、今は食事だ」
岡崎の言葉に、葉月と忠治、そして飯塚は応えるようにうなずいた。




